「君の手をとるまで」

□23.苦手なものの段
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-苦手なものの段-



「おはようございます、ななしさん!」

「おはよう!」


 朝ごはんを食べに食堂へ向かうのだろう、着替えを済ませた下級生たちが続々と廊下に顔を出していた。

溌剌とした声に応えながら、ななしは箒を持って正門へ向かっていた。

生徒よりも一足早く活動を始めるのは、朝の混雑を回避するためには必須だ。

日が昇れば起きるし沈めば眠る。

そんな生活が、もうなんの違和感もなく身体に染み付いていた。

健康的な生活のお陰で体調がすこぶる良い。

体が軽くて自然と活力が湧いてくる。

だが、今日は例外だった。

スッキリした目覚めは無く、重い目蓋との闘いを繰り返し欠伸を噛み殺していた。

昨日は、眠れなかったからだ。

原因はわかっている。

土井半助。

彼の事が頭から離れず眠れなかった。

むず痒い空気が未だに肌を撫でている気がする。

なんであんなこと言っちゃったんだろう。

小さく溜息を吐くと、更に気力が失われていく気がした。


「おはようございます。」


 背後からの挨拶にななしは掃除の手を止めて振り返った。

そこには出掛ける準備を整えた留三郎の姿があった。


「食満くん!おはよう。こんな朝早くからどこかに出かけるの?」

「下級生の課外授業に備えて現地確認に行ってきます。」

「課外授業……」

「はい。まぁ実のところは、現地確認という名の課外学習ですよ。俺たち六年生の。」


 その言葉とともに校舎からはぞくぞくと六年生が集まってきていた。

こちらに気が付いた伊作くんたちが笑顔で駆け寄ってくる。


「おはようございますななしさん。」

「おはよう伊作くん。」


 前日が予算会議だったことを感じられないくらいに、みんな疲れ知らずの清々しい表情をしていた。

潮江くんも昨夜はよく眠れたのか隈の存在感が薄くなっている。

良かったと安心して頬が緩んだ。


「全員そろったことだし、出発するか。」


 留三郎の言葉に事務員として見送らねばと、ななしは潜戸の閂を外した。


「気を付けていってらっしゃい。」

「ありがとうございます。いってきます。」


 軽く会釈をして彼らは次々と門の外へ出て行く。

最後まで残っていた仙蔵は潜戸を出ずにななしの前で足を止めた。

そして、ななしの手に巻かれてある包帯を見て頭を下げた。


「仙蔵くん?」

「作法委員会の落とし穴で怪我をされたと聞きました。申し訳ありません。」

「あ、いや、これは私の不注意というか知識不足が引き起こしたことだから。だから気にしないで。」


 作法委員会委員長として、怪我を負わせてしまったことに責任を感じているのだろう。

仙蔵は尚も沈痛な面持ちだった。


「仙蔵くんにそんな顔させて、私の方こそ申し訳ないよ。仕掛け罠のサインを見落とさない様に、今度からは気を付けるから。」


 少しでも彼の気持ちを和らげようと明るく笑って見せる。

ななしの思いを汲み取ったのか「ありがとうございます。」と仙蔵は頬を緩めた。

いつもの空気に戻って安堵の表情を浮かべていると、包帯の巻かれた手に仙蔵がそっと触れた。

まるで壊れ物を扱うように優しく。


「不便をかけます。困りごとがあれば気兼ねなく私に仰ってください。」

「……はい。」


 これは果たして、私に向けられて良いものなのかと疑う程の優しい微笑みだった。

完璧すぎる対応に直立不動になる。


「では、いってきます。」


 ハッとして、慌てて「いってらっしゃい。」と言った。

六年生全員を見送り、パタンと潜戸を閉める。

ななしは考え込むように手を顎に当てた。

もしかして私って男性に対しての免疫が低すぎるのかな。

それともこの忍術学園に美丈夫が多すぎるのか。

そんな事を考えながら中断していた掃除を再開した。


 





 


