「君の手をとるまで」

□15.終わりと始まりの段
1ページ/1ページ








-終わりと始まりの段-



 辺りが薄っすらと明るくなってきた頃、遠くから私たちを呼ぶ声が聞こえた。

ユラユラと微睡んでいた意識が一気に覚醒する。


「今の……」


 夢ではないだろうかと心配になり首だけ少し振り向いた。

後ろに座る伊作くんが「僕も聞こえました。」と言ってくれたので間違いないだろう。

私たちは数時間ぶりに立ち上がり、周りを見渡した。

森の中は白んでいて、これまで見えなかった地形がくっきりと浮かび上がっていた。

木々を反響して微かに声が聞こえる。


「忍術学園の誰かが近くに居るみたいです。」


 伊作くんはそう言うと「おーい!こっちだー!!」と声を上げた。

その後間もなく、私たちの目の前にシュッと深緑色の影が降りてきた。


「伊作、名無しさん!無事か!?」

「留三郎!!」


 現れたのは、はぁはぁと息を切らした食満くんだった。

私たちの顔を見て食満くんがホッと胸を撫で下ろしたのがわかった。

私も食満くんの姿に安心したのか身体の力が抜けた。


「良かった……」


 呟いて、へなへなと倒れ込みそうになったところを、誰かが後ろから抱き留めてくれた。

支えてくれているのは食満くんでも伊作くんでもない。

私は肩に置かれた手を辿り見た。


「……土井先生。」

「大丈夫かい?」


 いつもの優しい笑顔がすぐそこにあった。

少しの違和感を上げるとしたら、前髪の間から見える額に、薄っすらと汗が滲んでいるところだ。

食満くんも土井先生も、山の中を必死に探してくれたのだ。

そうと分かると胸がじわっと温かい何かに満たされた。

何故だろうか。

食満くんや伊作くんとは違った安心感が土井先生にはあって、喉元から熱いものが迫り上がる。

油断したら涙が溢れそうでグッと唇を噛んだ。

半助はななしの表情を見て「ふぅー」と安堵の吐息を漏らすと、子供をあやす様に優しく頭を撫でた。

生徒の前だと分かってはいたが、土井先生の手があまりにも心地よくて、私は薄っすら目を細めた。

その光景を目にしていた伊作と留三郎は、見てはいけないものを見てしまったかのようにそろりと顔を見合わせ、そして緊張が緩んだのか、どちらからともなく「ふっ」と笑みを溢した。

