「君の手をとるまで」

□19.合戦準備の段
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-合戦準備の段-



「すみません名無しさん、これを会計委員会委員長の潮江くんに渡してきてもらえますか。」


 私は吉野先生が差し出した一冊の帳簿を受け取った。

予算書と書かれているので委員会で使う物なのだろう。

落とし紙の振り分け作業を中断し「わかりました、行ってきます。」と、私は事務室を出た。

思わず目を細めてしまうくらいの青空に「んー!」と両手を上げて伸びをする。

数時間ぶりの外気はとても美味しくて晴れやかな気分になった。

吉野先生と事務のおばちゃんには申し訳ないが、あの途方もない作業から解放され少し嬉しい。

例によって小松田さんのへっぽこが発動し、必要書類と落とし紙が混ざってしまったのだ。

遣いに出された小松田さんを除く私たち三人は、床に散らばった紙をかき集め、コツコツと地道に振り分けていた。

ななしは事務室の扉をチラリと見る。

未だ作業を続ける二人に心の中で頭を下げ、潮江くんが居るであろう会計委員会の部屋へ向かった。

 放課後ということもあり、校庭の方から子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。

彼らの生き生きとした様子を思い浮かべると頬が緩んだ。

明るい楽しそうな声音が心地良く感じるのは、忍術学園の職員として余裕が出てきたからかもしれない。

ななしは目的の部屋の前で立ち止まると、コンコンとノックをした。


「はい。」


 中から返事が聞こえて、すぐに扉が開いた。


「あれ、名無しさん?」


 そう言って首を傾げたのは潮江くんではなくて、同じく会計委員会の田村くんだった。

意外な訪問者だったのだろう。

長い睫毛に縁どられた特徴的な赤い目が、少しだけ見開かれた。

部屋には田村くん一人の様で、コの字型に並べられた文机の上には、いくつもの帳簿が散乱していた。

この部屋の荒れ具合。

そして、いつものキラキラしたアイドルっぽさが消えた田村くんの冴えない顔色。

会計委員会の多忙さを物語っていた。

綺麗な肌に張り付いた隈が、いやがうえにも存在感を放っていた。

私はいつの間にか寄ってしまった眉をそのままに口を開く。


「忙しいところにごめんね、潮江くんを探していて……お留守みたいだね。」

「あぁ、潮江委員長は顧問の安藤先生に呼ばれて今しがた出て行かれました。」

「そうなんだ。田村くんはひとりで委員会の仕事を?」

「はい、予算会議が近いので……夜通しやってます。」


 笑っているが、目が死んでいる。

アイドルとかけ離れたやつれ具合だ。

さすがに心配になった。


「ほ、他の子はどうしてるの?」

「左門や一年坊主たちは仮眠をとるように部屋へ戻らせました。」


 当然という風に言ってのけた田村くんも、もちろん疲労困憊なはず。

なのに一人残って委員会の仕事を進めていたのだ。

彼の上級生としての振舞いに心打たれた。


「田村くんはすごいね。」

「えっ!?」


 突然の褒め言葉に田村くんは驚きの声を上げた。

「い、いきなりなにを……」と慌てた素振りが意外だった。

優秀な彼のことなので褒められ慣れていると思っていたのだが。

可愛い反応につい頬が緩む。


「良い先輩だなーって思って。尊敬しちゃうよ。」


 田村くんは顔を赤く染めて固まった。


「そ、そうですか?」


 恥ずかしそうに頬を掻く田村くんに、迷わず笑顔で頷く。

そして私は、視線を泳がせている田村くんの様子を見ながら、躊躇いがちに口を開いた。


「……でも、あんまり無理はしないでね。私に手伝えることがあったら遠慮なく言って。」


 要らぬお節介かとは思ったが、言わずにはいられなかった。