 * * *



 事務室で先程届いた手紙の振り分けをしていると、吉野先生がちょいちょいと手招いて私と小松田さんを呼んだ。


「小松田くん、名無しさん。」


 側に行くと一枚の紙を手渡され、そこには課外授業の詳細と書かれていた。

今朝の六年生との会話が思い出される。


「私たちにも役割が振られてしまいました。」


 そう言って吉野先生は「はぁ〜」と肩を落とす。

巻き込まれたかのような言い回しに、仕事を押し付けられたのかなと苦笑いしてしまった。


「中継地点を生徒たちが通過したか確認する係のようです。申し訳ないのですが、小松田くんと名無しさん二人でお願いできますか?」

「は〜い、わかりましたぁ!」


 小松田さんの気の抜ける返事に、吉野先生は再び心配そうに溜息を吐く。


「難しい仕事ではないので大丈夫だとは思いますが……何かあれば他の中継地点にいる先生に頼ってください。」


 ななしはコクリと頷いて、吉野先生の不安が軽くなればと、力強く「頑張ります!」と伝えた。

課外授業についての話が終わり、小松田さんは落とし紙の補充に、私は手紙を配りに事務室を出た。

 今は座学の授業中で、生い茂った葉の擦れる、風の音だけが聞こえる。

子どもたちの賑やかな声のする校舎も好きだが、自然の音だけが聞こえる静かな校舎も好きだ。

穏やかな時間を満喫しながら順調に手紙を届け終え、残るはこの土井先生宛の一通だけとなった。

少し前にお昼休みを知らせる鐘が鳴ったので、部屋に戻っているはずだ。

ななしは気まずい空気にならないかなと心配しながら、教員長屋へと向かった。

閉まっている障子の前で「事務員の名無しです。」と名乗ると、中から「どうぞ。」と土井先生の声が返ってきた。

少しだけ緊張しながら扉を開ける。

山田先生は不在のようで、土井先生は書き物の手を止めてこちらへ振り返った。


「失礼します。」

「名無しさん、どうかしたのかい?」

「お手紙を届けにきました。」


 ななしは半助の隣りに膝をつくと手紙を手渡した。


「ありがとう。」


 そう言って微笑む土井先生に少しだけ脈が早まる。

部屋に入る前に、昨日のことは意識しないようにしようと決めたのに。

つい視線が泳いでしまった。


「どう手の調子は?」

「え?あ、えっと、動かすと少し痛みますが大丈夫です!」

「そう、なら良かった。無理は禁物だよ。」

「はい! 心配してくださってありがとうございます。」


 いつも通りの土井先生にホッとして、緊張の糸が緩むように冷静になった。

あぁ、意識しているのは私だけかもしれないと。

そう思うと胸の奥からどうしようもない羞恥が湧き上がる。

私は居た堪れず、早く部屋を出ようと腰を浮かせた。


「では……」

「あの!」


 咄嗟に、半助は中腰になったななしの腕を掴み、離れていく体を引き留めた。

驚いた瞳がしっかりと私の顔をうつす。


「あっ……」


 半助の頬が少し赤らみ、自身の行動に戸惑うように「すみません。」と小さく呟いた。

その姿が意外で、掴まれた腕から甘い痺れが流れる。

ななしの胸は制御を失ったかのようにバクバクと音を立てていた。


「お昼、一緒に食べませんか?」


 そう控えめに尋ねられ、私は動揺を隠すために精一杯に頷き「ぜひ、行きましょう。」と言った。











 * * *



 Aランチが鮎の塩焼き、Bランチが筑前煮。

食堂の入り口で私たちはメニュー表を見上げている。

今の季節の若鮎は骨も柔らかく美味しい。

おばちゃんの作る筑前煮も、鶏肉と根菜たちの甘辛い味付けが絶品だ。

一日の中でこのメニューを選んでいる時間がとても幸福な気持ちになる。

そして、更に今は隣に土井先生がいて。

なんて幸せなひと時なのだろう。


「私はAランチにしようかな……名無しさんはどちらにしますか?」

「そうですね、じゃあ私はBランチにします!」


 生徒の列に混じってランチを受け取り、空いている席に腰を下ろした。

