「君の手をとるまで」

□21.仕掛け罠のサインの段
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-仕掛け罠のサインの段-



 予算会議当日。

ななしはいつもと変わらず事務室にいた。

廊下ではバタバタと騒がしく生徒が走り回っている。

何とかして会計委員会から予算を取ろうと、生徒たちは準備に追われているのだろう。

あの潮江くんたちが相手なので簡単にはいかなそうだが。

対してここは静かなものだ。

吉野先生は用具委員会のところへ、小松田さんは学園長に呼ばれ庵へ、事務のおばちゃんは食堂のおばちゃんと町へ出掛けてしまった。

みんな出払っていて寂しさまで感じる。

午後は仕事が特にないので、予算会議がどんなものなのか見学に行こうと、会場になっている安藤先生のお部屋へ向かう事にした。

ちなみに安藤先生のお部屋は小松田さんに教えてもらった。

忍術学園はその名の通り忍者教育をする特殊な学校なので、防犯の面で正式な校内図がないのだ。

口頭で聞いただけだが、おおよその場所は頭の中に浮かんでいるので問題はない。

ななしは気分良く事務室を出ると、廊下の下でもぞもぞと動く頭らしきものが見えてギョッとした。

あれは紺色の頭巾。


「五年生だよね?」


 誰に問うでも無くそう言うと、ななしはゆっくり縁の下を覗き込んだ。


「うわぁ!!……っ」


 地面を見ていてななしの存在に気が付かなかったのか、目が合った瞬間に八左ヱ門は驚いて頭を縁側にぶつけた。

「いてて……」と頭を押さえている竹谷くんに私は焦った。


「ごめん竹谷くん!大丈夫?」


 八左ヱ門は縁の下からでると、きまり悪そうに笑った。


「あはは……全然大丈夫です、気配に気が付かなかった俺が悪いので。」

「そんな、私が声を掛けなかったから。」


 ななしが「ごめんね。」と肩を落とすと「声を掛けられても驚いてぶつけていましたよ。」と八左ヱ門は歯を見せて笑った。

竹谷くんの優しさにホッとして頬が緩む。


「ところで、どうして床下に潜っていたの?」

「あぁ……実はジュンコを探していて。」

「ジュンコ?」

「はい、毒蛇のジュンコです。」


 でたーー!!毒持ちのペットシリーズ!


「そ、そっかぁ〜大変だね。」


 平静を装いながらも、私の顔は引きつっていただろう。

八左ヱ門はそんなななしの様子には気が付かず、腕を組んで「ほんと毎回探すのが大変で。」と眉間に苦労を滲ませた。


「竹谷せんぱーい!!」


 中庭の方から一年生の三治郎が駆けてきて、私たちは揃って視線を向けた。


「あ、ななしさんこんにちは。」

「こんにちは。」


 こんな時でも挨拶をしてくれる一年生に心が温まる。


「どうした三治郎?」

「ジュンコを中庭で見かけたと情報が入りました。」

「本当か!?」

「今、伊賀崎先輩が探してます。」

「俺たちも探しに行くぞ!」

「はい!」

「名無しさん失礼します!」

「うん、頑張って!」


 「はい!」と返事をしてぺこりと頭を下げると、二人は中庭の方に消えていった。

……よーし、中庭は絶対に通らないようにしよう。

ななしは遠回りになるがルートを変更して会場へ向かう事にした。

確か竹谷くんは生物委員会の委員長代理のはず。

予算会議には出席しなくて良いのだろうか?