田村くんは私の顔を見て眉尻を下げると、少し嬉しそうに「ありがとうございます。」と笑ってくれた。


「それじゃあ私は潮江くんを探しに行くよ、教えてくれてありがとう。」

「いえ、とんでもないです。」


 田村くんに見送られ会計委員会の部屋を出た。

四年生と言えば、上を支えながら下の面倒も見る、いわゆる中間管理職に当たる位置づけなのだろう。

まだまだ子どもなのに、この世界の生徒たちは本当にしっかりしている。

そんな事を思いながら、廊下の途中ではたと足を止めた。

しまった……

私、安藤先生のお部屋を知らないや。

さっき田村くんに聞いておくべきだったなと後悔し、小さく溜息を吐いた。

前にちょこっと話題が出て、離れになっている所だと言う事はわかっている。

だが、それだけの情報では辿り着けないだろう。

この学園は広く、未だに知らない場所が数えきれないほどある。

とりあえず、出会った人に聞いてみようと中庭へ足を向けた。

授業も終わっているし、誰かしらは居るだろうと思っていると、木陰になっている辺りに五人の人影があった。

輪になって集まっていたのは、首実検用の生首フィギュアの手入れをしている作法委員会のメンバーだった。

奥に座っていた仙蔵が一番にななしの存在に気づき顔を上げた。


「ななしさん。」


 笑顔で手を振られ、答える様に手を上げると、一斉に集まった視線に少し恥ずかしくなった。

ななしは庭に下りると仙蔵に歩み寄る。


「委員会の途中にごめんね。潮江くんを探していて……安藤先生の所にいるみたいなのだけど、お部屋を教えてくれないかな?」


 作業を中断させてしまった事に申し訳なく言うと、仙蔵くんは「気にしなくて大丈夫ですよ。」と笑って、安藤先生の部屋まで案内すると言ってくれた。

口頭でも十分だったが、仙蔵は代表で喜八郎に「そういうことだから、少しの間任せる。」と言い、ななしの背に「行きましょう。」と触れた。

すると。

「立花先輩。」と、むくれたような声がして、仙蔵とななしは足を止める。


「ん?どうした喜八郎。」


 仙蔵が振り返ると、あからさまにムッとした表情の喜八郎が「僕も一緒に行きたいです。」と言った。

仙蔵は僅かに目を見張る。

その場にいた三年生の藤内や一年生の伝七、兵太夫までも、程度の差はあれど驚きを示した。

綾部くんの反応は作法メンバーにとっても意外だったのだろう。

しばし仙蔵は逡巡すると「私一人で十分だ。」と言い切った。


「先輩だけズルいですよ。」


 喜八郎は口を尖らせて納得していない様子だ。


「直ぐに戻ってくるよ。」

「そういう事じゃなくて……」


 喜八郎がそう言うと、仙蔵が微かに視線だけ動かし小さく息を吐いた。


「案内の必要は無くなったようだ。」

「え?」


 ななしが声を漏らすと、仙蔵は「ほら。」と人差し指を長屋に向けた。

その指先を辿ると、少し離れた廊下に求めていた人物が歩いて来るのが見えた。

潮江くんの姿が見えたと同時に、何となく安堵に似たものが胸に広がる。


「おやまぁ、直ぐに見つかって良かったですね。」


 いつの間にか横にきていた喜八郎がそう言って微笑んだので、ななしの顔も釣られて緩んだ。


「うん、皆んなありがとう。」


 ななしは作法メンバーにお礼を言うと、文次郎を見失わない様、足早にその場を離れた。

入れ違いにならなくて良かったと思いながら、競歩とも感じられる速さで歩く潮江くんを呼び止める。


「ん、名無しさん?」


 立ち止まった潮江くんも、田村くんと同様に目の下にすごい隈をつくっていた。


「これを渡したくて探していたの。」


 そう言って私は帳簿を手渡した。


「あぁこれは予算会議の……ありがとうございます、助かります。」

「どういたしまして。潮江くんも随分とお疲れのようだね。」


