「君の手をとるまで」

□16.髪結いの段
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-髪結いの段-



 前世の記憶が戻ったからと言って、日々の生活が変わることはなく。

私は以前と同じように、朝起きて事務の制服に着替え、ルーティンとなっている正門前の掃除に向かった。

時期は梅雨に入っていたが、天気はカラリと晴れて気持ちが良い。

正門に着くと、私は一旦箒を置いて学園の外に出た。

そして、門の前に『本日休校』の札を提げる。

札の通り今日は忍術学園の休校日だ。

まだ生徒も寝ているのか、静かな学園の中は趣を感じる。

事務の仕事も来訪者の対応くらいで今日は暇になるだろう。

午後からは、延期してもらっていたタカ丸くんとの髪結いの約束があるので、今から楽しみで仕方ない。

どんな髪型にしてもらおうかなと、そんな事を考えていると、あっという間に掃除が終わってしまった。

箒と塵取りを仕舞い自室のある長屋へ向かう。

すると、木々の裏から聞き慣れた声が聞こえ足を止めた。

この声……小松田さん?

ななしは声がする方へ歩を進める。

そこには、汗を流し手裏剣の練習をしている小松田さんがいた。


「やぁー!とうっ!えーい!」


 どれも気合は入っているのに的を逸れていく。

小松田さんも忍者を目指して努力しているんだなと、意外な姿にじーっと見入ってしまった。


「あれ?ななしちゃん。」

「あ!すみません勝手に見学して。」


 謝ると小松田さんは全然好きなだけ見て行ってよと笑った。


「まぁ下手くそなんだけどね。だから少しでも上手くなるようにコツコツ練習してるんだ。」


 小松田さんは眉尻を下げて頭を掻いた。


「手裏剣を打っている後ろ姿、とってもカッコイイですよ。」

「ほ、ほんと!?」

「ホントです!」

「ありがとうななしちゃん!」


 小松田さんは頬をほんのり染めて微笑んだ。


「そうだ!ななしちゃんも手裏剣打ってみる?」

「え!?」


私には無理ですとななしは両手を横に振った。


「大丈夫、教えてあげるから。」


 そう言って、小松田さんは私の手を握り、的前に連れていく。


「私、手裏剣なんて触ったことなくて……」


 今まで見ているだけだった忍者の道具に触れると思うと、変に高揚し胸が高鳴った。

小松田さんは後ろに立つと、自分の右手に私の右手を乗せた。


「こうして握るんだよ。体の向きはこうで、足は肩幅に開いて。」

「こ、小松田さん……」


 ななしは言われるままに体勢を整える。


「そうそう!大丈夫、体の力を抜いて。」


 小松田さんは意識していないだろうが、私は背中に感じる温度にソワソワしていた。


「あとは的に集中する。」

「ぅ……はい。」


 ここまで来たらやってやろうじゃないかと、ななしは気合を入れた。

的を見て深く息を吸い込む。

手裏剣打ちの姿を思い出してフォームを頭の中でイメージした。

一度耳横まで腕を引き、手裏剣を思いっきり前へ打ち込んだ。

タンッ!!と良い音が響いて手裏剣はギリギリ的に当たっていた。


「当たった……」

「わぁ〜すごいよななしちゃん!」


 小松田さんは私の手を取り、自分の事の様に喜んでいる。

まさか当たると思っていなかったので放心した。

徐々に嬉しさが込み上げてきて頬が緩む。


「小松田さんありがとうございます!」

「どういたしまして。」


 僕も負けていられないよと言うと、小松田さんはより一層やる気を出して練習を再開した。

人生初の手裏剣打ちに、胸がまだドキドキしている。

私は興奮を落ち着かせながら、小松田さんの背中を見つめた。

頑張って小松田さん、と心の中で応援する。


「中々筋が良いですね。」

「え!?」


 突然に声が聞こえて振り返ると、そこには荷物を提げた利吉さんと土井先生が居た。


「利吉さん、土井先生……」


 忍者だから当たり前なのかもしれないが、気配無く近づいてくるのは心臓に悪いので止めていただきたい。

ななしは無意識に胸を押えた。

