「君の手をとるまで」
□11.大山兄弟の段
1ページ/1ページ
-大山兄弟の段-
くのたま達が居ない時間を狙ってお風呂に入り、ななしは部屋へ向かっていた。
今夜は空が澄んでいて、月の光だけで廊下を歩くことができる程に明るい。
濡れたままの髪にタオルを掛け、足裏から伝わる木板の冷たさに、自然と足取りは早くなった。
ななしの部屋は教員長屋にあり、山田先生土井先生の部屋と小松田さんの部屋の間だ。
鍵も無くて不用心な気もしたが、くノ一長屋の部屋に空きがなく、弥縫策としてそこになってしまった。
住まわせてもらっている立場なので文句は言えない。
もうすぐ部屋に着くと言う所で、どたどたと足音が聞こえ、廊下の角を曲がる前にななしは足を止める。
何かあったのだろうか?
暢気にそんな事を考えていると、目の前が一気に暗くなって、ぐらっと平衡感覚を失った。
えっ!?
次に背中に軽い衝撃があり、うっと声が漏れる。
「ごめん!!大丈夫??」
焦った声が上から降ってきて、私はゆっくりと目を開けた。
「……竹谷くん?」
そこには、額に大粒の汗を張り付けた、五年生の竹谷八左ヱ門くんがいた。
私は走って来た竹谷くんと、ぶつかってしまった様だ。
「すみません!名無しさんでしたか。」
ななしだと気付くと、八左ヱ門は言葉を改めた。
咄嗟の事だったが、八左ヱ門はしっかりとななしの頭を守っていて、軽くお尻を打っただけで済んだ。
潮江くん然り、竹谷くんも恐るべき反射神経。
体は何とか大丈夫だが、いかんせん体勢が大丈夫ではない。
竹谷くんに押し倒されている感じになっているのだ。
濡れたままの髪が廊下に広がり、脚が絡み合って夜着が太腿まで開けてしまっている。
後頭部に手が添えられているので、互いの息がかかる程顔が近い。
状況を理解したのか、竹谷くんの顔はみるみる内に真っ赤になって、直ぐに私の上から体を退かした。
「す、す、すみません!!!」
そのまま土下座する勢いだったので、流石にそれは止めた。
私は夜着を整えると、深呼吸をして煩い心音を落ち着かせた。
「大丈夫だよ、気にしないで。急いでいるみたいだけど何かあったの?」
「あ、そうなんです!生物委員会で飼っている大山兄弟が逃げ出してしまって。」
未だ赤い顔のまま竹谷くんは言う。
「大山兄弟?」
って誰?
「はい、毒トカゲの大山兄弟です。」
「…え!?」
サラッと恐ろしい事を口にする竹谷くんに脳がフリーズする。
毒トカゲ!?
恐怖で血の気が引いていく気がした。
「今先生方に報告してきた所なんです。」
「そ、そうなんだ。」
「なので名無しさんも気をつけてください。草むらの中は絶対に入らないでくださいね!」
「う、うん。」
もちろん入りません、と思いながら頷く。
「私は飼育小屋の近くを探しに行きます。」
そう言って立ち上がった八左ヱ門は、座ったままでいたななしの手を引き助け起こした。
「あの、本当にすみませんでした。」
八左ヱ門は勢いよく頭を下げて言うと、すぐにその場を去って行った。
ななしはしばらく放心状態で立ち尽くす。
びっくりした。
ダブルで。
視界を覆う竹谷くんの切羽詰まった顔が、脳裏に焼き付いている。
鮮明に甦る記憶に、顔が燃える様に熱い。
油断していた私は、さぞかし間抜けな顔をしていたんだろうな。
ほんと恥ずかしい!
それに毒トカゲの大山兄弟!
恐ろしすぎるんですけど!
