「温もりを知ったから」

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ソファーに深く腰掛けた七海さんは深く息を吐き。






「自分から聞いておいて、聞かなければ良かったと後悔しています。」





と小さく呟く。






そんなことを言われると、どうしても自惚れてしまう。






それと同時に心の中に巣くっている五条さんへの気持ちが、罪悪感となって重くのしかかった。







どっちつかずな曖昧な自分に苛々する。







優しさに付け込んで、私は七海さんに甘えているんだ。







そんなつもりは無いが、この状況では七海さんの気持ちを弄んでいるみたいになっている。






本当に……最低。








どう言葉をかけるべきなのか……









膝の上にある手に力が入って、服にクシャリと皺がいく。




















「もう回りくどいことは止めにします。」






沈黙の中で口を開いた七海さんの言葉に驚いて私は顔を上げる。






「きっとななしさんは私の気持ちに気づいているでしょうね……」






このまま七海さんの言葉を聞いてしまっていいのだろうか。







私はまだ自分の気持ちがわかっていないのに。







「ななしさん、私は…」






今の関係が崩れるのが怖い。






自分勝手なのはわかっている。






だけど……







痛いほど握り締めた私の手に、七海さんの手が触れた。






包み込む大きな手から七海さんの体温が伝わってくる。






七海さんの目は揺るぎない。









「貴方の事が好きです。」







七海さんはこんな最低な私を好きだと言ってくれる。






すごく嬉しい。






それは本当にとても。






少し前の私なら飛び上がって喜んでいただろう。






だけど今は素直に喜べないのだ。






もしこのまま付き合ったとして。







私は真摯に七海さんと向き合えるのだろうか。






……やっぱり今は答えられない。










「付き合ってもらえませんか?……と、言いたいところですが。」






急に声のトーンを上げた七海さんにえ?っと声が漏れ出た。







「真面目な貴方ですから、中途半端な気持ちでは付き合えないと言うでしょうね。」






正に今の心内を言い当てられ呆然とする。






心を読み取られていたんだろうか。










「伊達に何年もななしさんを見ていたわけじゃない。直ぐに答えを出さなくても良いです。ななしさんの心が決まったら教えてください。」







手の上にあった重みが消え、七海さんの手が私の頬を撫でる。







こわれものを扱う様な手付きで、優しく。







「私はただ、ななしさんに幸せになってもらいたいんです。」







微笑む七海さんに、例え様のない思いが込み上げてきてグッと口を噤んだ。






力を入れていないと色んなものが零れ出してしまいそうで。







「そもそもこんなタイミングでする話ではなかったですね、すみません。」







七海さんは眉を寄せて困った様な顔をすると、頭を垂れ、本当にすみませんと再び謝った。







「七海さん……」







私は何も答えられなかった。








「何か飲みますか?」






顔を上げた七海さんの声は穏やかで、落ち着いていた。






だが眉は寄せたまま、苦しそうな表情は変わらない。








「はい。」







小さく返事をすると、七海さんは立ち上がってキッチンへ向かった。






私は未だに動けずにいる。







七海さんと一緒にいて初めて苦しいと感じた。








素直に喜べない、気持ちに応えられない自分に酷く腹が立った。







応えが決まってなくとも、何か言うことはできただろう。







七海さんは喪中だという事を気にしてくれていた。








だがほぼ勘当状態なので私は気にしていない。







故人に何の思いもないのだから。







あるのは妬みだけ。







そして抜けない杭のように、母の言葉が深く胸に刺さっている。








それは呪いのように。








どうしてこうも上手くいかないのだろう。








自分の気持ちでさえ思うようにならない。







こんな私を気遣ってくれる七海さん。







好きだと、幸せになってほしいと言ってくれる。






どうしてそんなに優しいのだろう。








七海さんも……







そして、五条さんも。







































































 * * *







七海はキッチンへ移動してくると柱の陰に入って深く溜息を吐く。







こんなタイミングで気持ちを伝えるつもりはなかった。







五条さんとキスをしたと聞いて感情が抑えられなくなった。






自分で蒔いた種だが、情けないほど余裕がない。







ジャムの蒼を見て俯いたのは、きっと五条さんを思い出していたのだろう。







ななしさんの心を奪っていく五条さんに嫉妬してしまった。







無理矢理に口を塞いで押し倒して、私のこと以外考えられない様にしてしまおうかと一瞬でも思ってしまった。






実に愚かだ。







なんだかんだ言って五条さんも悪い人じゃない。






本気でななしさんが嫌がったのなら無理強いはしないだろう。







少なからずも五条さんを受け入れていると考えるしかない。







ななしさんの目や態度を見ていれば、気持ちが揺れているのは何となく分かる。







ななしさんに幸せになってほしい。








それは紛れもない本心。







例え自分が隣にいなくともその思いは変わらない。







だが……できることなら。







私であってほしかった。






いくら悩んでも仕方のないことだ。







ななしさんの応えを待つしかない。














私は戸棚を開けると、ティーポットといつか買ったハーブティーの缶を取り出し、ゆっくり準備を始めた。


























































