そんな事は気にすることなく利吉は爽やかに笑う。


「ななしさんは手裏剣打ちのセンスがあります。」

「そうですか?」

「私はこれでもプロの忍者ですよ?」


 見る目はあると思いますけど、と言われてななしは照れて頬を掻いた。


「ですが、」


会話を遮るように、半助が腰に手を当てて語気を強めて言う。


「教師でもない小松田くんが、一般人の名無しさんに手裏剣打ちを教えるのは頂けない。」


 ななしは怒られているのだと、うっと息を詰まらせ「すみません。」と縮こまった。


「まぁまぁ、土井先生も後ろで見ていたんですから問題ないでしょう。」


 利吉は臆面もなくケロッとした顔で言った。

半助は利吉の清々しい弁舌に眉を顰め、何か言いかけて口を閉じた。

忍者の教育も受けていない私が手裏剣打ちなんて軽率だったと、ななしは反省し肩を落とす。


「……今回は、目を瞑ります。」


 ななしは半助の声に顔を上げた。


「今後は小松田くんに誘われても、しちゃいけませんよ!」


 わざとらしく子供に聞かせる様に人差し指を立てて言うと、半助は厳しい表情をふっと笑みに変えた。

私は恥ずかしさを感じながらもコクコクと頷いた。


「あっ!利吉さん入門票にサインを。」


 ななしは思い出した様に懐からバインダーを取り出す。

利吉はそれを受け取ると名前を書き記した。


「そのお荷物は山田先生へですか?」


 大きな風呂敷が気になってしまった。


「あぁ、そう…父の着替えです。」


 利吉は決まり悪そうに苦笑いを浮かべた。


「着替えの事はどうでもいいんです。ななしさん午後のご予定は?」

「午後はちょっと予定が入っていて……」

「そうですか……今度のお休みの日、良ければ私と町まで出掛けてくれませんか?」

「え!?」


 そう声を上げたのは私ではなく土井先生だ。

利吉は目だけを動かし半助を見る。

半助は視線から逃げる様に顔を背けた。

そしてその流れを眺めていたななしは首を傾げた。


「女装用に新しい紅が欲しいのですが一人でお店に入るのが恥ずかしくて。」


 命の恩人、利吉さんの頼みだ。

そう言う事ならばぜひ協力してあげたい。


「私でよければご一緒します。」

「ありがとうございます。」


 約束を交わすと利吉は、ではまたと軽く頭を下げて教員長屋へ去って行った。

利吉さんとお出掛けかぁ〜

私の顔は自然と緩んでいた。

ななしの顔を見て複雑そうな表情を浮かべた半助は、気づかれない内に顔の筋肉を元に戻した。










 * * *



 昼食をとった後、ななしは約束していた通りに四年生長屋へと向かった。

この長い髪とも今日でお別れだ。

仙蔵くん程ではないが、腰上あたりまでの長さはあるだろう。

ななしが廊下を歩いていると、庭の方から何やら声が聞こえ視線を向けた。

声の出所を探ると地面の下から聞こえてくる。


「わっせ!わっせ!」


 掛け声と共に、下からぴょんぴょんと土が跳ねている。


「あれは……」


 地面から出ている頭を発見して、すぐに綾部くんだと分かった。

気配に気が付いたのか、綾部くんは顔を上げて泥だらけの手を穴の淵に置いた。


「おやまぁ、ななしさんじゃないですか。」

「綾部くん。」

「こんな所で、どうしたんですか?」


 そう言って喜八郎は穴から出ると、頭巾を外して汚れた顔を拭いた。

「これからタカ丸くんに髪結いをしてもらうの。」

「そうなんですか。」


 興味が有るのか無いのか分からない返事に、ななしは苦笑いを浮かべた。


「ななしさーん!」

「あ、タカ丸くん!」


 ななしの話声が聞こえたのか、タカ丸が部屋から顔を出し手を振っていた。


「来てくれたんですね!ちょっと待ってくださーい!」


 そう言うとタカ丸くんは部屋に入り、すぐに髪結いの準備をして出てきた。


「お待たせしましたぁ。」


 いつもより数倍眩しい瞳だ。

ななしは促されるままに、庭に用意された椅子へ腰を下ろした。

そして気づけば、綾部くんが近くの石に腰掛けこちらを眺めていた。

穴掘りはもう良いのかな?

