「温もりを知ったから」
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あの後、私たちは一旦解散した。
家に帰ると直ぐにシャワーを浴びて、家を出る準備を終わらせると約束していた場所に向かった。
映画館なんて何年ぶりだろう。
まだ何を観たいのか聞いていなかったが、先にチケットを予約するため集合場所をここにした。
相変わらず人が多い。
気持ち悪くなりそうだ。
壁にもたれて待っていると、辺りの女子グループから黄色い声が飛び交う。
顔を上げると五条さんを見つけた。
やっぱり目立つな。
あの容姿や背丈から人混みで見失う事は無さそうだが、私としては嬉しくない。
周りからの注目を浴びるのは得意じゃなから。
まぁ惚れてしまったのでそんな事言ってられないが。
「お待たせ。」
満面の笑みを向けられ目眩がしそうだ。
約束の時間の5分前。
五条さんにしたら珍しい。
「何を観るか決まりましたか?」
「もちろん!」
無邪気な笑顔に、なんだろ…すごく嫌な予感がした。
上映中作品が一覧となったボードに五条さんは長くて綺麗な人差し指を向けた。
目で追うと指の先にはR18と書かれた大人の映画名が記載されている。
え、冗談でしょ?
と言う願いを込めてボードから五条さんへ視線を移すと、いいでしょ?僕たち成人してるし、とニコニコしている。
事前に上映中の映画は調べていたのでこの映画の内容は何となく把握している。
これはカップルで見るのも躊躇われるだろう濃密で官能的な描写がたくさんある作品で、同僚の立場である私たちが観るような作品ではない。
「さ、さすがにこれはやめましょ?」
「えー名無しさんと観たい!僕を満足させてくれるんじゃなかったの?」
「うっ…」
そうは言ったがこれは問題があるだろ。
どう言う気持ちで観たらいいのか。
普通に恥ずかしいし、好きな人である五条さんとは絶対に観たくない。
「あれーもしかして、こーゆー大人の映画観た事ない?たかが映像くらいで恥ずかしい訳ないよね?名無しさんって意外とお子ちゃまなの?」
明らかに喧嘩を売っている。
この人を見下す態度にかちーんときた。
私だってもう25歳だし、こんな映画観たってどうって事ない。
観た後気まずくならないかなって配慮してる私が馬鹿みたいで、わかりやすい挑発に乗ってしまった。
「全然いいですよその映画でも。」
そう笑顔で答えた。
「さっすが名無しさん!」
あーなんて自分は馬鹿なんだろう…
後で後悔するのが目に見えている。
だが今更断る事も出来ず。
1日2回しか上映が無いので仕方なく17時からのチケットを取った。
それから映画館から少し歩いて、予約していた店に向かう。
五組ほどが店の入口で待っていたので予約しておいて良かった。
店員に案内されて4人掛けのテーブル席へと座る。
五条さんと向い合せで座るのは、青森への出張以来だ。
「どれも美味しそうだね。」
そう言ってパラパラとメニューを捲っていた五条さんの動きがピタリと止まった。
「名無しさん……これって。」
眺めていたメニューを私が見えるように裏返して、手を止めたページを見せる。
そう、これがあるからこの店にしたのだ。
全長30pの巨体パフェ。
いつだったかテレビで紹介されていたのを見た時は、誰が頼むんだこんなデカいのと思っていたが、案外身近に居た。
目の前で子供のように嬉々と目を輝かせる男。
「この夕張メロンのやつにしようかな〜」
とご飯を選ぶ前にデザートを吟味している。
そんなに良い?このデカいパフェ。
写真を冷たい視線で眺めながらそんなことを思っていた。
まぁでも五条さんがこんなに喜んでくれているなら良かったと思える。
こっそりと様子を窺いながら嬉しさを噛み締めた。
ちなみに夕張メロンパフェは9,000円する。
デザートの癖に高すぎると言う文句は笑顔で飲み込んでご馳走した。
あの時のお礼なのでこれくらいは安いものだ。
ご飯が終わると映画まで時間が空いてしまった。
今は13時になったところで、まだ4時間もある。
どうしたものか。
デートなんて学生以来してないからどこに行けばいいのか検討が付かない。
「五条さん、行きたいところありますか?」
「うーん……そうだな。僕もデートらしいデートなんかしたことないし。」
今五条さんは、もって言った。
私がデートを余りしたことないって見抜いてる?
