「君の手をとるまで」
□08.動き出すの段
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-動き出すの段-
陽が落ち生徒が寝静まった頃、学園長の庵では利吉を含めた職員が"名無しななし"に関して極秘で会議を開いていた。
「そうか……」
利吉の報告に学園長は珍しく神妙な面持ちで息を吐く。
「ほぼ間違いなく彼女でしょう。」
他の教員達も黙ったまま利吉の報告を聞いていた。
「では、もう間者の線はないと考えて良いのではないですか?」
その静寂を破って半助は声を発した。
学園長は腕を組んだまま眉を寄せる。
「私は彼女が間者だとはどうしても思えません!」
半助は痺れを切らし言継ぐ。
利吉は何時になく感情的になっている半助に瞠目した。
居然と話を聞いていた伝蔵は、半助に同意する様に大きく一度頷いた。
「……そうじゃな、ワシもそう思っておる。今後は彼女の監視を解くとしよう。」
学園長の言葉に半助はホッと胸を撫で下ろした。
名無しななしは明らかに何かを隠している。
それはわかっているのだが、今までの彼女の挙動を見るに、忍者であるとは到底思えない。
それがフリだったとしても、彼女をここへ連れてきたのは利吉くんだ。
利吉くんがいくら忍術学園と親しい間柄だと言えど、必ず成功する作戦だとは思わない。
もしプロの忍者ならば、わざわざそんな可能性の低い方法を取らないだろう。
「問題は」
思考を巡らせていた半助は口を開いた学園長の方へ視線を向けた。
「この事実を本人に伝えるかどうかじゃな。土井先生と山田先生はどう考える?」
学園長はこの一ヶ月監視の任に就いていた二人に意見を求めた。
半助と伝蔵は目を合わし先に伝蔵が口を開く。
「生徒の力もあってか、最初と比べると随分落ち着いてきています。話しても良い状態かと。」
続いて半助が口を開いた。
「彼女自身、自分が何者なのかと苦悩している様なので……私も伝えるべきかと。」
思い出さなくてもいい、思い出さない方がいい事実かもしれない。
だが知ってしまった以上隠していく訳にはいかない。
これは彼女自身が選択するべき事だ。
半助は先日の図書室でのななしの涙を思い出していた。
『孤独』
小さな震える背中がその言葉を物語っていた。
過去の自分と重なって放って置けないのだ。
「うむ、ワシも彼女が求めているならば伝えるべきじゃと思っておる。」
学園長が言うと校医の新野がゆっくり手を上げた。
「人間の防衛本能として思い出したくない記憶を消しているのかもしれません。もし伝える場合にはショックも大きいでしょうから私も側に置いてください。」
「良かろう。」
学園長は背筋を伸ばすと職員を見渡した。
「彼女にはワシから伝える。その際には、山田先生 土井先生 新野先生 利吉くんに同席してもらう事としよう。では会議はこれにて解散。」
先生方が部屋を後にすると、庵にはいつもの静寂が訪れた。
+ + +
早朝、準備を終えたところで土井先生が部屋へ来た。
学園長先生の所へ来て欲しいとの話だ。
ななしは半助の後を付いて学園長の庵へ向かう。
部屋には山田先生や新野先生、利吉さんまでいて驚いた。
きっと大切なお話なんだろう。
空気が重い感じがして部屋の入り口で立ち竦んでいると、学園長先生が口を開いた。
「まぁそこに座りなさい。」
ななしは促されるままに学園長先生の正面に座った。
「単刀直入に話すが、名無しななしさん、貴方の身元が判明したんじゃ。」
「……え!?」
思いも寄らない話に目を見張った。
「利吉くんに内密に調べてもらっていたのじゃ。少しショックな事実があってな、聞くか聞かないか決めて欲しい。」
それはもう周りにも分かる程に動揺して、ななしは俯くと膝の上で握られた手を意味もなく凝視した。
私に身元なんてあるの?