 ななしが苦笑いを溢しながら言うと、文次郎は平気な顔をして「いつもの事です。」と笑った。

いつもの事って……

成長に大切な時期なのにと、知らず知らずのうちに心配が顔に張り付いていた。

潮江くんは表情から心情を読み取ったのかポリポリと頬を掻く。


「これも忍者になるための鍛錬なので。己の限界は習熟しています。」

「それなら仕方がないけれど……」


 朝の掃除の時に、早朝鍛錬から帰ってくる潮江くんの姿を何度も目撃していた。

委員会活動も毎日の鍛錬も、手を抜く事無く頑張っている。

本当に潮江くんは努力家だ。


「応援してる。何か手伝えることがあったらいつでも言ってね。」


 言ってみたものの、潮江くんが頼ってくることは無いだろう。

分かっているけど、こんな在り来たりな言葉しか掛けることができなかった。


「ありがとうございます。」


 それでは、と潮江くんが一歩を踏み出したところで、計ったように私の耳元を大きな蜂が横切っていった。

あのブーンと鼓膜を揺らす独特な、肌が粟立つような羽音に「きゃっ!!」と咄嗟にしゃがみ込んだ。


「名無しさん!?」


 ななしの悲鳴に反応した文次郎は驚き振り返った。

すると、距離を見誤ったのか、文次郎は廊下の縁を踏み外しななしの上へ倒れ込んだ。

何が起こったのか良くわからなかった。

ただ身体が痛くて重い。

ゆっくりと目を開けると、潮江くんの顔がアップで飛び込んできた。

心臓がギュッと収縮し、息が止まる。

潮江くんの顔は林檎の様に真っ赤で、潮江くんの大きな瞳に映る私の顔もまた赤い。

大きな手がしっかりと頭を支えている。

この体勢前にも……と、一瞬竹谷くんの顔がフラッシュバックした。

腰とお尻のジリジリとした痛みで、徐々に正気に戻っていく。

照れている割にちゃんと頭を守ってくれて、さすが最高学年だなと、悠長にそんな事を思っていた。

間髪を置かず庭の方から足音が聞こえ、私たちは反射的にそちらへ顔を向けた。

ななしの悲鳴が聞こえたのか、作法委員会のメンバーが心配そうに駆け付け、この状況を見て放心していた。


「えっ!?」

「潮江先輩!?」

「ま、まさか……」


 と、各々動揺の声を漏らす。

彼らの言わんとする事が容易に想像でき、文次郎は更に顔を紅潮させ「違うからな!」と声を荒らげた。

「……三禁。」と、仙蔵が嫌味の様に呟いた。


「さっ!?だから違う!!」


 さんきん??

聞き慣れない言葉にななしは首を傾げた。

文次郎はそれ以上作法委員会には構わず、ななしの上体を支えて起こした。


「すみません、大丈夫ですか?」


 先程の様子から打って変わって、潮江くんはシュンと申し訳なさそうな表情をしていた。


「ちょっと背中が痛かったけど大丈夫。私が大きな声を出したから、ごめんね。」

「いいえ、いつもならこんな失態は犯しません。大口を叩いておきながらお恥ずかしい。」


 潮江くんは頭を下げた。

かなりのショックを受けているようで私は両手を横に振って慌てた。


「ほんと大丈夫だから、気にしないで!」


 顔を覗き込むと潮江くんはハッとして目を泳がせる。

そのまま顔を逸らした潮江くんは「とりあえず医務室へ。」とボソリと言った。

文次郎はななしの返事を待たず、膝裏へ腕を滑り込ませると、軽々体を持ち上げた。


「えっ!?」


 唐突な浮遊感。

ななしは思わず文次郎の緑の装束を握った。

姫の様に抱えられ、それはもう恥ずかしくて、動揺が隠しきれない。

作法委員会のメンバーも潮江くんの予想外な行動に反応できず、呆気に取られている。

情報が脳で処理されない内に、私の身体は医務室へ到着していた。








2022.10.19
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