「温もりを知ったから」
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どうしたら喜ぶのかという質問は私を笑わせる為で。
美味しいものを食べさせてくれたり、可愛いと褒めてくれたり、その不器用さが可笑しくてくすぐったくて、嬉しかった。
五条さんはただ単純に私に笑ってほしかったんだ。
無神経で配慮の欠片もない人だと思っていたけど、少し見方が変わった。
五条さんは私が思っているよりずっと子供なのかもしれない。
力尽きて眠る五条さんの鼓動を聞いていると、抱き締められた腕から抜け出す気にもなれず、そのまま私も眠りに落ちた。
「名無しさん!」
遠くで五条さんの声が聞こえる。
「名無しさん起きて!」
今度は近くで鮮明に聞こえた声に重たい瞼を開くと、焦った表情で私の体を揺らす五条さんが見えた。
「おはようございます。」
「おはよう…っじゃないよ。」
私はボヤける目を擦る。
「あのさ、すんごい言いにくいんだけど、僕全然記憶なくて。」
あ、覚えてないんだ。
五条さんは珍しく言葉を選ぶように、慎重に話をしている。
「……もしかして、名無しさんに何かした?」
何かした、と言えばしたな。
冷たい視線を送ると五条さんは更に慌てだす。
「ごめん、本当にごめん!!責任取るよ。」
顔の前で両手を合わせドラマでありそうな台詞を口にし謝る姿に驚いて、堪え切れず噴き出してしまった。
キョトンとした表情の五条さんが更に笑いのツボに入り声を出して笑う。
「キスはしましたよ。でも私も酔っていたし、それ以上はなかったのでお互い目を瞑りましょ。」
「え、僕たちキスしたの?って言うか今笑った?」
混乱している五条さんが新鮮過ぎて、笑いましたと緩む口元を手で隠す。
その言葉を聞くなり五条さんの頬がみるみる紅に染まっていく。
眉を寄せあーと声を漏らしながら両手で顔を覆った。
「五条さん?」
「ごめん。何が何だかわからないけど、めちゃくちゃ嬉しくて。」
なんだそれと可笑しくて再び笑うと、指の間から五条さんが覗いていた。
「可愛いマジで…どうしよう。」
「それはそれは、ありがとうございます。」
ふざけて言うと、五条さんは目を丸くして顔を赤くしたままフリーズした。
私が笑うだけでそんなに嬉しいのだろうか?
何故か私まで照れてしまうのでその反応はやめてほしい。
居心地が悪くなって不自然にならない様に視線を手元へ下げた。
五条さんとのキスは不思議と嫌ではなかった。
だからといって到底許すつもりはなかったが、必死に謝る面白い姿に怒る気も失せてしまった。
責任取るってどうするつもりだったんだろ。
「ねぇ名無しさん、お願いがあるんだけど。」
「何ですか?」
「もう一回しない?キス。」
「本気で怒りますよ。」
何を言ってるんだこの人は。
人が折角穏便に話を進めているのに。
「だって名無しさんは覚えてるのに僕は覚えてないなんて寂しいじゃん。」
「言ってる意味が分からないです。私も忘れるのでそれでいいでしょ。」
「それはダメ!忘れないで。」
増々意味が分からない。
どうせ忘れることはできないだろうけど。
また不意に思い出すのが嫌だから記憶から抹消したいのに、忘れるなって勝手すぎる。
「じゃあさ、僕たち付き合う?」
まーた変なこと言い出した。
私はニコニコしている五条さんに呆れて睨み付けた。
「嫌です。」
「えーなんで?」
僕だよ?五条悟だよ?とわけのわからない事を言うのではぁと項垂れた。
「そもそも、付き合うってお互い好きじゃなければ成立しませんよね?」
五条さんは私のこと好きなんですか?と苛立ちを隠さず言うと五条はピタリと動きを止めて黙り、数秒の間をおき口を開いた。
「……好きなのかな?」
「私に聞かないでください!」
期待していたわけではないが、そんな好きかも分からない相手によく付き合おうなんて言えるなと眉を顰める。
「好きってイマイチ分からないんだよね。」
今まで人を好きにったことないからと、平然と語る五条に今度は私がフリーズした。
「…前に彼女いましたよね?」
「いたね。でも気持ちなんてないよ。僕に言い寄ってくる奴なんてどうせ顔か金目当てだろ?」
無の表情の五条さんに、かける言葉が見つからない。
触れてはいけない闇に触れてしまった気がした。
「そんな顔するなよ、別に気にしてないからさ。」
五条はそう言って笑うと、ポンポンと私の頭を撫でた。
「名無しさんは僕のこと好き?」
「好き…じゃないです。」
「そっか〜」
微笑む五条に何故か胸が苦しくなって居た堪れない。
「本当、名無しさんは面白いね。付き合うの諦めたわけじゃないから。」
そう言うと五条はベッドから立ち上がりいつもの声色で朝食たべるだろ?と確認してきた。
私は呆然としながら首を縦に振る。
「んじゃ1時間後、エレベーターの前で。」
口角を上げ言うと五条は背中を向けて部屋を出て行った。