立ち昇る湯気とともに美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。

前日よりも手を動かせるようになったので嬉々と箸を持った。

そして、ふっと気になって向かいに座る土井先生を見た。

そこには萎れた枝葉のように頭を垂れ、お盆に乗る料理を凝視ししている土井先生がいた。

何か恐れているのか体をフルフルと震わせている。


「土井先生、どうされたんですか?」


 その余りにも不自然な挙動にななしは少しだけ焦りを浮かべた。

ゆっくりと顔を上げた半助は、恐ろしいものでも見たかのように顔を青くしている。

僅かに瞳も潤んでいた。

どうしたのだろうと眉を顰めると、半助は震える指先で自身の前にある小鉢を指差した。


「お恥ずかしいのですが、練り物が大の苦手でして。」


 半助の選んだランチには小鉢に竹輪の磯辺揚げがあった。

普段の頼もしい土井先生からは想像もつかない弱々しい声に、私は目を見張る。

その可愛らしい一面に、胸の中心がじんわり温かくなって、こそばゆい気持ちになった。

ななしはクスッと笑いそうになるのを堪え、半助の体裁を保つために口元に手を当て内緒話をするように体を乗り出した。


「私の小鉢と交換しましょう。」

「えっ!?」


 ありがたいことに、私のランチの小鉢は冷奴だった。


「いいんですか?」

「もちろん!」


 ななしは半助の言葉を肯定と受け取り、生徒や食堂のおばちゃんに気づかれないようにサッと小鉢を入れ替えた。

半助は入れ替わった小鉢からななしへ視線を上げると、まるで命を救われたかのような表情で「ありがとうございます。」と言った。

役に立つことができたとななしは微笑んで、早々に磯辺揚げを平らげた。


「土井先生にも苦手なものがあるんですね。」

「あはは、いい大人が格好悪いですよね。」

「そんなことないですよ。ただちょっと意外だっただけで、私は新しく土井先生のことが知れて嬉しいです。」


 そう言って心から嬉しそうに笑うななしに面食らって、半助は緩んでしばらく戻りそうにない口元を隠した。


「名無しさんは苦手なものがあるんですか?」

「う〜ん……私は食べ物ではないんですが、虫とお化けですかね。」

「お化け、ですか?」

「はい。私の方が子どもっぽくて格好悪いです。」

「いえそんな……可愛らしいと思います。」

「かわっ……!?」


 真剣な顔で言うので、ななしは驚いて飲んでいたお茶を溢しそうになった。


「では夜の一人部屋は心細いのではないですか?」

「……そうですね、ちょっとだけ怖い時もあります。」


 人によってはバカにされそうな話だが正直に言うと、半助は険しい顔つきで真面目に聞いてくれていた。


「不安になった時はいつでも呼んでください。私は隣の部屋にいますので。……あぁ! いやっその、夜は呼びにくいですよね。すみません!」


 半助は自分の言った言葉に動揺して、あわあわと手を泳がせた。

その反応が土井先生の優しさや誠実さを表しているような気がして、彼のことが心底愛おしく思えた。

ななしはついに堪え切れず、くすくすと声を漏らしてしまった。


「名無しさん?」

「笑ってしまってすみません。なんだか胸がぽかぽかと温かくなりました。」

「そっそれなら良かった。」


 ななしの言葉で安堵したのか、半助は肩の力を抜いて脱力した。


「じゃあ……もし、どうしても怖くなったら、土井先生を呼んでもいいですか?」

「え!?」


 自ら言い出したことだが、まさかのななしからのお願いに半助は目を丸くする。


「やっぱりダメですかね?」


 苦笑いを溢すななしを見て揶揄っている訳ではないと分かると、半助は眉をハの字に下げ微笑んだ。


「その時は、呼んでください。」

 





2024.02.05
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