「君の手をとるまで」

□18.新たな一面の段
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-新たな一面の段-



 肩を並べ食堂へ入ってきたのは、キリリと真剣な表情を浮かべた山田親子だった。

仕事の話をしていたのだろうか。

利吉はななしを見るなり足を止め会話を中断した。


「名無しさん?」


 ついさっきまで、緊張してしまうくらいの鋭い目つきをしていたのに、今はもうその面影はなく丸く見開かれている。

割烹着に加えて髪型も変わっているので驚いているのだろう。

ななしは「こんにちは、利吉さん。」と笑って見せた。

「あぁ……こんにちは。」と、利吉は気の抜けた様な感じで答えた。


「なんだか今日はいつもと雰囲気が違いますね。」


 案の定の言葉に、私は「髪を短くしてみました。」と三角巾の下から少しだけ出た毛先を摘まむ。


「ほんとだ。すごくか……こほんっ、似合っています。」


 言い直した感じがしたが、ニコリとした利吉さんの笑顔に、気にしないことにした。

側で利吉とななしのやり取りを見ていた伝蔵は微笑むと「お茶をお願いできませんか?」と近くの席に腰掛けた。

山田先生のお願いだ。

もちろん快く引き受けてお茶の用意をする。

淹れたてのお茶を二人の元へ運ぶと、利吉さんが憂わしげな表情で見上げてきた。


「あの、今日のランチは終わってしまいましたか?」


 表情を見ただけで、おばちゃんのランチを楽しみにしていたのだろうなと言うのが伝わってくる。

すごく言い難い。

言い難いが「終わってしまいました。」と正直に伝えた。

一応の確認だったようで、利吉さんは「ですよね。」と眉尻を下げた。

もし終わっていなくても、今日は私と小松田さんの作ったランチだったので、利吉さんの願いは叶わずだっただろう。

せっかく来てもらったのにとても残念だ。

すると、ズズズとお茶を啜っていた山田先生が口を開いた。


「残念だったな利吉、今日は名無しさんの作ったランチだったのに。」

「え!」


 利吉の不意な叫び声にななしの肩はビクリと跳ねた。

山田先生!

わざわざ言わなくていいのに!

別に隠していた訳ではないが、少し後ろめたさを感じてしまった。


「名無しさんが作ったんですか?」


 利吉さんが確認する様に問うてきた。


「……そうだったんです。」


 気まずく思いながら言うと、タイミングを見計らったかの様に私の腹の虫がグーっと鳴いた。

女らしからぬ、容赦の無い音量だった。

周りが静かで誤魔化すこともできなかった。

二人はキョトンと目を瞬かせている。

はっ、恥ずかしい!!