事実とは言え、失礼じゃないか。
好きになったことで薄れていたが、通常運転の五条さんにこういう人だったと再認識させられた。
もしもの為に調べておいたデート情報によると、最もベターなのは水族館。
だけど五条さんは魚には興味ないとか言ってきそうだし、そうなると動物園も無い。
遊園地には時間が無さ過ぎるし、夜景は論外。
あとは……
「五条さん、近くのショッピングモールに行きませんか?」
「お、いいね!なんかデートぽい。」
満足そうに笑った五条さんは、そうと決まれば早速出発、と当たり前のように私の手を握った。
「え?」
「デートなんだからいいでしょ?」
サングラスの横から見えた目は想像していたよりも優しくて息を飲んだ。
肯定も否定もできずにいると、既に私たちの足は動き出していた。
私よりも少し体温の高い手が、右手を包み込んでいる。
見た目は白くて細くて女の子の様な手なのに、繋いでみたらちゃんと男のそれでドキドキした。
初めて繋いだ時とは比べ物にならないくらい緊張する。
前を歩く五条さんの後ろ姿を見て、胸のところがソワソワした。
今だけはこの体温を感じていたいと。
私は一回りも二回りも大きいその手を、キュッと控えめに握った。
ショッピングモールに着くと、服を見たり靴を見たりフラフラと思うままに歩き回った。
ここで分かったことは五条さんの金銭感覚がおかしいという事だ。
さすが御三家と言うだけのことはある。
何となくわかってはいたが正直引いた。
「ねぇーこれ良くない?名無しさんに絶対に合う!」
そう言って見せられた花柄のワンピース。
ウエストがリボンで締められる様になっていて、膝丈で白地に大き花柄が印象的だ。
「すごく可愛いですね!」
五条さんはもっと奇抜な物を選ぶと思っていたので意外だった。
「じゃあ買お。」
「え?ちょっと待てください五条さん。」
「ん、なに?」
「なにじゃなくて、可愛いとは言いましたが買うとは言ってませんよ?」
私はレジに向かおうとしている五条さんの腕を急いで掴んで動きを止める。
「僕が買うよ。似合うんだから買わないなんて勿体ないじゃん!」
そう言ってレジに向かおうとする五条さんを、ちょっと待ってと再び止めた。
「何どうしたの?」
怪訝そうな表情の五条さんの手からワンピースを奪う。
そして麻の紐でぶら下がった値札を確認した。
有名なブランドのお店で何となく察しはついていたが、これ程とは……
私は驚愕のあまりフリーズする。
75,900円(税別)
頭を殴られた様な衝撃に倒れそうになるが、グッと踏みとどまる。
このワンピースを持ったまま倒れる訳にはいかない。
万が一汚れでもしたら……とゾッとした。
「あ、ちょっと!」
と声を上げる五条さんを無視して元あった場所へと戻す。
彼女でもない私の為に、なぜ平然とあんなものを買おうと言えるのか。
怖くなって五条さんの手を握るとすぐに店からでた。
「なんで買わずに出ちゃうんだよ。」
口を尖らせて後ろで文句を言う五条さんに頭が痛くなる。
こんな庶民のデートで五条さんを満足させられるのかと不安になった。
「買わなくていいんですよ。ほら、あそこで少し休みましょ?」
私は奥の方に見えるフードコートを指さした。
あそこで休憩したらちょうどいい時間になるだろう。
「あ、クレープ食べたい。」
可愛いピンクの看板を見て五条さんの興味が切り替わった事にホッとする。
さっき甘い物を食べた所だが大丈夫なのかと心配になったが、五条さんの笑顔を見てどうでもよくなった。
店の前まで来ると五条さんは顎に手を当てて、どうしようかなと選び出す。
私はもちろん食べないので隣でその様子を見守っていた。
「名無しさんはアイスなら食べられる?」