様子を窺っていたがそこから動く気は無さそうで、黙って私に視線を向けている。

綾部くんの行動は分からない事が多い。

現に今も。

ここまで感情の起伏が無く、考えを読み取ることができない生徒は他に居ないだろう。

この間のお花見での発言も、真の意図が読み取れなかった。

彼も忍者のたまごなのだから、読み取られない事は当たり前なのかもしれないが。

ななしは雲を掴む様な感覚に小さく息を吐いた。

 タカ丸はななしの後ろに立つと、腰紐に挟んでいた布をバッと広げ、腕を前へ回して包む様にななしの体を覆った。

首筋にタカ丸くんの指が触れ、項を滑り、布の内に入っていた髪を掬い上げた。

ひんやりとした指先に、少しだけ緊張する。

櫛で髪をときながらタカ丸は「どんな髪型にしますか?」と質問した。


「肩の辺りまでバッサリと切って欲しいの。」

「えぇ!?」


 ななしが答えると、タカ丸は悲鳴ともとれる声を上げた。


「こんなに綺麗な髪なのに切っちゃうの!?」


 驚いているのか信じられないのか、タカ丸は後ろからななしの顔を覗き込む。


「乾かすのが大変だから……」


 余りの反応に言いにくかったが、私は正直に述べた。


「そうなんですか〜……ちょっと残念だけど、長いと毎日のケアも大変ですからね。」


 半ば諦めた様にタカ丸は言い「じゃあ切りますね。」と毛先を軽く縛った後、髪に鋏を入れた。

軽快なリズムを刻み進んで行く音に、今更ながら惜しい事をしたのかなと思った。


「ほぉら、こんな綺麗な髪なんですよ。」


 そう言って手渡された、体を離れたばかりの毛束に目を落とす。

太陽の光に当たり、それは絹糸のように艶を揺らした。

ちゃんと手入れがされていたんだなと、まるで他人事のような感想が浮かんだ。

前髪も眉辺りで切り揃え。

タカ丸くんはチョキチョキと手早く仕上をして「完成!」と言うと、肩に乗った髪を払った。

そして懐から出した手鏡で仕上がった髪を見せた。


「すごーい!綺麗……」


 整った毛先は丸いフォルムになっていて、それだけで女の子らしく見える。

世に言うボブヘアーだ。

前よりも少し幼く見えるかも。

程よく短くなった前髪を見てそう思った。

布を外してもらいななしは立ち上がる。


「タカ丸くん、ありがとう!」


 振り返ってお礼を言うと、タカ丸はとろんと顔を綻ばせた。

首元を撫でる風にソワソワと心許無い気持ちになったが、頭が軽くなり、一緒に心も軽やかになった気分だ。

ななしはふと思い出した様に喜八郎の方へ顔を向ける。

変わらす何を考えているか分からない無表情で、膝に頬杖を付いていていた。

視線を向けられると思っていなかったのか、喜八郎は少しだけ目を見開いた。

感想を聞こうという訳ではなくて、単に所在が気になり確認してみただけだ。

最後まで見ていたのだなと思っていると、喜八郎は優しい眼差しで口元を緩めた。

何故かとても満足気に。

その穏やかな喜八郎の表情に、ななしの頬は思い掛けず上気した。

あれだけ無表情を貫いていたのに、急に笑うのは反則だ。

私は調子が狂い、すぐに目を逸らした。

その後はタカ丸くんにお礼を伝え教員長屋へ戻った。

するとちょうど手裏剣打ちの練習を終えた小松田さんと遭遇し、妖怪を見たかの様に驚かれてしまった。








2022.05.20
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