 * * *







ハーブティーを手に戻って来た七海さんは、普段と変わらない様子でほっとした。







一時間程ゆっくりしてから私は七海さんの家を出た。








作ってもらった雑炊のお陰か体調が良くなっている気がする。








駅のホームに着くと帰る気が起らず、ベンチで何度目かの電車を見送った。







……少し疲れた。






色んなことが立て続けに起きて、頭の整理もままならない。





こんな状態を長く続けたくない。





七海さんと関係がぎこちなくなるのは嫌だ。






でもそのことを考える度に五条さんが頭をチラつく。






早く気持ちをハッキリさせないといけないのに。






私は焦燥感に駆られている。







五条さんが何があっても味方だと言ってくれた時は嬉しかった。







あんなボロ泣きの私を受け入れてくれて、何度も頭を撫でてくれて。







母に言ってくれた言葉も、全部。







嬉しくて、忘れられない。







思い出したら胸がソワソワする。








五条さんに私の事が好きなのかと聞いた時、わからないと言っていた。






でも付き合いたいとも言っていた。







五条さんは何を考えているのかわからない。


































ホームに電車の接近放送が流れ現実に引き戻され、暑いしそろそろ帰ろうと腰を上げた。







目印に従い並んでいる列の最後尾に付く。








私はユラユラ揺れる電車線を見て眉間を寄せた。






3級程であろう呪霊がぶら下がっている。







ホームに群れる人間の品定めをしている様な目だ。







そもそもこの力さえなければ私は母に嫌われなかったし、平和に生活出来ていたはずで。








生きるか死ぬかの戦いも、仲間を失う苦しみも味わうことはなかった。







自分に対する憤りも。








そう思うと無性に苛立った。








私は二本の指を立てて視界に映る呪霊を切るように振る。







ただの八つ当たりだ。










音もなく裂けたそれを掻き消すかのように、電車がホームに入ってきた。









扉が開き人の波が動き出す。








私は前の人に続いて電車に乗り込んだ。















だけどこの力が無ければ、七海さんや五条さん、他の同僚たちには出会えなかった。








そう考えると今の私も悪くないと思えて、苛立ちはあの呪霊の様に掻き消された気がした。



































家に付くとちょうどメッセージが入った。







五条さんか?と本日二度目の予想は、又もや外れた。








伊地知さんからだ。







内容はもちろん仕事の件で、人手が足りていないので明日から一ヶ月ほど京都校に行ってほしいとの事だった。








京都か……歌姫さんに会えるかも。







何度か一緒に仕事をしたことがあって、すぐに意気投合し愚痴を言い合える程には仲が良い。






私の顔は自然と緩んでいた。







それにしても、急だな。







了承のメッセージを送り返し早速準備に取り掛かった。



























出張の準備が終わってお風呂から上がった所で、スマホの着信音が鳴った。







見ると今度はちゃんと五条さんからで、何だかんだ五条さんからの連絡を楽しみにしていたのだと痛感させられる。













「はい、もしもし。」





『もしもし名無しさん?連絡遅くなってごめんね。』






「いえ気にしてませんよ。」





嘘だ。




結構気にしていた。






『そう、なら良かった。ところでお礼ってなんでもいいの?』





「私の叶えられる範囲なら……」





『じゃあさ、今度デートしてよ。』





「えっ…で、デートですか?」





デートという言葉にドキリと心臓が跳ねる。





『いいでしょ?……ダメ?』





なんだその甘えた言い方は。






前の私だったら確実に機嫌が悪くなっていただろう。






「……良いですけど。」





『えっマジ!?言ってみるもんだね〜』





断られると思っていたのか五条さんの声が弾んでいる。





そんな様子に少し嬉しいなと感じてしまった。






『次いつ休み?』





「一ヶ月後です。」





『…は?嫌だからって嘘は吐くなよ。』





立ち悪いぞと怒る五条さん。





「噓じゃないですよ。京都校に助っ人で一ヶ月行くんです。」





『なんだそれ。名無しさんじゃなくてもいいじゃん。』





「そうかもしれないですけど、上の采配なので仕方ないですよ。」





『…あいつら僕に嫌がらせか?』





「どうでしょうね。」





五条さんに嫌がらせかはわからないが、こんなタイミングで急遽の長期出張はあり得ない。





私個人に向けての嫌がらせではないだろうか。





青森の高級ホテルの件もあるし。






『…じゃあ一ヶ月後、帰って来れる日が分かったら教えて?』





「分りました。ところでデートの内容は?」





『デートはデート。ご飯食べたり映画見たりそんなのだけど…あれ、もしかしてラブホ』





「あーじゃあ観たい映画決めておいてください。お店は私が探しておきますので。」





良からぬことを言いそうな五条さんの言葉を遮る。





『りょーかーい!デザートが美味しい店にしてね。』





「…はい、頑張って探します。」





『楽しみにしてるよ。』





「じゃあまた連絡しますね。」





『待ってるから、気を付けて行ってらっしゃい。』





そう言って電話は切れた。











七海さんとこんな状態なのに、まさか五条さんとデートすることになるなんて。






お礼と言えども断るべきだったのかもしれない。






でも……断れなかった。





否、断らなかったというのが正しい。






私ははぁ〜と溜息を吐いて頭を抱えた。









五条さんから気を付けてなんて言葉を初めて聞いた気がする。






嬉しくて、くすぐったい。
































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