「温もりを知ったから」

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キャリーバッグを持ってゴロゴロと音を立てながら最寄り駅に降りた。






自宅までは徒歩10分。






整備された歩道は時々人がすれ違う程度だ。






秋が近づいてきているのか空が高く感じる。






だが蝉の鳴き声は相変わらず響いていて、まだ夏だぞと誇示している様だ。







自宅に帰ってきたのは一ヶ月半ぶり。







玄関の扉を開けるのにドキドキしながら、恐る恐るドアノブを引く。






ゴキブリが住み着いていないかとか、部屋が荒らされていないかとかそんな事を心配していたが杞憂だったようだ。







家を出た時のまま何一つ変わっていない部屋に安堵し、私はいの一番に窓を全開にする。






一通り空気が入れ替わった所でエアコンのスイッチを入れた。







暑い。





本当に暑い。






溶けてしまいそうな気温に項垂れた。






ただ、項垂れた理由は気温以外にもある。







帰ってきて早々だが七海さんと会う約束をしているからだ。











東京へ帰る日が確定した日に、二人には連絡を入れていた。







七海さんとは今日の夜に、五条さんとは明後日会う約束をしている。







やっと覚悟を決めた。






心臓が取れてしまうのではないかと思うほど緊張している。







好きだと言う事も、ごめんと言う事も。






どちらも勇気がいることなのだ。






約束の時間まであと二時間。






荷解きと準備をゆっくりと進めた。







































 * * *







約束は行きつけの店にした。





出来るだけ落ち着いた状態で七海さんと会いたかったからだ。






深呼吸をしてから木製の扉を開く。






北欧テイストの店内は馴染みがあって、温かみのある照明のお陰か多少はリラックスできた。





店員に名前を告げるとすぐに案内され、既に席に着いていた七海さんと目が合う。





「お待たせしてすみません。」





「いえ、私も今きたところです。」






そう言って微笑んだ七海さんの表情に安心して、向かいの席へと座った。






「何を飲みますか?」




「うーん、じゃあいつもの白ワインにします。」





「では私も同じものにします。」





いつかのやり取りを思い出させる会話に、若干だが気持ちの余裕が生まれる。






だが注文し終えて手持ち無沙汰になると、すぐに余裕は消えて無くなった。





流れる沈黙が私を焦らせる。





あれ?いつもどう話を進めていたんだっけ……





沈黙だって心地よかったはずなのに、今は少しも感じられない。






早く何か、何か話さないと。





すると、私の焦りを読み取ったのか京都はどうでしたか?と七海さんは自然に話題を振ってくれて、内心助かったと息を吐いた。






「歌姫さんが良くしてくださったので、かなり快適でした。京都校の生徒たちとも交流ができたし、予想以上に有意義に過ごせましたよ。」






「それは良かった。交流会が無ければ会う事なんて滅多にないですからね。まぁ随分と急だったので驚きましたが…」






「そうですよね、私も驚きましたよ。でも気分転換もできたので悪くない出張でした。」






七海さんが普段と変わらぬ態度で話してくれたので、緊張が徐々にほぐれていく。





良かった、いつも通りに喋れてる。





七海さんの低く落ち着いた声で、だいぶ心は平常に戻った。






私の様子に違和感を感じた筈だが、それを表に出さずにカバーしてくれる辺り、七海さんは空気の読める大人なのだなと認識させられる。






その後も京都校での話や高専を卒業したばかりの猪野くんの話で盛り上がり、良い具合にお酒が進んだ。






お互いお酒には強い方なのでベロベロに酔っ払った事は無くて、いつも気分が良くなるちょうどいいタイミングで切り上げる。





ワインのボトルを二人で空け、美味しい料理を堪能すると私たちは店を出た。









普段より約束した時間が早かったので、今の時刻はまだ22時を回ったところだ。





もちろん平日にも関わらず人は多い。





七海さんの背中について人波を抜けた。





少し開けた大通り。





タクシーを拾うため交差点の先を確認している七海さんに、あの…と声をかけた。





「どうしました?」




「あ、えっと…」





言い悩んでいる私を見て心配になったのか、気分が優れませんか?と七海さんは前に来て顔を覗き込む。





「いえ、大丈夫です!あの…少し暑いですが、今日は歩いて帰りませんか?」





「……わかりました、そうしましょう。」





「ありがとうございます。」






そう会話を交わすと、私たちは大通りをゆっくりと歩き始めた。







「こうして歩いて帰るのは懐かしいですね。」





「そうですね…何年ぶりになるんでしょうか。」






通り過ぎていく車のヘッドライトに照らされて、その度に目の前が明るくなる。





歩道橋を渡って脇道に入ると、一気に人通りが減った。





私一人では夜絶対に通らないであろう道だ。






ここを抜けて更に15分ほど歩けば私のマンションに着く。






それまでには言わなければ。






ちゃんと答えを出したのだから。






伝えないと。





言わないと。






そんな事ばかり考えていたせいで、私たちの周りは沈黙に包まれていた。














「ななしさん。」






背後で名前を呼ばれて振り返ると、数歩後で七海さんが立ち止まっている。





どうやら考え込み過ぎて自分の家を通り過ぎてしまっていた様だ。






この位置からでもハッキリと分かった。





七海さんの表情が。





もう何を言われるのか分かっているんだろう。





ちゃんと言わないといけないのに。





覚悟してきたのに。





切り出せない。





七海さんを傷付けてしまう。





どうしようもなく苦しい。






だけど今、気持ちを有耶無耶にしたらこの先でもっと深く傷付ける事になる。






言おう。





ちゃんと。








「七海さん。」






「…はい。」






「私は七海さんに救われて、今まで生きてきました。私にとっても七海さんは大切で掛け替えの無い人です。」






