「君の手をとるまで」

□09.もう一人の私の段
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-もう一人の私の段-



 ちらちらと揺れる葉むらを透かして、ふいに顔にあたる木洩れ日にななしは目を細めた。

草履を履いているとはいえ、砂利石の固さが足の裏から伝わる。

傾斜のある山道は、歩き慣れていないななしには少々酷だった。

前を歩く利吉さんも、後ろを歩く仙蔵くんも、平地を歩いているかのように息一つ乱していない。

私一人が肩で息をしていて気恥ずかしくなる。

体温が上がりじんわりと汗ばんできた頃、利吉さんが休憩しようと振り返った。

私たちは木立を回って開けた場所へと出た。


「わぁー!」


 目に飛び込んできた黄色い絨毯。

つい感嘆の声が漏れた。

辺り一面、菜の花に覆われている。


「とても綺麗。」


 利吉はななしの反応を確認すると表情を緩め、地面に半分埋まった石の上に腰かけた。

ななしは肺一杯に空気を吸い込みながら左から右へと視線を動かす。

隣に来た仙蔵くんと目が合うと、優しい笑みを向けられた。

利吉さんも仙蔵くんもこの場所を知っていて、あえてここを休憩場所に選んでくれたのだろうとそう思った。

嬉しくて自然と口角が上がる。

ななしは利吉に習って近くの石に座ると、竹筒に入った水を飲んだ。


「このペースで行けば、あと一刻ほどで着きそうです。」


 利吉さんの言葉に鼓動が早まった気がした。

もう少しで私を知る人物に会えるのだと。

元居た世界の話をするタイミングは失ってしまったが、自身の中で整理ができてからでも遅くはないだろう。

庭師の話を聞いて、それからだ。

数分足を休めると、私たちは再び山道を歩き始めた。

太陽が天辺を少し過ぎ、脚が重く感じ始めたあたりで目的地の村が見えてきた。

窪地に数十件の茅葺屋根が並んでいる。

その最奥に、塀で囲われた一際大きな屋敷が見えた。

建物の殆どが焼け落ちて黒々とした重苦しい存在感を放っている。

一目であそこが『名無し』の屋敷だと分かった。

私の胸は何故かキリッと痛んだ。

 村に入り利吉さんの後を付いて、ある家を尋ねた。

開きっぱなしとなっていた玄関から声を掛けると、一人の初老男性が出てきて私たちをみとめ愕然とした。

私たちではない。

私だ。


「……ななし様」


 男性は瞬きもせず私を瞳に映し、一歩また一歩と足を踏み出す。

私も知らずの内に足が前へ出ていた。

男性は側に来ると、ゴツゴツと皮膚の固くなった大きな手で私の両手を包み込んだ。


「ご無事で。」


 絞り出す様な声で言うと、目元の皺が寄って透明な雫を落とした。

不思議な感覚だった。

初めての景色で、初めて会った人のはずなのに、懐かしい気がした。

 家の中へ案内されると、私たちは囲炉裏を囲んで座った。

利吉さんが要所をまとめて話をしてくれたのでスムーズに事は進んだ。


「そうでしたか……記憶が」


 初老の男性、もとい、一松と名乗る男性は難しい顔をして言い悩んだ。


「思い出さない方が良いのかもしれませんね。」


 一松は静かにそう言った。

パチッと炭が爆ぜる音が耳に溶けていく。


「あの……私、まだ信じられなくて。私は本当に一松さんの言う名無しななしなのでしょうか。」


 利吉と仙蔵はななしを見つめた。


「そうですよね……私の言葉だけでは確信は持てませんよね。」


 一松は怒るでもなく穏やかにそう言うと、力なく笑った。


「ななし様は幼い頃、近くの池に落ちて背中に酷い怪我を負いました。その傷跡がまだ残っていると思います。」


 ななしはこの世界に来て自身の背中など見たことがなかった。


「今直ぐ確認がしたいです。鏡があれば貸していただけませんか?」


 ななしは床に手を付き身を乗り出すと、食い気味に言った。

一松は頷き、隣の部屋に鏡台がありますと快く案内してくれた。

私は部屋の戸を閉めて鏡の前に立つと、腰ひもに手を掛ける。

