「温もりを知ったから」

□06
1ページ/1ページ



















『別れよう』











ガコンッと音を立ててビタミンC1000と書かれたペットボトルが取り出し口に降った。





暗闇の中で煌々と光を放つ自販機を眺めながら、中学の卒業式の日に3年間付き合った彼から言われた一言を思い出す。





地元を離れて遠い東京まで一人で越してきて呪術高専に入学した。





家族は普通の人には見えないモノが見える私を怖がって嫌っていたし、もちろん学校でも浮いていて常に孤独だった。





だけど彼だけは私を人として見てくれて、全てを知った上で私に愛をくれた。





高専に来て半年。





この学校は私と同類しか居ないから、今は友達や先輩とも仲良くやっていけている。





そのお陰か少しずつ傷も癒えてきて彼の事も何とか自分の中で終わりにできそうだった。





ズルズルと未練たらしくて嫌気が差す。







「おーい、何ボーッとしてんの?」





ハッとして声のした方へ顔を向けると見たことのない長身の男性が立っていた。





制服とは少し違った黒の服を纏い、暗闇でも光沢のある銀色の髪、サングラスの奥に見える透き通る様な二つの蒼。





噂で聞いていたのですぐにわかった。





この人が御三家のひとり、現代呪術師最強と言われている五条悟。





初めて五条さんと会ったのはこの時だった。





目を見開いたまま反応の無い私を五条は怪しそうに眉を顰めながら見つめる。





「酷い顔、もしかして男にでも振られた?」





的を射た言葉に心臓が止まるかと思った。





五条はただ思った事を適当に口にしただけかも知れないが、初対面の女子に投げかける言葉としては辛辣で、遠慮のない無神経なところに嫌悪を感じギュッと唇を噤む。





五条は立ち尽くす私を尻目に自販機に小銭を投入すると苺ミルクのボタンを押す。





ガコンッと先程聞いたばかりの音が夜に響くと、膝を曲げて五条は取り出し口に手を入れ缶を取り出した。





動いたら怒りのせいで込み上げてきた涙が溢れてしまいそうで、私はじっと黙ったまま遠くの暗闇を見つめていた。





「ほら、遅いんだから早く寮に戻れよ。」





そう言って五条は取り出し口に残ったままになっていたペットボトルを私に差し出した。





意外な行動に驚きながらも胸の辺りに提げられたそれを受け取ると五条は何事も無かった様にその場を去っていく。





私はただ黙って闇に消えていく五条の背中を見送った。











渡された冷たいペットボトルに手の熱を奪われて痛みを感じたところで、足元がぐにゃりと歪んだ。





平衡感覚が無くなり屈み込むと身体が浮遊感に包まれる。








ふっと意識が覚醒してゆっくりと目を開くと視界に入ったのは見慣れた天井だった。








随分と昔の夢を見たな。







最近、五条さんと良く顔を合わせる様になったからかもしれない。






私は睡眠の足りていない重い頭を上げると、ベッドから足を下ろして頭を抱えた。






五条さんは初対面の印象が最悪で、あれから避けるようになったんだ。






私が彼の事を忘れられずにいたからキツく感じたのかもしれない。






今も変わらず無神経な五条さんだけど、性格を知った上で言われたなら受け止め方も変わっていたのかな。





そんな今更どうしようもない事を考えながら、完全に目が覚めてしまって寝直す気にもなれず、私は気分転換にシャワーを浴びる事にした。


























































 * * *









季節はもうしっかりとした夏で、真上に上がった太陽の日差しが容赦なく照りつけ身に付けてた黒の服に熱が吸収される。






先輩である伊地知さんの指示により、呪霊の仕業であろう噂を調査するため古びた廃ビルへ来ていた。





休憩1H 1,980円〜と書かれた看板を見るに、これはいわゆるラブホテルと言うものだろう。





屋上から下げられた怪しい横断幕は、雨風の影響か白く文字が掠れていて今にも落ちそうな程に廃れていた。







「今回の呪霊は1級程度だと思われますが、何があるか分かりませんので気をつけてくださいね。」







同じように隣で怪しいホテルを見上げていた伊地知さんが、心配そうな顔で私に視線を移す。








「ありがとうございます。気をつけて行ってきますね。」







安心させたくてできるだけ落ち着いた笑顔で言うと、伊地知さんも笑顔を返してくれた。






呪術師を目指していた伊地知さんが補助監督へ転身してから、こうして送り出してくれる度にツラそうな表情を見せるので胸が詰まる。







「では、帳を下ろします。」






背中で伊地知さんの声を聞きながら、夜に覆われていく廃ビルへと足を踏み込んだ。



















外観も酷かったが中も相当で、天井には蜘蛛の巣が張り家具や機械類は全て残ったまま。





不良が入り込んで荒らしたのか、廊下の壁にはスプレーで書いたらしい緑や赤の読めない文字が散らばっていた。







呪霊の気配を感じる部屋の前に着くと、呪力を籠めた手刀でドアノブを壊しゆっくりと重い扉を押し開く。








「うわ…」







窓のない部屋の中は、床、壁、天井、全てに渡って鏡張りになっていた。





合わせ鏡になった部分には、私が何人も折り重なって映り込み同じ格好で並んでいる。






呪霊の気配はあるのに姿が見えない。






仕方なく部屋の中へ一歩進むと引き込まれる様に奥の鏡に映る自分と目が合う。