ぽつりぽつりと話す私の言葉を、七海さんは真剣に黙って聞いてくれている。





「それはこれからも変わりません…絶対に。だけど、だけど……七海さんの気持ちには応えられない。」







声が震えて、怖くて表情を見れなくて、私は言い切ると視線を冷たい地面へと落とした。







時が進むにつれてキリキリと胸が締め付けられていく。







とうとう言ってしまった。






好きでした、七海さんの事が。





その言葉はもう伝える事はない。









「……そう、だと」






小さく聞こえた七海さんの声に胸が騒ぎだす。





途中で止まった言葉の先を待つも中々聴こえてこなくて、私はゆっくりと顔を上げた。











息を呑むとはこの事なのか。





今まで見たことのない表情の七海さんと目が合った。





泣いていないのに泣いているような、そんな表情。





心臓が握られたかの様に苦しくなる。





自分がそんな顔をさせてしまった。





なのに、何もできない。





「ごめんなさい。」





唯一出たか細い声でそう伝える事しか出来なかった。





「ちょっとは期待していたんですが……ななしさんの気持ちは、何となく分かっていました。」






それを聞いて、え?と目を見開く。






「どうしても伝えたかったんです。」





苦しい思いをさせてしまってすみませんと謝る七海さんに、目頭が熱くなってフルフルと首を横に動かす。






私が泣いてどうする。





堪える為にギュッと口を噤んだ。






「私もななしさんと同じ、これからもずっと大切だという思いは変わりません。絶対にです。」






穏やかに語られる言葉に、堪えていたモノがとうとう一筋流れてしまった。






「だから後悔しないように、ななしさんが決めた道を進んでください。」







どうしてこんなに優しいんだろ。






両親に愛されなかった分、色んな人に愛情をもらって私は生きている。







そう思えた。







「最後にひとつお願いを聞いてくれませんか?」






「お願い、ですか?」






「これから私のする事を許してください。」





そう言うと、七海さんは広い胸に私を抱きしめた。





包む様に、優しく。





七海さんの匂いがする。






私は手は回さずにスーツに頬を付けたまま、はいと答えて一定で刻まれる七海さんの鼓動を目を閉じて聞いていた。








七海さんの腕が解かれるまで。







ずっと。










































































































 * * *







朝の目覚めは予想以上にスッキリとしていた。







カーテンを開けて登ったばかりの太陽の日を確認すると、体に染みついた朝のルーティーンを熟していく。







京都から帰ってきてきたばかりだが、明日の休みを獲得するため今日は予定がみっちりと入っている。






午前中に二件、午後に三件片付けなければいけない。







パソコンを開いて補助監督からの調査報告書を確認しているとスマホが鳴った。







五条さんだ。







「もしもし。」





『おはよう名無しさん。あー起きてたんだ、まだ寝てると思ってた。』






「寝てると思ってたならかけてこないでくださいよ。」






『だってさ暇なんだよね〜今移動中で。』






なんと自分勝手な。






「私もこれから出ないといけないんです。」






『仕事?』






「もちろん仕事ですよ、今日は忙しいんです。」






『明日のデートの為に予定詰め込んだとか?』






冗談ぽく聞いてきたがその通りで恥ずかしくなる。






自分だってこんな早くから外に出ているではないか。






「…そうですけど、何か?」






一瞬黙った五条さんにバカにされると思っていたが、予想していた反応と違った。






『ありがとう。ずっと楽しみにしてたんだよ。』





その言葉にドキッと胸が音を立てた。





いつもの意地悪な五条さんじゃなくて調子が狂う。






「いえ、お礼ですから。」





冷たく言うとそれが気に食わなかったようで。





『そこは気を遣って私も楽しみにしてましたって言うことろだろ?』





と、ぶっきら棒に言う。






五条さんに気を遣えって言われる日がくるなんて、夢にも思っていなかった。






拗ねているのだろう電話の向こうの五条さんを想像するだけで頬が緩む。






「私だって楽しみにしていましたよ。」






『遅ーい!だめだめそんなの。』






だめと言いながら声色は少し嬉しそうで、笑ってしまった。






もちろん聞こえない様に。






『明日はちゃーんと僕を満足させてよ?』





「善処します。」





『んじゃ行ってくるよ、楽しい楽しい呪霊狩りに。』






「気を付けて。」





『名無しさんもね。』






そう会話を締めくくって電話は切れた。





お互い心配する仲にはなったのだなと嬉しくなる。







再び報告書に意識を戻し準備を終わらせると、補助監督との約束の時間に合わせて家を出た。











「おはようございますななしさん。」





「おはよう。」






家の前まで迎えに来てくれた補助監督の車に乗り込むと、すぐに目的地へと向かった。






朝一番は都内の病院。






人の少ない時間帯を狙いたかったので、一般の面会時間外になるよう調整しておいた。







ここは雑魚が群れていただけですぐに始末することができた。








次は公園の公衆トイレ。







至って問題ない。







三件、四件と順調に終わらせていき、最後の現場へ赴いた。






都内からは少し離れた場所にある緑に囲まれた広い霊園。







トンネルを過ぎた所から既に嫌な予感はしていた。








そういう予感は的中するものだ。








呪霊は祓ったが左の脇腹を深く刺され、視界がグラリと揺れその場から動けなくなった。








すぐに補助監督が来てくれて応急処置を施し車に乗せられたが、高専へ着く前に私の意識はプツリと途切れた。



















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