「温もりを知ったから」
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教室と教室の間に設けられた談話室は、格子状の木組みの壁で区切られただけの簡易的な空間で、廊下からでも中の様子が窺える。
中を見るとローテーブルを挟んで大き目の椅子が四つ並んでいて、奥の席にすらっとした長い足を組んだ五条がマグカップを傾けていた。
「おー来た来た。」
「何の御用ですか?」
「そうカリカリするなよ、し・ご・と の話。」
人差し指を立て愉快な笑顔を浮かべた五条を見て目を細める。
「…電話で良かったんじゃないですか。」
「そうなんだけどさ、まぁ座りなよ。」
立てていた人差し指を返して五条は向かいの椅子を指さす。
仕方なくその椅子の横に荷物を置くと浅めに腰かけた。
「怪我、大丈夫?」
「はい。硝子さんのお陰で綺麗に治りました。」
「そっか、なら金曜から出張でも問題ないね。」
「出張、ですか?」
出張自体は珍しくないが、何故五条さんから仕事の事を言われるのかと首を傾げる。
「僕と二人で青森へ出張ね。」
「え、五条さんと二人!?」
不快感を顕わにした顔で言うと、その反応さえも楽しんでいるかの様に五条は口角を上げる。
「嬉しいでしょ?一泊二日の予定だからヨロシク!」
「…それって、私は必要ないですよね?」
「名無しさんと一緒がいいんだよ。」
一緒がいいってどういう事?
仕事に関係あるのか?
嫌で嫌で堪らなかったが、五条悟の言う事は覆せない決定事項なので反論する気にもなれない。
「分りました。仕事の内容を教えてください。」
「もちろん特級案件。」
怪しい笑みを浮かべながら五条はタブレットを机の上に置く。
見ると、とある温泉施設のホームページが開かれていた。
「詳しいことはまだわかってないけど、何人も死んでる。」
今は営業停止して封鎖してるよ、と言い終わるとタブレットを操作して地図の画面を開く。
「新幹線で3時間半、そこから車で約1時間。長旅になりそうだね。」
「嬉しそうにしないでください。」
ニコニコしている五条にイラつきながらタブレットの報告資料を確認する。
「ホテルは僕が抑えといたから。」
準備がいいなと思いながらお礼を述べるとスマホのスケジュールに予定を入力した。
「東京駅に7時で良いですか?」
「うん、いいよー。」
気の抜ける返事に溜息が出る。
五条さんからしたら特級案件でも全く問題ないだろう。
もしかしたら秒で片付けられるかもしれない、だけど私は違う。
生きるか死ぬかなのだ。
ひとりで行ってくれないかなと思いながらもタブレットを返して仕事と割り切り腹をくくった。
「ちゃっちゃと終わらせて美味しいものでも食べよう。」
「そうですね。」
楽しそうな五条さんを見ながら、彼が居れは死ぬことは先ずないだろうしあれこれと悩むだけ無駄だと、考えるのを打ち切った。
「では、私は帰りますね。」
「名無しさんちゃん冷たい!!」
オーバーリアクションに面倒臭くなって適当にそうなんですと返すと鞄を持って立ち上がる。
「五条さん金曜日からよろしくお願いします。」
「まっかせなさーい!」
得意げになる五条を置いて、お疲れ様ですと談話室を出るとドッと疲れが押し寄せた。
五条さんと二人で出張。
何もなければいいけど…
散々嫌がらせを受けて遊ばれてきたせいで警戒心が強まる。
帰ってゆっくりお風呂に浸かりたいな。
そんなことを考えながら校舎を出ると見知った後ろ姿に足を止めた。
「七海さん?」
「ななしさん。」
「お疲れ様です。珍しいですね高専に居るなんて。」
そう声をかけて側に行くと、大切に思っていますと言った七海の声が頭に蘇ってきた。
あの電話以来初めて顔を合わす。
私は変に緊張してジッとしていられなくて、顔にかかているわけではないのに髪を耳に掛け直すふりをした。
「お疲れ様です。少し用事がありまして、ななしさんもですか?」
「いえ、私は硝子さんの所へ怪我を治してもらいに。」
あははとかっこがつかなくて笑って見せる。
「そうですか……あまり、無茶はしないでください。」
話のテンポと低音の落ち着く声にはいと頷くと、風で靡く髪にそっと七海の手が触れた。
その七海さんらしくない行動に、目を見開くと胸がギュッと掴まれる感覚に体が強張る。
「……もう失いたくないので。」
それは大切な人を亡くしたことのある七海さんの、重みのある言葉で。
悲しげに笑う表情に居た堪れなくなって、つい体が勝手に動いた。
髪に触れていた自分よりも遥かに大きな手を握るとそれを両手で包み込む。
「七海さん、それは私も同じ気持ちです。」
死なないでほしいと言うのは簡単だけど、その約束を守る事は難しい。
だから口には出せない。
きっと七海さんも同じ気持ちなんだと思うと、心がジワリと温かくなってツライ気持ちを分け合った気分になる。
都合のいい考えかもしれないが少しでもその思いが伝わればと、私は両手を握りしめてニコリと笑いかけた。
すると、七海さんも困った様に眉根を下げ笑い返してくれてほっとする。
どちらともなく手を放して下ろすと、用事は終わったんですかと気まずくならない様に話を振る。
「今からです。」
「そうですか。」
一緒に帰ろうかと思ったが仕方ない。
「例の件、五条さんには言っておきましたよ。案の定聞き流されましたが。」
嫌がらせの件だろうが、言ってもらえただけで有難い。
「ありがとうございます。今週の金曜から五条さんと出張になったので効き目はその時わかると思います。」
「五条さんと出張ですか?」
珍しく驚いている七海にはいと答える。
「今から気が重いです。」
「……くれぐれも、五条さんには気をつけてください。」
余りにも真剣な表情で言うので、戸惑いながらも返事をする。
「お土産買ってきますね。」
「楽しみにしています。」
「じゃあ、私はそろそろ帰りますね。」
「はい、出張が終わったらご飯に行きましょう。」
「ぜひ!」
そう会話を締め括ると七海は校舎へ、私は門の方へと足を進めた。
太陽は傾き夕焼けに照らされながら階段を下りる。
生温い風が顔を撫で、気温が下がったと言えども体はしっとりと汗ばんでいた。
未だに落ち着かない鼓動を聞きながら外に向かう。
七海さんがあんな風に故意に触れてきたのは初めてだ。
ガラス細工に触れるかの様に優しく、大切なものを扱う手つきだった。
咄嗟に動いてしまったが、包み込んだ手はそんな優しく触れた手とは思えないほど武骨で、数多を戦い抜いてきた男の手で、嫌でも異性だと認識させられる。
このどうしようもない胸の高鳴りは。
つらくなる程の息苦しさは全て。
私が七海さんの事を好きだと言っている。
大切だと言ってくれた。
それは私と同じ気持ちなのだろうか。
大人になると気持ちを伝えるという事に臆病になる。
私はまだ一歩を踏み出せない。
最寄りの駅に着く頃には、辺りは夜に覆われていた。
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