一体どういうことなんだ。
「動揺するのも当たり前じゃ、急かすつもりは無いゆっくり考えてくれ。」
学園長先生は私を落ち着かせる為か、ゆるりと待ってくれている。
どうするべきか。
元の世界の話をする決心が付きそうだったのに、話せる状態じゃなくなってしまったじゃないか。
とりあえず……今は話を聞いてみよう。
「教えてください。私が一体何者なのか……」
ななしは震える声で言った。
「うむ。」
学園長は一度目を瞑ると息を吐き話を始めた。
「この学園の裏々山の近くに村があるんじゃが、そこに『名無し』という貴族の屋敷があった。」
その名無し家には美しい娘がいて村でも有名な話だったそうだ。
噂は広がり村の近くを縄張りにしていた山賊の耳にも入った。
ある時、その山賊が娘を攫うために名無しの屋敷へ押し入り火を放った。
屋敷の者は皆息絶え娘も行方知れずだという。
その娘の名が『名無しななし』だった。
私には何一つピンとくるものがなく、物語でも聞かされているような気分だった。
「同姓同名の人物だとは考えられませんか?私がその娘だとは……信じられません。」
「それがのぅ、屋敷の使用人で生きている者が一人居たのじゃ。」
ななしはハッとして話の続きを待つように学園長を見た。
「長らく名無し家に仕え続けた庭師で、その事件があった時は、たまたま屋敷に居なかったそうじゃ。」
そのタイミングで後ろに控えていた利吉が懐から紙を出し渡してきた。
「それは乱太郎に頼んで描いてもらった名無しさんの似顔絵です。それを見て庭師は間違いないと言ったんです。」
手渡された紙には、写真のように精巧な自身の似顔絵が描かれていて、ぐうの音も出ない。
「その娘が私だという事はわかりました……でも……」
ななしは言い迷って口を噤んだ。
混乱していた。
頭の中がぐちゃぐちゃで、貴族だった話なんて受け入れられるはずもなくて。
私はこの世界に元々存在していた?
とても信じられない。
もし、その名無し家の娘のななしだったとして……
じゃあこの私の中にある記憶は何なのだ?
今、頭を働かせて考えている私は。
「名無しさん。」
呼ばれてハッとした。
肩に置かれた手を辿ると、新野さんが心配そうな表情でこちらを見ている。
「落ち着いて。」
そう言われて始めて、己の体が異常に震えているのがわかった。
「大きく息を吸ってゆっくりと吐いて……」
ななしは言われるままに深呼吸を繰り返す。
頭に上っていた血が徐々に下がっていく気がした。
周りを見ると皆が心配そうに私を見守ってくれている。
動揺している場合じゃない。
ななしは握った手に力を籠めると口を開いた。
「すみません。にわかには信じがたい話でしたので……もし可能であればその庭師にお会いする事はできますか?」
私を知る唯一の人物。
折角見つけた手掛かりを逃すわけにはいかない。
ななしの毅然とした瞳に、学園長は驚きながらも頷いた。
「良かろう。利吉くん頼めるか?」
「はい、先方も会いたいと仰っていたので問題はないかと。」
その後は早い方がいいと、利吉さんと共に庭師の元へ向かうことになった。
ななしは部屋に戻って外出の支度をしていた。
小袖に着替えて草履に履き替える。
忍術学園の外へ出るのは二回目だ。
今回は忘れず外出届も出した。
何も悩むことはない。
進展しているのだから。
ななしは両頬を挟む様にパンッと叩くと、よしと気合を入れて部屋を出た。
約束場所の正門へ向かうと三人の人影があった。
利吉さんと土井先生、それとあの後ろ姿は仙蔵くん?
疑問に思いながら近づくと、足音で気付いたのか三人はほぼ同時に振り返った。
「お待たせしました。」
ななしがそう声を掛けると利吉は「いえいえ。」と微笑み眉を上げた。
「もしかしてその小袖は父の物ですか?」
「そうです!」
似た柄の物はあるだろうにと驚いていると、利吉はクスリと笑った。
何だか私の思考が筒抜けになっている気がして恥ずかしくなる。
「利吉くん、名無しさんを頼んだよ。」
「任せてください。」
半助の言葉にななしは目を丸くして視線を向けた。
「私は別件で出掛けるので同行できないんです。」
着替えているし、一緒に行くのだとばかり思っていたので残念な気持ちになる。
「代わりに、忍術学園いち冷静で優秀な仙蔵に同行してもらいますから。」
半助が言うと仙蔵は微笑んで軽く頭を下げた。
「仙蔵くん、よろしくお願いします。」
ななしが頭を下げると仙蔵もこちらこそと返事をした。
「では、行きましょうか。」
利吉は潜戸を開けると跨いで外に出た。
仙蔵くんに促されて私も門に手を掛ける。
「名無しさん。」
ななしは神妙な響きを持った半助の声にはたと立ち止まり、はいと返事をして振り向いた。
私を見据える真剣な瞳。
この感じ……前にも。
同じ事を思ったのか、半助はくすぐったそうに眉尻を下げ笑った。
「道中気を付けて。」
半助は一年は組の生徒たちにする様にななしの頭を優しく撫でた。
私は息をするのを忘れて固まる。
無意識の行動に気付いたのか当の本人も固まった。
「ぁ……」
半助は小さく声を漏らし、チラリと仙蔵を見て決まり悪そうに視線を彷徨わせた。
仙蔵も気を遣っているのか顔を背けている。
何とも言えない気まずい空気だ。
「土井先生も……」
ななしが勇気を出して声を発すると、半助は吸い込まれる様にななしへ目を向けた。
「お気を付けて。」
微笑んで見せると釣られたように半助の表情が緩む。
「はい。」
ななしは行ってきますと伝えて潜戸を通った。
仙蔵が後に続くと潜戸が締まり、内から閂が閉まる音が聞こえた。
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