「温もりを知ったから」

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「いつまで居るんだ。」





パソコン画面から視線を上げずに、硝子は背後でだらしなく椅子に座る五条へ声をかける。









「いつまでも。」








その返事を聞いて溜息を吐くと硝子はくるりと椅子ごと振り返った。








「仕事しろ。伊地知が探してるぞ、きっと。」







「見つかったら困るんだよねー、だから匿って?避難地でしょココ。」








「勝手に決められても困るんだかな。」









「もう学長がカンカンでさー」







僕たち友達でしょ?と五条は楽しそうに口角を上げる。








「今度は何したんだ?」






「経費使ってデート。」






「またか、上への嫌がらせも大概にしろ。」






「え〜無理無理。だって嫌いだもん。」







ガキかと言いながらも硝子の顔は笑っている。








「ココに居るのは構わないが、巻き込むなよ。」







「さっすが硝子、懐が深いなぁ。」







「まーね。」







適当に返事をすると硝子は再びパソコンと睨めっこを始めた。











五条は無機質な天井を仰ぎ見ながらポケットで震えるスマホを無視し続ける。








そろそろバレるか。






そんなことを悠長に思いながら頭の中は8割方名無しさんの事を考えていた。










今何してるのかな。






昨日会ったばかりなのにもう会いたい。






怒った顔も照れた顔も笑った顔も、全部可愛い。







今まで笑顔なんて見せてくれたことなかったのに、あれからは笑ってくれるし表情が柔らかくなった気がする。







それに僕の事嫌いなはずなのに、何でキスしたこと怒らなかったんだろう。







あー、覚えてないなんて惜しいことをしたな。










名無しさんは僕とのキス。







どう思ったんだろう。

















「なぁ硝子。」








返事は無いが構わず言葉を続ける。






「好きって何なのかな。」






「…急に何だ?病気か?」






こちらへ振り返り答える硝子の表情は嫌悪感まで滲み出ている。







「ひどいな〜、でどうなの?」







多少傷つきながらも脱線しない様に話を促した。







「…まぁ好きにも色々あるだろが、今五条が考えているのは恋愛感情の好きでいいのか?」







「そう。」







「なら純粋に会いたいとか、自分だけを見てほしいとか、肉体関係を持ちたいとかそんな感じじゃないか?」







嫌な顔をしながらも律儀に教えてくれる硝子の話に耳を傾けながら、徐々にポカンと口が開いていく。






まるで自分の考えていた事をそっくりそのまま言われたかのようで言葉が出ない。









あぁ、そうなんだ。









これが……そうなのか。









僕って、名無しさんの事好きなんだ。








認めてしまえば好きという言葉がしっくりきた。










「…あまり名無しさんを振り回してやるなよ。」







硝子の口から出た名無しさんと言う名前に驚きながらも、わかってるよとやっと声を発することができた。








難解な謎を解き明かしたかのように爽快で。






反転術式でも感じたことのないフレッシュな脳が清々しい。









タイミングを見計らっていたかの様に扉の外からバタバタと足音が聞こえてきて、何故かそれが無性に笑えた。







数分前の自分と打って変わってやるきが満ち溢れている。







扉を開いて現れた伊地知にナイスタイミングと親指を立てて声をかけた。







「えっ、な、なんですか?」







それに驚いた伊地知はたどたどしく答える。








「何でもないよ。」








伊地知から向けられた視線は完全に変質者を見るソレだ。









「あぁそうだ!五条さん学長がお呼びです!」







すごく怒ってますと焦った様に言う伊地知の前髪は、汗で額にピッタリと張り付いている。







僕を探すのに走り回ったんだろう。







「ごめんごめん、今行くよ。」







そう言って素直に椅子から立ち上がると、驚いたのか伊地知は目を丸くしていた。







先ほどよりも数倍小さい声で、あ…はいと言いながら立ち尽くす伊地知の横を通り抜ける。








「硝子ありがとう。」






そう振り返って言うと、背中を向けたまま片手を上げる硝子の姿を見て避難地を出た。































































































 * * *











七海は高専の敷地内に足を踏み入れていた。







伊地知君からの呼び出しは珍しいが、昨日きたななしさんからのメールで大方理由は想像がついている。












『お疲れ様です。


 急用で数日間実家に帰ることになりました。


 お土産を渡すのが遅くなりそうです。


 色々とご迷惑をお掛けすると思います。


 すみません。


 また帰ってきたら連絡します。』











彼女は一級呪術師。






その彼女が数日間休みを取るという事は、十件以上の高ランクの依頼が急遽宙に浮いてしまった状態なのだろう。







高ランクな依頼を熟せる人材もそういないはず。







大幅な調整が入ることが容易に推測できる。







正直、仕事の事はどうでもよかった。






ななしさんの事を心配している。






あまり話を聞いたことが無いが、家族との関係は上手くいっていないのだろう。






急に数日間も休みを取れる最も正当な理由は、身内の体調不良もしくは不幸。






ななしさんは人に弱みを見せないし頼りたがらない性格だと思っている。






私としてはツライ時ぐらい頼ってほしい。






悩みを打ち明けてもらえなければ、こちらとしても無暗に動くことができない。








いや、できないのではないしないのだ。







いい歳をして拒絶されることを恐れている。







彼女の為を思うなら行動してみればいい。







そうすれば良くも悪くもななしさんの求めるものが分かるはずなのだ。








でも強引に動いたとしてそれが迷惑だったら?







嫌われてしまったら?







