短編

□愛の証
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「悟なんて大嫌い!」





そう叫ぶと私は家を飛び出した。





滅多に喧嘩なんてしないのに。





ほんの些細な事が原因だった。





いつもなら聞き流せる様などうでもいい内容。





何故か無性に腹が立って、理性が働く前に言葉が放たれていて。





お互い言い合いがヒートアップしていく内に、言うつもりも無かった単語が口から出た。





そこまで言う必要なかったのに。





言ってしまった後の悟の傷ついた顔が脳裏に焼き付いている。





引き留められもしなかった。





嫌われてしまったかもしれない。





今すぐ引き返して、さっきはごめんって謝れば許してもらえるかもしれない。





この胸につっかえた後悔も消えるのかもしれない。





だがそんな思いと反して私の足は家からどんどん遠ざかっていく。





一度沸騰した私の頭はまだそこまで冷静さを取り戻していなかった。





雨の中傘も持たずに走ったせいで頭の天辺から爪先までびしょ濡れだ。





靴の中の浸水が歩く度に気持ち悪い。





おでこに貼り付いた前髪から雫が垂れ、睫毛を濡らし頬を伝い落ちる。





周りの視線など気にならないくらい悟に苛立っていて、同じくらい自分にも苛立っていた。





行く宛もなく歩いて、体が冷たくなった頃に行き着いたのは人気のない公園。





屋根の下にあった木製のベンチに座ると、私から垂れる水分を吸収して木板が黒く染まっていく。





どうしたものか。





帰る家が無い。





悟と同棲しているのだ。





だから家には帰れない。





かと言ってこんなびしょ濡れでお店にも入れないし。





ポケットの中のスマホを取り出し画面をつけてみる。





防水で良かったと呑気に考えながら、勝手に登録された悟の自撮り写真のホーム画面を眺めた。





家を出てから1時間は経っている。





悟からは何の連絡も入っていない。





急に鼻の奥がツーンとして目頭が熱くなった。





濡れた体に冷たい風が吹きつけ、みるみる体温が奪われていく。





少しでも寒さを凌ごうと震える腕で膝を抱えた。





背を丸め出来るだけ小さく。





今ならいくら泣いても涙なのか雨なのかわからないだろう。





私は膝に顔を埋めただ降り注ぐ雨音を聞いていた。































しばらく動かずにじっとしていたが、余りの寒さに限界がきた。





唯一の同期で親友の七海に電話をかける。





異性との友情は成立するのかと言う問いに、私はイエスと答える人間なのだ。





悟は頑なにノー。





だから付き合ってから今まで男と2人きりで会わない様に徹底してきた。





もちろん同期で親友の七海とも。





でも今は緊急事態。





私はそう自分を納得させ震える手でスマホを操作した。










『はい。』





落ち着いた低音ボイスが聞こえてホッと安堵する。





「もしもし七海?今家にいる?」





『いますが…何かありましたか?声が震えている様に聞こえますが。』





さすがは七海、一瞬で気づかれてしまった。





「ちょっと訳あって家に帰れなくて、寒くて死にそうだから助けてくれないかな?」





『…は?』





七海には珍しく素っ頓狂な声だった。





「お願い七海、助けて!」





縋るようにお願いを続けると七海は渋々と言う感じで許可してくれた。





そして今私は七海の家の玄関にいる。





「貴方バカなんですか?」





七海はちょっと怒った様な呆れた様な顔で私を見ると、白のフワフワなタオルで濡れた頭を包む。





乾いたタオルがとても暖かく感じた。





相当体が冷えている様だ。





「私はバカです、ごめんなさい。」





そう言ってタオルの隙間から見上げると七海は盛大に溜息を吐く。





「お風呂を沸かしてありますので、すぐに入ってください。」





「はい。」





私は素直に従ってお風呂場へ直行した。





七海に着替えとバスタオルを手渡され、洗濯機を使う権利までもらって本当に感謝しかない。





ありがとうと繰り返し言うと、風邪を引く前に入ってくださいと素っ気なく扉を閉められてしまった。





長年の付き合いなのでわかる。





一見冷たい対応に思えるが七海はちゃんと私の事を心配してくれている。