スルスルと衣擦れの音を聞きながら服を脱いだ。

心臓が脈打つのがわかる程に緊張していた。

意を決し、鏡に背を向けて首だけ振り返る。


「…………ある。」


 背中には怪我の跡があった。

もう疑いの余地はない。

記憶は無いが、私はこの世界でも存在していた。

しばらく動けずにいたが、皆を待たせていると思い出して服を着直し部屋を出た。

三人の目が私に集まる。


「ありました。」


 私はどういう表情をしたらいいのか分からなくて、表情を作らずにそう伝えた。


「一松さん。」

「はい、何でしょうかななし様。」

「私の事を教えてもらえませんか?」


一松は目尻の皺を寄せて笑うと、ポツリポツリと昔の話を始めた。

名無しは由緒ある武家の家系で、ななしはそこの一人娘だった。

歳は十六。

活発で、のみ込みの早い頭の良い子だった。

小さい頃から大人びていて、子供には見えなかったと言う。

明らかに他の子とは違う空気を纏っていた。

本当に優しい子だと。

一松さんはそのように語る。

記憶は無いくせに、私が褒められている様で照れてしまった。

炉端で照らされているお陰で顔色が分からないので良かった。


「そうそう、時々変な歌をうたっていました。今まで生きてきて私は聞いた事のないものでした、あれは。」


 一松さんは、あるフレーズを口にした。

メロディーもリズムも無いが私にはわかる。

私が好きだった元の世界の曲だ。

これではっきりした。

雪山に居た以前にも、私には元居た世界の記憶があったのだ。

 一松さんは本当に優しい人で、名無しの知り合いへお願いして、そこで住まわしてもらえるよう話をしようかと言ってくれた。

本来ならば願っても無い話だったが、私は我儘にも忍術学園で過ごしたい気持ちがあった。

学園の生徒たちと関わることで、私の精神状態は保たれていて。

一ヶ月かけてようやく慣れることができた環境を、今は変えたくないと思った。

もし学園長のお許しが頂けるのなら、事務員としてこのまま働いていたい。

そう今の気持ちを伝えると、学園長の返事を聞いてからでも良いと言ってくれた。

私は感謝の思いを込めて、深く、丁寧に頭を下げた。













 * * *



一松さんの家を出て、私たちは名無しの屋敷へと向かった。

屋敷はほぼ全焼。

焼け焦げていて辛うじて建物があったと分かるくらいだ。

家を見たら何か思い出すかもしれないと思ったが、そんな期待通りにはいかなかった。

ななしは屋敷の前に立つと、ただ静かに両手を合わせ、目を閉じた。

いつまでそうしていたのだろうか。

夕日が山肌を染め、鞍部に沈んでいこうとしていた。

抜け殻になった様にボーっと焼け跡を眺めていた。


「大丈夫ですか?」


 振り返ると仙蔵くんが心配そうな顔をしていた。


「大丈夫……何も思い出せないから、大丈夫なの。」


 ななしが穏やかに笑って見せると仙蔵は眉を寄せた。

ここで起きたことを思い出してしまったら私は……

きっと死にたくなるくらい辛いだろう。

私のせいで、両親も、仕えていた人たちも、皆が死んでしまったのだから。

藪がざわめく音がして、ひんやりとした恐怖が鳩尾を貫いた。

空が淡い紅から藍へと色を変えていき、あたりに闇が訪れる。

袖を握る震えた手を、温かいものが守るように包み込んだ。

ななしは横を見上げる。

凛とした表情の仙蔵と視線が合った。


「戻りましょう。」


 それだけ言うと仙蔵はななしの手を引き前を歩いた。

堂々とした仙蔵くんの背中が、大丈夫だと言ってくれているようだった。

 その日、私たちは一松さんの家に一泊し、翌日忍術学園へ帰る事になった。

慣れない移動で疲れていたせいか直ぐに眠ってしまい、気付けばもう朝になっていた。

お礼を伝え、必ずまた来ますと約束をして、私たちは帰路についた。












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