気持ち悪さを感じた瞬間、鏡の中にいる”私”がニヤリと笑った。


























































 * * *








「これは痛そうだな。」





「痛いです。」






ぱっくりと裂けた左腕から溢れ出てくる血を清潔な布で抑えつけながら、硝子さんの前に置かれた丸椅子に座る。







「すぐに直してやるよ。」






そう言って私の腕を診てくれている硝子さんを眺めていると、伏し目がちになったせいか目の下の隈が余計に濃くなった気がした。







気味の悪い呪霊は祓うことができたが、初手の攻撃を食らってしまった。





気を付けると言っておいてこの有り様。






建物から出た瞬間の真っ青になった伊地知さんの顔が鮮明に思い出される。






悪いことをしてしまったな。









そんなことを考えていると、急にバンッと物凄い音がして部屋の扉が開いた。






「名無しさん!」





「…五条さん?」





びっくりして振り返ると、珍しく取り乱した五条さんが入口に立っていて、声を上げたかと思うとズカズカ近づいてきて腰を屈める。





「大丈夫?」





「あ、はい。」






あまりの唐突さに気圧されながら答えると、そっと右手で前を隠した。





目隠ししてるけど見えてるのかな?





私は今上半身が下着の状態だ。







「珍しいこともあるんだな。」





私たちの様子を見ていた硝子さんは少し目を見開いた後、新しい玩具を手に入れたかのように笑った。






「びっくりしたよ、伊地知から名無しさんが怪我をしたって聞いたから。」






「どうってことないですよ、こんな怪我。」






「そんなことないでしょ。って言うかいい眺めだね。」






やっぱり見えてるんだと一瞬驚嘆するも、口角を上げてニンマリと笑う五条に下劣さを感じ顔を歪める。






「…変態、見ないでください。」






「いいじゃん減るもんでもないし。」






「っ最低!!」





破れた服を投げるも、あっさりとキャッチされる。






「相変わらずクズだな。治療の邪魔だから出ていけ。」






硝子さんがそう言うと五条は、はいはいと素直に返事をして踵を返す。







すると部屋の外からバタバタと足音がして、開きっぱなしになっていた扉の前に伊地知さんが顔を出した。








「五条さん!」







顔面蒼白と言う言葉がしっくりくる顔でそう叫ぶと、五条の後ろにいた私の姿を見て今度は顔を真っ赤にさせた。






「す、すみません!!!」





顔を伏せて必死に謝る伊地知さんに、五条さんと温度差があり過ぎて逆に申し訳なくなる。






「伊地知、後でマジビンタな。」






少しトーンが落ちた五条の声に怒気が混じっているような気がして見上げると、私が投げた服を肩から掛けてくれた。







「えぇ!!!いや、それ相応の事をしたので致し方ありません。」






額から汗を垂らした伊地知さんの肩を掴むと、五条は治療の邪魔だから行くよと連れて出ていった。





扉が閉まると部屋の中は嵐が去った後のように静まりかえる。







硝子さんは呆気に取られていた私の腕に触れると治療を再開した。











「五条にかなり気に入られてるみたいだな。」






「え!?どこがですか?」






思いがけない言葉にゾッとする。






「……名無しさんも案外鈍いんだな。」






作業の手を止めずにそう言うと硝子さんはチラリと私を見た。







「好きな子程いじめたくなるタイプだろ?五条は。」






正に青天の霹靂。





頭上から爆弾を投下された気分だ。






苦虫を噛み潰したような顔をして固まる私に、硝子さんは私の見解だがなと補足を付け加える。







「あんまり振り回されないように気を付けなよ。」













この間から一体何なんだ。








心臓が何個あっても足りないくらいの驚きの連続。







でもこれは硝子さんの見解だから、五条さんは私を好きなんかじゃないと思う。








ただ揶揄って面白がってるだけ。







うん、きっとそうだ。









私は五条さんが肩に掛けてくれた服をギュッと握ると何度も自分に言い聞かせた。









「よし、終わったぞ。」








硝子さんは慣れた手つきで血の付いた布を掴むと包み込む様に手袋を外し、一纏めにしたそれを側にあった蓋付きのゴミ箱へと捨てた。







手際が良いなと思いながら首を傾けて傷口を確認すると跡も無く綺麗に塞がっていた。







「ありがとうございます硝子さん。」






こうして怪我を治してもらう度、反転術式の凄さには目を見張る。











服が破れて血が付いていたのでそのまま帰るわけにもいかず、医務室を出ると更衣室にストックしてあったTシャツとパーカーに着替えた。






下は黒のパンツだったので目立つほどには違和感はない。







とりあえず伊地知さんに挨拶をして帰るかと更衣室の鍵を閉めると、ポケットに入れていたスマホが振動した。









見るとメッセージが一件。






五条さんからだった。







嫌な予感がしたが確認しない訳にもいかずやむなくメッセージを開く。









『談話室集合』










何の説明もなく、此方の都合も考えていない簡略な五文字。






私は深く息を吐くとスマホをポケットに入れて談話室へ向かった。




























.
次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