その考えに行きつき、結局私は立ち止まってしまう。







意気地のない情けない男だ。










そんなことを考えているともう校舎に着いていた。



















「すみません、急に呼び出してしまって。」






汗で髪の濡れた伊地知君が申し訳なさそうな表情で迎えてくれた。






「いえ、大丈夫です。」







話の内容は思っていた通りのものだった。








「ななしさんの身内にご不幸がありまして、今日、明日、明後日の三日間一件ずつ仕事を受け持ってもらえないでしょうか?」







「分りました。」







その言葉で少しほっとしたのか、今入っているお仕事もあるでしょうから場所や依頼内容を見て選んでくださいと、一覧となった画面を開いたタブレット手渡してきた。







その中からちょうどいいものを選びだす。







件数は全部で七件。






もう数件誰かに割り振った後なのかもしれない。






場所を確認しつつ候補を三件に絞った。







「この三件で良いですか?」






タブレットを傾けて伊地知君に見えるよう順に指し示した。







「分りました助かります。」







会話がひと段落したところでガラガラと扉が開き、五条さんが部屋へ入ってきた。







「あれ、七海じゃんどうしたの?」






「仕事の依頼です。」







私が答えるより早く伊地知君が答える。








「電話でよくない?」







「少し件数が多くて調整が必要でしたので。」








今度は私が答えると五条さんは納得したのか興味がないのか、ふ〜んと言いながら近くの椅子へと腰掛けた。







「五条さんにも何件かお願いします。」







先程と同じように伊地知君がタブレットを五条さんに渡す。










「へ〜ほとんど一級案件だね。誰か体調でも崩したの?」







伊地知君は私に話した内容と同じ説明を五条さんにした。









「そうなんだ。」







説明を聞き終わりそう言うと五条さんは椅子から立ち上がる。







少し雰囲気が変わった気がした。








「残りの仕事、全部僕に回して。」






「えぇ!?」






「明日の分も今日終わらせるから、明日休むわ。」






「えぇ!?ちょ、ちょっと待ってください。いくら五条さんでも無理があります!」







五条の突拍子もない発言に慌てふためく伊地知。








その制止を聞かずに話を進める五条さんに、私も無理があると口を挟もうとしたが、次の台詞で出かかった言葉を飲み込んだ。







「それと名無しさんの実家の住所教えて。」







「そ、それは無理です。個人情報ですので。」







ゴニョゴニョと尻すぼみになる伊地知に、じゃあこの依頼も受けないし僕の元あった仕事もしない、と爆弾発言。








伊地知は又もや、えぇ!?っと叫び狼狽している。







「そんな、五条さん何を言ってるんですか。」






「僕は本気だよ。どうする?伊地知。」







もうそんなことを言われてしまえば従うしか選択肢はないだろう。







「じゃあその依頼内容一覧と名無しさんの実家の住所、大至急僕のスマホに送っといて。」








そう言い残すと五条さんは部屋から出ていった。









一体どうするつもりなのか。






まさか行く気なんだろうか、ななしさんの実家へ。







私には到底真似できない荒業。







強引な行動。







男として負けた気分だった。








落ちた気持ちを隠しながら、私は泣きそうな伊地知君を慰めにかかった。


































































 * * *








私は約8年ぶりに実家へ帰って来ていた。






弟が死んだ。





病気だったらしい。





私はそれを知らなかった。





両親から一言も連絡がなかったからだ。






普通ならなぜ知らせてくれなかったんだと腹を立てるところだが、そんな感情は僅かも湧いてこない。






悲しいのかどうかも怪しかった。






唯一の姉弟だったが、あまり会話をした思い出が無いのだ。







弟の物心がつく前から、極力接することのない様に部屋を分けられて生活していた。







たまたまお昼寝をしている弟を見たことはある。






まだ小さくて頬もぷっくりしていて、口をムニュムニュ動かしながら寝ている姿は可愛かった。








弟に近づいている私に気づいた母が激怒し、近づかないでと私の頬を強く叩いた事がある。







化け物を見る様な目が忘れられない。






脳裏に焼き付いて今も消えてくれないのだ。






あれから弟に近づいた事はない。






母は私の事が恐ろしいのだろう。






どうして私みたいな子を産んでしまったのか後悔したと思う。






早く家から出て行って欲しかったのか、高専の話を聞いてすぐに入学手続きをしていた。






私はそのことを直前まで知らなかったし、反対する力もなかった。







もうこの場所に帰ってくることも、両親に会うことも無いと思っていた。







だからここに呼ばれたのが不思議でならない。
















18時から通夜が行われ、少ない親族と弟の友達が集まっていた。








私は好奇の目に居た堪れなくて、やるべきことを終わらせると隠れる様に庭に出た。







闇に煌々と浮かぶ月を眺めていると心持穏やかになった気がする。







東京と比べ、周りに高いビルも光を放つ看板もないので夜空はたくさんの星で埋め尽くされていた。






この景色は懐かしくて心地良い。






ヴーヴーっとポケットに入れていたスマホが振動して現実へ引き戻される。







確認すると五条さんからのメッセージだった。






『伊地知から聞いた。大丈夫?』






それだけの短い文。





なのに涙が溢れそうになるほど嬉しくて、安心した。






どうして五条さんは私の欲しい言葉をくれるんだろう。






大丈夫なのかと気遣うたった3文字が私の心を救ってくれる。






「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。」






とスマホに打ち込むとメッセージを送信した。









明日の葬儀と火葬が終われば、この場所から帰ることができる。







そう自分に言い聞かせ己を奮い立たせた。





















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