何も言っていないのにお風呂を準備してくれているし、着替えもタオルも。






風邪を引かない様にすぐに入れるように、用意周到だ。





七海は優しい。





私は濡れて貼り付いた服を脱ぐとすぐさまお風呂に入った。





芯から冷え切った体が徐々に温もりを取り戻していくと救われた気分になる。





実際は何も解決していないのに気持ちは随分と落ち着いた。





冷静になれば怒っていた事さえも馬鹿らしく思える。





しょうもない事で怒って、私って小さい人間だ。





悟に謝らなければいけない。





嫌いだなんて1ミリも思ってない。





腹が立ったからってあんな傷付ける様な事を言ったのだ。





言ってはいけない言葉だった。





許してもらえるんだろうか?





もしお前なんか要らないって言われたら私は……





頭がぐわぐわと揺れてきて、浸かりすぎたと急いで湯船から出る。





すっかりのぼせてしまった体にバスタオルを巻き脱衣所に出ると、ひんやりとした空気が心地良く感じた。





ハンガーに掛けておいた下着を触ってみると乾いてなくてまだ湿っている。






あれだけ雨に打たれたのだから当然か。





私は下着にドライヤーを当てて乾かした。





濡れた服は洗濯機に放り込み、早速洗濯機を使う権利を利用させてもらった。





しっかりと乾かした下着を身に纏い、七海が用意してくれたスウェットに腕を通す。






それはもうぶかぶかで七海との体格差を思い知った。





ダラリと垂れた袖とズボンの裾を何度も折り返す。






かなり不格好だが背に腹は代えられない。






髪を乾かすと脱衣所を元あった形に綺麗に整えて後にした。










「お風呂ありがとう。」





リビングに入ると七海は椅子に腰掛けて読書をしていた様だった。





「いえ、何か飲みますか?」





「じゃあ冷たい水かお茶を貰えるかな?」





「分りました、名無しはそこに座っていてください。」






そう言うと七海はキッチンの方に消え、しばらくするとお茶の入ったグラスを手に戻って来た。






「どうぞ。」





木製のコースターと共にテーブルの上に置かれる。





七海の家の食器や家具はそこら辺の女子よりもお洒落だ。





ありがとうと小さくお礼を言うと乾いた喉にお茶を流し込んだ。





あー冷たくて美味しい、頭の中がスッキリする。





コトリとグラスをコースターの上に戻したところで、タイミングを見計らっていたのか七海が口を開いた。






「説明してもらえますか?」





少し迷惑そうな表情で問われ、面倒ごとに巻き込んで申し訳ない気持ちになる。






「悟と喧嘩した。それで家を飛び出して来て……帰れない状況なの。」





「この土砂降りの中、傘も持たずに?」





「はい。」





「はぁ〜本当にバカですね。」





七海は右手を頭に添えて呆れた様に呟く。





「申し開きのしようもございません。」





私は親に叱られた子どもの様にシュンと落ち込んで項垂れた。





「これからどうする気ですか?」





今すぐ帰って謝りたいけど心の準備ができていない。





散々怒った挙句に家を飛び出して……謝ろうにも怖くて悟と顔を合わす勇気が無い。





「そんな顔をするんなら、帰ったらいいでしょう。」





「そうなんだけど……」





「名無しらしくないですね。」





らしくないって、七海はいつも私の事がどう見えているんだろう。





「ここにいるのは構いませんが、あの人の事ですからすぐに迎えに来ると思いますよ。」





「え?」





「隣の部屋にいるので適当に過ごしていてください。」





そう言うとポカンとした私を放置して七海は隣の部屋へ消えて行く。





三人掛けの大きなソファーに座り、する事が無くて仕方なくテレビを点けた。





夕方のニュース番組をボーっと眺める。





内容はイマイチ頭に入ってこなかったが、この非日常的な空間には丁度良いBGMだった。





頭の中で喧嘩のやり取りを思い出しながら何度も反省する。






謝らないと。










悟―――






ごめん。






悟の事嫌いだなんて思ってないよ。






ごめんね。



























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