広くなったベッドにポツンと取り残され、処理しきれていない色んな感情が頭から溢れる。
ドサッとベッドへ倒れ込み、はぁ〜と息を吐いた。
私は五条さんの事を知らなさ過ぎる。
極力関わってこなかったから当たり前なんだけど。
無神経で自分勝手で傲慢な五条さんのままで良かったのに。
私を笑顔にしようと頑張ったり。
優しく頭を撫でたり。
無理矢理キスしたり。
責任取るとか付き合うとか言ったり。
色々あり過ぎて変に意識してしまっている自分がいる。
愛も知らない、暗くて冷たくて閉鎖的で…
どこか諦めた様な態度に、チクリと胸が痛んだ。
六眼を持って生まれ、無下限呪術を使いこなし。
選択の余地もなく呪術師になり均衡をも揺るがす力は周りから崇められる。
きっと世界の見え方も違って、到底私には理解できないだろう。
最強だと言われ続ける彼は、この世に生まれてきてからずっと、孤独と戦っているのかもしれない。
私に独りではないと言ってくれた五条さんの方が何倍も孤独を経験しているんだ。
そう思うと胸騒ぎと似た感情に苛まれた。
独りの辛さは痛いほど味わった事があるから。
知らない方が良かった。
優しくしてほしくなかった。
五条さんの事は好きじゃない。
けど、嫌いでもない。
もうどうしたいのか自分の気持ちがわからない。
本当、五条さんには振り回されてばかりだ。
衝撃的な事が立て続けに起きて酷く疲れた。
約束の時間まで残り50分。
私はスッキリしたくてシャワーを浴びるため浴室へ向かった。
* * *
三階へ下りレストラン会場へ入ると、バルコニーから差し込む光彩が眩しくて目を細めた。
鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに釣られ、テーブルの上に並べられた料理を盗み見る。
朝食もビュッフェスタイルの様だ。
昨日のランチもディナーもかなり美味しかったので期待が高まる。
今朝は珍しく体が糖分を求めていたので、サクサクに焼き上げられたパンに、林檎ジャムをたっぷりと乗せて食べた。
「珍しいね名無しさんが甘い物食べるなんて。」
「たまには食べたい時もあります。」
とは言ってみたものの、内心甘すぎて調子に乗ったなと後悔していた。
「それ美味しい?高そうな瓶に入ったジャムだったよね。」
「チェックしてたんですね。林檎の果肉感もあって美味しいですよ。」
健闘し残り一口まで追い込んだそれを摘まんだまま見せる。
五条さんはふ〜んと相槌を打つと、腰を浮かせて私の持っていたパンに齧り付いた。
「なっ!」
挟み持っていた人差し指と親指に五条さんの柔らかい唇が当たり、スッとパンを引き抜いていく。
ぺろりと唇を舐め悪戯顔で本当だ美味しいねと言ってくる五条を見て、ぶわっと一気に顔中に熱が集まり、小声で何してるんですかと怒りつけた。
「あー可愛い。癖になりそう。」
反省の態度を微塵も感じない。
「いい加減にしてください!」
その態度に更に苛々して怒ると、大丈夫誰も見てないよと笑顔で返された。
いや、私が大丈夫じゃない。
そう思いながらも落ち着かない頭で一応周りを確認した。
窓際の席を選んだのが功を奏したのか、誰にも見られていなかったようで一先ず安堵する。
ね?とニコニコ嬉しそうな五条に、これ以上文句を言っても効果が無いのでもう諦めるしかない。
私が苦しんでいるのを見兼ねての行動かもしれないが、それでも気に食わなかった。
こちらの気持ちも少しは考えてほしい。
火照った顔を隠すように、口の中に残る甘さをブラックコーヒーで流し込んだ。
* * *
東京駅。
新幹線を降り混雑する人の中で五条さんと別れ家に向かっている。
やっと五条さんから離れることができた解放感に、グーっと体を伸ばした。
もう当分会う事はないだろうと思うとほっとして気分が軽くなる。
右手に提げた紙袋の中には七海さんのために買ったお土産が入っていて、連絡したいのは山々だったが色々あったので二の足を踏んでいた。
どうしよう。
会いたいのに会いたくない。
別に付き合ってもいないのに図々しく罪悪感があった。
私は何て自意識過剰な女なんだろう。
自分の思考に嫌気が差す。
今は何も考えたくなくて、家に辿り着くと洗濯をして部屋の掃除を始める。
無心で掃除機をかけ終えると気分も少しスッキリした気がした。
パソコンを開き仕事のメールのチェックをする。
数件の依頼が入っていてカチカチとクリックをして中身を確認していた。
するとテーブルの上に置いてあったスマホが振動し、もしかして七海さんかもと跳ね上がる鼓動を感じ視線を移す。
画面に表示されていたのは期待を大きく裏切る『ななし』の文字だった。
今まで一度も連絡がなかった、私からも連絡をしたことのない登録だ。
手に取ると緊張して少し手が震えた。
私は早まる鼓動を聞きながら深呼吸するとゆっくりと通話ボタンを押した。
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