そんな疑問が浮かんだが、毒蛇捜索の方が最優先事項だろうと自己完結した。

 煙硝蔵の前までくると人気が一気に無くなり、もう皆んな安藤先生のお部屋に集まっているんだろうなと自然と足が早まった。

蔵の横を進んだところで、変わった形の葉が風で舞うのが見え、それを何となく目で追っていると突然に足元の地面が消えた。


「えっ!?」


 間の抜けた声と共に、私は暗い穴の中へ吸い込まれた。

ズドンと大きな音がして背中に鈍痛が走る。

痛みで数秒息が止まった。


「っ……」


 声にならない呻きが漏れ、目頭からじわっと涙が滲む。


「…………痛い。」


 やっと絞り出た声は実に弱々しかった。

身体を動かすと右手がズキッと悲鳴を上げ、反射的に身が丸まる。

噂には聞いていたのだ。

学園内にはたくさんの罠が仕掛けられていると。

幸いにも、今までは罠に掛かることなく過ごせていたので、その事がすっかり頭から抜けていた。

これが綾部くんの落とし穴かぁ。

見上げると綺麗な青空が見えた。

まさか自分が落とし穴に落ちるなんて。

頭の中が軽くパニックを起こしている。

この辺りは今まで通ったことが無かった。

注意して通るべきだったな。

タイミングの悪い事に、今日は予算会議でこの辺りに人気は無い。

呑気に見学に行こうなどと思っていたのが悔やまれる。


「事務室で大人しくしていれば良かった。」


 ななしは凹凸のないツルツルに掘られた壁面にもたれかかり、雲一つない空を見上げた。

この壁を登る筋力も技術も道具もない。

自力での脱出は不可能だ。

誰か通らないだろうか?