咄嗟に顔を隠す松千代先生の仕草が出たくらいだ。

非常に居た堪れない。

顔から火が出そうだ。


「その、お昼を食べ損ねてしまって……」


 苦し紛れに言うと、ふっと山田先生が優しく笑った。


「お腹が空いてるなら、利吉とうどんでも食べに行ったらどうです?」

「「え!?」」


 山田先生の予想外な提案に、私も利吉さんも声を上げて驚いてしまった。


「何を言ってるんですか父上。」


 プロの忍者から困惑が伝わってくる。

いつも冷静沈着な利吉さんにしては珍しい。

言わずもがな私も困惑しているのだが。

二人で出掛けるのが嫌とかではなくて、心の準備とか色々と必要なのだ。


「利吉も昼を食べにここへ来たんだ、食べ損なった者同士ちょうど良いじゃないか。」


 山田先生は何故か満面の笑みを浮かべている。


「あのー、私まだ仕事が……」

「小松田くん一人でもどうにかなるだろう。私から言っておくよ。」


 そう言われてしまえば断る理由も無くなってしまった。

山田先生にしては少々強引な気がしたが。

判断を委ねる様に私は隣に立つ利吉さんを見上げる。


「分りました。父上がそこまで言うのでしたら。」


 行きましょう、と利吉さんは微笑んで私を見た。

何だかんだ出掛けられる事が嬉しくて、私は「はい!」と大きく頷いた。

 それからは、私は身支度するために二人と別れ一度自室へ移動した。

着替えをして髪を簡単に手櫛で整える。

支度が済んだら教員室へ迎えに行く事になっているので足取り軽く自室を出た。













 * * *



「では父上、行って参ります。」


 門の前まで見送りに来てくれた山田先生に一礼し、利吉さんは門を出た。

私も「行ってきます。」と声を掛けると、山田先生が眉をハの字にして「ありがとう。」と言った。

お礼を言われることは何もしていないと思うのだが。

ななしが頭に疑問符を浮かべていると、伝蔵は優しく微笑んだ。


「最近仕事詰めだったようでな、利吉も良い息抜きになるだろう。もちろん名無しさんも。」


 楽しんでおいでと、送り出された。

山田先生の優しさに胸がジーンとした。

自分の子なのだから当たり前かもしれないが、利吉さんの事をとても大切に思っているのだ。

父親としてしっかりと見守っているのだなと感動してしまった。

ななしが少し遅れて門を出ると、利吉が不思議そうに首を傾げた。


「どうかしましたか?」


 こうして意識して利吉さんを見ると、食堂で会った時よりも随分と空気が柔らかくなっている気がした。

私の様な平凡な人間でも役に立てるのだ。

平凡な人間だからこそかもしれない。

それが何だか妙に嬉しくて頬が緩んでしまった。


「何もないですよ。さぁ、行きましょう利吉さん!」


ななしが歩を進めたので、利吉もおのずと歩みを始めた。

町へ着くと、早速、利吉さんおすすめのうどん屋へ向かった。


「前にしんべヱに教えてもらったお店なんです。出汁が甘めでとても美味しかったので。」

「そうなんですね!楽しみです!」


 外でご飯を食べる事なんて滅多にないので、私は嬉しくて終始心が躍っていた。


「ふふっ楽しそうで何よりです。」


 感情が漏れ出ていたのだろう。

優しい眼差しで笑みを向けられ、急に羞恥が湧き上がった。


「名無しさんの笑顔を見ていたら心が洗われます。」


 利吉さんの表情はとても穏やかだった。

だからこそ本心なのだと分かる。

ドキッと胸が鳴り顔が熱くなった。


「利吉さんにそう言ってもらえると嬉しいです。」


 照れ臭くて目を逸らすと、利吉さんはクスッと笑った。

しばらく両脇に並ぶ店を眺め歩いていると、目的のうどん屋は町の中心にあった。

お昼にしては時間がズレていたお陰か、並ぶこと無くお店に入る事ができた。

おすすめ通り、うどんは腰があって甘いお出汁で、すごく美味しかった。

おかわりしたいくらいだったが、動けなくなっては困るので渋々我慢する。

つい無心で食べてしまったな。

せっかく利吉さんと一緒に来ていたのにと、食後のお茶を飲みながら反省した。


「すみません、美味しくて無心で食べちゃいました。」


 ななしが謝ると、利吉は「私もですよ。」と満足そうにニッコリと笑った。


「この後、良ければですが、前に言っていた紅を買いに行くのに付き合ってもらえませんか?」


 わざわざ町まで出てきたのだし、少しくらいなら遅くなっても問題ないだろう。

私は二つ返事で答えた。

紅を置いた店は意外と近くにあって、ななしは利吉の隣で店内を珍しげに眺めた。

紅は白い合わせ貝に入っている。

磨かれた貝殻はどれも綺麗で、女子が好きそうなものだった。

山田先生にお化粧道具は一式借りているので、お店に来るのは初めてなのだ。

利吉さんは迷わず店主に声を掛けて紅を買っていた。

私が居なくても問題なさそうなくらい自然だし堂々としている。

店主もニコニコしていて、男が化粧品を買う事を気にしていないようだ。

とりあえず私は利吉さんの一歩後ろで静かに待機する。

誰もこんなイケメン男子が女装をするなんて想像しないだろう。

さぞ美人になるんだろうな。

一度でいいから見てみたい。

利吉さんの女装。

 そんな事を考えていると、お会計が終わったようで、店主が私に笑顔を向けた。


「奥さん、いい旦那さんだね。」

「お……」


 奥さん!?

完全に油断していた。

周りからはそう見えるのかと、私はドキドキ焦りながら直ぐに笑顔を取り繕った。

不審に思われない様に「はい、一緒になれて幸せです。」と言ってみる。


「ほんと仲の良いご夫婦だ。」


 店主は疑うことなくガハハッ!と豪快に笑った。

私は内心ホッと安堵する。

別に夫婦と偽らなくても良かったのではと思ったが、後の祭りだ。

とりあえずバレていないので良しとしよう。

「ありがとうございました。」と店主に送り出され、私はすぐさま利吉さんに「すみません!」と謝罪した。

利吉さんはアハハと笑ってとても楽しそうだった。


「謝らないでください、上手な演技でしたよ。」


 そう言われると、今更ながら無性に恥ずかしくなった。

ななしは赤面して俯く。


「名無しさん。」


 呼ばれて顔を上げると、利吉が懐から貝殻を一つ取り出した。


「これは付き合ってもらったお礼です。」


 貰ってくださいと差し出される。


「え!?そんな、私何もしていないのに。」


 両手を横に振って断ろうとすると、利吉さんは私の右手を取って貝を手の平に乗せた。


「一緒になれて幸せですと言ってくれたじゃないですか。私の為に一生懸命演じてくれたのが嬉しかったんです。」


 今までに見た事のない、優しい笑顔だった。

胸を打たれたのかと思う程の衝撃で、断ることを忘れてしまっていた。

私の手の平に収まる小さな合わせ貝。

利吉さんがプレゼントしてくれたものだと思うと、とても嬉しくなった。


「ありがとうございます。大切にします!」


 そう言って微笑むと、利吉さんも表情を柔らかくした。


「今度、任務で夫婦役をする時は是非お願いします。」


 まるで悪戯っ子の様に冗談を言うので、一瞬固まってしまった。


「もう!揶揄わないでください!」

「あはは!!」


 利吉さんもこんな冗談を言って笑うのだなと、意外な姿に密かに見惚れた。

これからもネタにされるのではと懸念したが、楽しそうに笑う利吉さんを見て、まあいいかと思ってしまった。


「帰りましょう。」


 ひとしきり笑った利吉さんはそう言って背を向けた。

私は進み出した利吉さんの後を追い、貰った紅を大事に懐に仕舞った。









2022.06.19
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