「アイスですか?市販のカップアイスくらいなら食べられますよ。」
クレープを見ながらなぜアイスの話をするのかと不思議に思ったが、次の言葉で理解した。
「よし、じゃああっちに変更。」
指差した先にはアイスクリーム屋さん。
「一緒にたべようよ。」
私の返事も聞かずに歩き出してしまった。
あれよあれよと誘導されて、目の前にはカップアイスが置かれている。
折角なので食べようとプラスチックのスプーンで掬って一口。
冷たくて甘すぎずちょうどいい。
当たり前かもしれないが、スーパーやコンビニで売られているものよりも格段に美味しい。
パクパク続けて口に入れた。
「美味し?」
五条さんがびっくりするほど優しい顔で聞くので顔に熱が集まる。
「美味しいです。」
かろうじてそう答えると、良かった、と五条さんは微笑む。
五条さんってこんな表情もするんだ。
私は騒ぐ鼓動を落ち着かせるために、目の前のアイスに集中した。
映画の上映時間10分前になり、私はアイスコーヒー五条さんはポップコーンとミルクココアを持って、指定の席へ向かっていた。
こんな映画を観るのによくポップコーンを買ったなと、隣に座る五条さんを見る。
ニコニコと上機嫌だ。
はぁーと聞こえない様に息を吐くと、合わせた様に映画は始まった。
内容は主人公の女が付き合っていた男に騙されて借金を肩代わりすることになり、それを返済するために体を売る。
男に復讐することを決めた主人公は、それを糧に努力し徐々に人気が出て大金を手にする。
そして男を殺して復讐を遂げる、と言うストーリー。
もちろん濡れ場は多い。
直視できない程のシーンもある。
主人公の心情とか臨場感のある音で、胸が騒めいた。
私は視線を前の座席のシートに移す。
色んな意味で見てるのがつらい。
そう思っていると不意に視線を感じ、隣を見ると五条さんとばっちり目が合った。
え、なんでこっち見てるの?
ひじ掛けに腕を置いて頬杖を付き、ニヤニヤとこちらを見ている。
完全に私の様子を見て楽しんでいる。
なんて人だ…
私は腹を立てながら視線を映画に戻した。
そこからは一切隣を見ていない。
そして1時間半で映画は終了した。
誰も幸せにならない話で心苦しかったが、思っていたよりも心理描写がしっかりしていて見ごたえはあった。
最後の男に復讐するシーンなんかとてもスッキリした。
辺りが明るくなり隣を見ると、未だに五条さんは私を見ていた様だ。
「何ですか?私なんか見てても面白くないですよ。」
嫌味っぽく言うと。
「名無しさんを見ている方が100倍面白い。」
と満足そうに五条さんは言った。
「……変態。」
「男なんで皆変態だからね。」
そう言って楽しそうに笑うので、睨みつけて椅子から立ち上がった。
あぁ、なんで五条さんなんか好きになったんだろう。
私は本日何度目かの溜息を付いて映画館を出た。
「この後どうする?」
「え、この後?」
もう解散だと思っていたので予想外の質問に焦る。
「ご飯食べに行くよね?」
「い、いやでも。」
どうしよう、何も調べてないし予約もしてない。
困惑する私を他所に五条さんは得意げな顔をしている。
「大丈夫!僕が予約しておいた。」
そうテンション高く言われて開いた口が塞がらない。
タクシーに乗って移動すると高そうな寿司屋に着いた。
「今日のお礼だから。」
いや待て!
今日は私がお礼する日だったのに、こんなのおかしい。
「五条さん!」
「なになに?びっくりした?」
すごい嬉しそう……
こんな顔されたら無下に断れない。
「ほら、行こっか。」
五条さんは私の背中に手を回して店の扉を開いた。
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