それから直ぐ、留三郎は二人が見つかった事を知らせるため狼煙を上げた。

夜が明けたばかりの空に一本の白煙が昇っていく。

上空でボンッと鳴って広がった煙を確認した私たちは、ゆっくりと時間をかけて山を下りた。

酷い怪我を負っている伊作くんは食満くんの肩を借り、体力の無い私は土井先生の手を借りて歩いた。

道すがら、山の中に居たドクタケはどうなったのか尋ねてみると、先生方と上級生が協力して追い払ったとの事だった。

さすが忍術学園の先生とその生徒たち。

本当に何事もなく解決した様で良かった。














 * * *



 学園に着くと、開いた門の前で小松田さんが立っていて、私たちに気付くと涙と鼻水を垂らし走り寄ってきた。


「ななしちゃ〜〜ん!!」


 その様子を見ただけで、どれだけ心配してくれていたのかわかって鼻の奥がツーンと痛くなった。


「大丈夫?怪我はない?」


 頭の天辺からつま先までキョロキョロと確認をしながら、小松田さんは不安そうに言う。


「私は大丈夫です。でも伊作くんが怪我をしていて……」


 私が答えると「ななしちゃんに怪我が無いなら良かったぁ〜」と、何の悪気もなさそうにへにゃりと笑った。

その言葉に食満くんが「おいおい。」と呆れて、伊作くんが苦笑いを溢した。

小松田さんだから許されたという感じだ。

「すみません!」と謝りながらも、小松田さんは懐から入門票を取り出し、しっかり業務を果たしていた。

こんな時でも抜け目がないのは流石と言うべきか。

各々サインをして門を通ると、待ち構えていた様に乱太郎くんが駆けてきた。


「伊作先輩!ななしさん!」


 私たちは屈むと乱太郎を勢いごと抱きとめた。


「乱太郎!」

「乱太郎くん!」


 赤く腫らした目を見て、再び心配を掛けた申し訳なさに心が痛んだ。


「お二人が無事で良かったです。」

「乱太郎も無事で良かったよ。」

「助けを呼んでくれてありがとう。」


 感謝を伝えると、乱太郎くんは赤らんだ頬で和やかに微笑んだ。

束の間、再開の余韻に浸っていると乱太郎くんは「そう言えば」と思い出した様に口を開いた。


「伊作先輩たちを探していた不破先輩と鉢屋先輩が、たまたま薬草の入った籠を見つけて、忍術学園まで持ち帰ってくれてます。」

「えっ本当かい!?」

「はい!」

「それは嬉しいなぁ〜二人にはお礼をしないとね。」


 伊作は嬉々として顔を綻ばせた。


「乱太郎もななしさんもこんなに頑張ったんだ。骨折り損にならなくて良かったよ。」


 ななしと乱太郎は、緩んだ顔で伊作の言葉に相槌を打つ。


「伊作、礼より先に怪我の手当てをしに行くぞ。」


 後ろに立っていた留三郎は、満足そうに未だ動き出そうとしない保健委員長を促した。


「あぁそうだね。ついでに服も着替えないと泥だらけだ。」


 伊作はそう言って苦笑いを浮かべ、ななしに視線を向けた。


「ななしさんも、後で医務室に来てくださいね。」


 伊作くん程ではないが、私も擦り傷やら打ち身やらで体中が痛んでいる。

私は「そうします。」と返事をすると着替えるため皆と別れて長屋へと向かった。














 * * *



「名無しさん!」


 部屋に着く直前に呼び止められ振り向くと、後ろを土井先生が追いかけてきていた。


「土井先生?」


 何だろうと顔を傾けると、土井先生は少し言い難そうに目を逸らした。


「……あの、風呂を準備しておくので、良ければ着替えを持って忍たま長屋の方へ来てください。」

「えっ?」


 私が驚き固まっていると、土井先生は慌てて「あっ!もちろん入浴中はしっかりと見張っておきますから。」と付け加えた。

覗かれる心配をした訳ではないのだが、私の反応を見て土井先生はそう受け取ったのだろう。

お風呂に入れるという嬉しさと同時に、湯を準備するのは手間なのではないかという申し訳なさが頭に浮かんだ。

数秒の葛藤の末、断ろうと決断したところで土井先生は恥ずかしそうに頭を掻いた。


「無理にとは言いませんが、身体が冷えていた様なので。」


 帰りに繋いだ土井先生の手は随分と温かかった。

裏を返せば、私の体温が下がっていたという事なのだろう。

土井先生と手を繋いだ。

そのことが今になって無性に恥ずかしくなってきた。


「あの、でもご迷惑ではないですか?」


 ななしの言葉を聞いて、半助の表情が穏やかに緩んだ。


「迷惑だなんて、甘えてもらった方が私は嬉しいですよ。」


 眩しい程のイケメンオーラに居た堪れなくなって、私は「あっありがとうございます!お願いします!」と赤面を隠すため視線を落とした。

土井先生は「分りました。」と嬉しそうに笑い「それではまた後で。」と、くるりと踵を返し忍たま長屋の方へ去っていった。

…………土井先生イケメン過ぎる!!

独り身なのが疑わしいくらいだ。

イケメンオーラに当てられ、私はクラクラしながら部屋へ戻った。












 * * *



 いつもと違う、大き目のお風呂に浸かりながら、私はボーっとしていた。

溜まっていた疲れが一気に溶け出している様だ。

所々できた掠り傷がヒリヒリと痛んだが、それも慣れてくるとどうってことなかった。

土井先生が脱衣所の外で見張りをしてくれているので、早めに出ようと思っていたのだが、余りにも気持ちがいいのでしばらく動けそうにない。

ずるずる肩まで湯に浸かると、チャポンと音が鳴って水面が揺れた。

私はゆっくりと息を吐き目を閉じる。

何も考えていないはずなのに目頭がジーンと熱くなった。

私は深く息を吸い呼吸した。

そうしないと感情の波に押し流されそうで怖かった。

できれば思い出したくない記憶だった。

だがこれではっきりしたことがある。

元々私の中にあった記憶は、前世の記憶だったという事だ。

そうと分かった今、全てを明かす必要が無くなった。

前世の記憶がありますなんて話しても混乱を招くだけだろう。

この事は私の中に留めておけばいい。

そしてこれからは、この世界の名無しななしとして生きていく。

私なりに前を向いて生きていこうと決心した。

水音を立てて腕を湯から出すと、手の甲を目元に当てた。

あぁ、苦しいな。

苦しい。

最近泣いてばっかりだ。

私は声を出さずに、静かに涙を流した。








2022.05.20
次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