「すみませーん!誰かいませんかー?」


声を掛けてみたが虚しく穴の中を反響するだけだった。

諦めて息を吐くと、何とも言えない静寂に包まれた。

微かな風音と小鳥の囀りが聞こえるだけだ。

湿った土の匂い。

ひんやりとした空気。

ぼんやりとした仄暗さ。

時間が止まった様な不思議な感覚がした。

何故なのかわからないが、守られている様な安心感まであった。

案外、落とし穴の中も悪くないかも。

目を閉じてゆっくり呼吸すると、自然と落ち着きを取り戻していた。

きっと誰かが気づいてくれる。

そう信じて、私はしばらくの間、座ったままじっとしていた。


「そこにいるのは……名無しさん?!」


 頭上から声が降ってきたのは、それから半刻ほどが経った頃だった。

膝に埋めていた頭を上げると、驚いて目を丸くした土井先生が見えた。


「大丈夫ですか?!」


 声色で焦りが伝わってくる。


「大丈夫だと言いたいところなんですが、背中と手首が痛くてここから出られそうもなくて、助けていただけないでしょうか。」


 情けなくも正直に言うと、土井先生は何の躊躇いもなく穴の中へ降りてきた。

シュタッと効果音が付きそうな華麗な着地。

てっきり上から引き上げられるのだと思っていたので、意表を突かれた。

穴の中は狭く、二人で入ると身体が触れそうになる。

半助は片膝を地面についてななしと視線を合わせた。


「不安でしたよね、もう大丈夫です。」


 優しく笑った土井先生を見て、絶対的な安心感が胸を満たした。


「土井先生……」


 何とかなる、心配しなくても大丈夫だとそう思っていたのに、思わず涙腺が緩みそうになって寸前で堪えた。


「よく頑張りました。」


 そう言って半助は、は組の生徒にするように、ポンポンとななしの頭を撫でた。

あぁ、この手……好きだなぁ。

これは土井先生の癖みたいなものなのだろう。

大きな温かい手に撫でられると、胸がむずむずして、嬉しくて、ホッとするのだ。

緩んだ頬が恥ずかしくて視線を逸らすと、土井先生は「あ、つい……すみません。」と苦笑いを溢し頭の上から手を上げた。


「いえ、嫌じゃないんです!」


 離れていった手に寂しさを感じて、咄嗟に本音が出てしまった。

食い気味に迫ってしまい、しまった!っと身体が固まる。

半助はななしの気迫に目を見張った。

私も土井先生に負けず劣らず、これでもかと目を見開いている。


「ど、土井先生に頭を撫でられると、落ち着くので、その……嫌じゃないです。」


 頭の中は羞恥で真っ白だった。

恥ずかしくて今すぐにでも消えたい。

言い訳をする精根も尽きて項垂れると、土井先生は堪らずといった感じで噴き出し「あはは」と声を出して笑った。

私は恐る恐る顔を上げて土井先生の顔を窺う。

涙を浮かべて笑う土井先生の笑顔に、思いがけず胸が鳴った。

煩い鼓動を隠すため私はキュッと唇を結ぶ。


「嫌がられてなくて良かった。必死な名無しさんが可愛くて……笑ってすみません。」


 人差し指で目尻に溜まった雫を拭うと、土井先生は眉をハの字にして微笑んだ。

なんて人だ。

サラリと可愛いとか言って。

優しくてカッコよくて、狡い。


「少し身体に触れます。痛かったら言ってくださいね。」


 半助はそう断りを入れると、ぼーっとしていたななしの身体を横抱きに持ち上げ、難なく穴から出た。


「わっ!」


 ななしの驚きの声に、半助はどこか満足そうに微笑む。


「このまま医務室に行きますね。」

「わたし、歩けます!」


 数日前の事が思い出され透かさず言うと「この辺りは作法委員会の作った罠だらけですよ?」と半助は扇動的に言った。

ななしは「え!?」と驚き周りを見渡す。

しかし、一つとして罠の痕跡を見つけることができなかった。

下してもらう事は早々に諦めて、私は「お願いします。」と素直に土井先生に身体を預けた。

半助はにこりと笑うと歩みを始め、そして、優しく語り掛ける様に口を開いた。


「そこと、それと、あっちも……全て罠在りサインです。」


 木の枝に小石、木の葉。

教えてもらったが、どれも日常で目に留まるものではなかった。


「こんなに罠があるなんて知りませんでした。私には見つけるのが難しそうです。」


 ななしは参って苦笑いを浮かべた。


「今日は予算会議があるので特別多いんです。他の委員会を足止めするために作法委員会が仕掛けているんですよ。」

「そうなんですね。」


 無知な自分が恥ずかしい。

学園生活に慣れてきたと思ったらこれだ。

事務員としてもっと学ばなければいけないなと反省した。


「忍者の罠なんて、普通に生活していれば馴染みのないものですからね。」


 落ち込んでいるななしに、半助は知らなくて当然だと諭した。


「ただ、学園内で生活する以上、少しずつ慣れて覚えていって欲しいです。名無しさんには怪我をして欲しくないので。」


 余りにも土井先生が優しくて唖然としてしまった。

土井先生が如何に素晴らしい教師なのかが身にしみて分かった。


「頑張って勉強します。」

「名無しさんさえ良ければ、時間のある時に教えましょうか?」

「え?!いいんですか?」


 願っても無い申し出に、つい声が大きくなってしまった。

土井先生はクスクスと笑って「もちろん。」と頷いた。


「ありがとうございます!よろしくお願いします。」


 嬉しすぎて、笑われた事なんて気にもならない。

土井先生の授業は常から受けてみたいと思っていたので、今からワクワクして胸が高鳴った。

早く教わりたいと思っていた気持ちが表に出ていたのか「意欲的なのは嬉しいですか、先ずは怪我を直してからですよ。」と釘を刺され、ななしは「わかりました。」と赤面した。

 それにしても、危ない仕事をしている訳ではないのに、私は医務室でお世話になり過ぎではないだろうか?

保健委員会の子たちに厄介者と思われていないか不安になる。

医務室に着くと予算会議で保健委員会の子たちは不在で、新野先生が怪我を見てくれた。

背中は打撲、右手首は折れている訳ではないが捻挫で、しばらくは過度に動かさない事と言われた。

仕事に支障が出そうで落ち込む。

利き手が使えないのはツライ。

土井先生は診察の間も側にいてくれて、まるで自分のことのように熱心に新野先生の診断を聞いていた。

処置が終わり新野先生にお礼を言って医務室を出ると、土井先生は眉を寄せて難しい顔をしていた。


「利き手が使えないとなると、大変ですね。」

「そうですよね……でも、全く使えない訳ではないので、何とか頑張ります。」


 半助はななしの顔を見てしばらく黙ると「一緒に夕飯を食べませんか?」と言った。

不意な誘いにななしは驚きを隠せずポカンとした。
 

「その手では夕飯を作るのも一苦労でしょう。」


 ななしの手に巻かれた包帯を見て半助は言った。

土井先生の気遣いはとても嬉しい。

嬉しいのだが、迷惑じゃないだろうかと返事を躊躇った。

すると、半助は優しく目を細め「名無しさんと一緒に食べるご飯は特別美味しいでしょうね。」と言った。

眩しいくらいの眼差しに、直視するのもままならない。

私の心臓はものすごい勢いで脈打っていた。

そんなことを言われたらイエスと答える他ない。

ななしは顔が火照っているのを感じながら「一緒に作ってください。」とお願いした。


「決まりですね。」


 半助は嬉しそうに笑い「日暮れ頃に名無しさんの部屋へ伺います。」と言った。

ななしはありったけの感謝を込めて「ありがとうございます!」と頭を下げた。








2022.11.24
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