顔を赤くしたり青くしたり、ななしが一人百面相をしていると、廊下の角から土井先生が現れて、慌てて駆け寄ってきた。
この時間なので土井先生も夜着だ。
薄い羽織を着ているが、開いた襟から鍛えられた胸元が大胆に見えている。
それに、見慣れない長髪で、いつもと雰囲気がガラリと違う気がした。
……土井先生色っぽい。
そんな事を悠長に思いながら、まじまじと観察してしまった。
「名無しさん大変なんです、生物委員会の大山兄弟が逃げて……」
焦った声に現実へと引き戻される。
「あ、はい、私もさっき竹谷くんから聞きました。」
そう言うと、何故か黙り込む土井先生。
「土井先生?」
「その恰好で、竹谷と?」
「はい。さっきたまたま鉢合って。」
半助は渋い顔をすると、自身の羽織を脱ぎななしの肩へ掛けた。
ふわりと土井先生の香りがして鼓動が早まった。
「あの……」
「上級生はもう子供じゃないんです。」
まさかのセリフに私は目を見開いてしまった。
真剣な表情に、冗談で言ったのではないのだと分かり動揺する。
「……すみません。」
先程の事もあったので視線を合わせづらくて逸らすと、半助は両手でななしの頬を挟み上を向かせた。
「あえて言いますけど、私も男ですからね。」
「え……」
体が固まり熱を持ち始める。
なんでそんな事言うんだ。
意識してしまうではないか。
そういう狙いで言ったのかもしれないが……
私はただ、自身を捉えて放さない双眸を見つめ返すことしかできなかった。
束の間見つめ合っていると、ふと糸が切れた様に土井先生の表情が緩んだ。
「脅かす様な事を言ってすみません……心配なんです名無しさんの事が。」
余り気を抜かないでくださいと言って笑った土井先生は、いつもの土井先生だ。
張りつめていた空気が一気に解けて安堵する。
「職員と全校生徒で大山兄弟の捕獲にあたっていますが、危ないので名無しさんは私と一緒にいてください。」
「分かりました。」
ひとりにならないなら良かったと、ホッと胸を撫で下ろす。
それにしても、土井先生の真剣な目は指先がピリッとする程に鋭く緊張する。
プロの忍者はオーラが違うな。
ななしは前を歩く半助の背中を見て、ギュッと羽織を握りしめた。
小松田さんの部屋の前を通り、私の部屋の前に差し掛かったところで、土井先生は足を止めた。
「湯冷めしてしまうかもしれないので、先に部屋で乾かしてきますか?」
土井先生は振り返ると、私の濡れた髪を見て眉をハの字にする。
「そうですね、風邪を引いてしまったら困りますし。」
そう答えると、そうしてくださいと微笑まれ、優しい気遣いに顔が緩んだ。
一応、土井先生に部屋の中を確認してもらってから髪を乾かし、ななしも微力ながら大山兄弟の確保へ参加した。
結局、捕まえ終わる頃には夜が明けていて徹夜になってしまった。
凡人の私にはツライ。
下級生たちは私同様に眠そうに過ごしていたが、上級生ともなるといつもと変わらない様子で、数年の差でこんなにも忍者らしく成長するんだなと思った。
ななしの午後からの仕事は、吉野先生に頼まれた用具倉庫の備品整備で、最近貸し出した物が正確に戻って来ているかを確認する、と言うものだ。
知識不足な私のために吉野先生が提案してくれた。
忍者の道具は分からない物が多いので助かる。
備品を覚えながら仕事もできるなんて一石二鳥……と、そう思っていたのに。
小松田さんが例の如く侵入者の気配を察知して消えてしまった。
私は用具倉庫にポツリと置いて行かれたのだ。
「小松田さん……」
良い人なの、良い人なんだけどね。
ななしは毎度の如く肩を落とす。
一人でできるとは思っていないが、時間が勿体ないので一応作業をする事にした。
この状況に慣れ始めている自分に、適応能力が高いなと感心してしまった。
静かな用具倉庫に一人。
リスト用紙の文字達を眺めていると、お昼を食べた後なので余計に睡魔が襲う。
ななしは一人、欠伸を噛み殺してリスト照合をおこなっていた。
手裏剣はわかる。
縄梯もわかる。
苦無……も何とかわかる。
宝禄火矢とはなんだ?
火を点けて飛ばす矢のことか?
この鉄双節棍ってやつもわからない。
「困ったなぁ〜」
ななしはそう呟いて溜息を吐いた。
とりあえずわかるものだけ確認を終わらせて、わからないものは吉野先生に聞きに行くしかないか……
もう、小松田さんどこまで行ったのー!
一通り確認を終わらせたが、小松田さんは戻って来ていない。
ななしが諦めて事務室へ帰ろうとすると、用具倉庫に誰か入ってきた気配がした。
「小松田さん?」
そう思って声を掛けてみた。
だが、返事が返ってくることはなく、確認してもそこには誰も居ない。
開かれた扉から外を確認しようと体を乗り出すと、後ろから口を覆われビクリと心臓が跳ねた。
そのまま用具倉庫に引き込まれ、曲者かもしれないと、じんわり嫌な汗が流れた。
「んーんー!!」
声を出して暴れると、更にギュッと抱きしめられて耳元で声がした。
「しー静かに。」
その声で背後の人物が分かり動きを止める。
すると用具倉庫の外から、くのたまの騒がしい声が聞こえてきた。
「タカ丸さーんどこですか?」
「髪結いしてー!」
「タカ丸さん!」
大勢の足音が遠ざかって行くのを確認すると、タカ丸はななしの口から手を離した。
「ごめんねぇななしさん。」
「びっくりしたー」
タカ丸はあははとまったりとした笑みを浮かべている。
乱太郎くんから、タカ丸さんはくノ一教室の子たちに大人気なのだと聞いたことがあったのだが。
これ程とはと驚嘆してしまった。
「ところで、ななしさんはこんな所で何をしているんですか?」
そんな事を思っていると、タカ丸は口元に人差し指を当てて不思議そうに首を傾けた。
「このリストを見て備品の照合をしていたの。」
ひらりと用紙を揺らして言うと、思いも寄らず助け船が出された。
「ボクもお手伝いしましょうか?」
「いいの?」
「いいですよぉ〜」
「わからない物があって困ってたの、助かるよ!」
「ぜーんぜんお安い御用です。」
先程わからなかった宝禄火矢や鉄双節棍等を教えてもらい、無事に照合を終わらせることができた。
話しのテンポが落ち着いていて、説明も分かりやすく、この忍者の知識ゼロと言っても過言ではない私にも理解できた。
「タカ丸くんって四年生なのにしっかりしてるよね。」
「そうですかぁ?ボク途中で転入してきたから知識はそんなですよ。」
「えっ転入してきたんだ?」
「はい、だから歳は六年生と同じなんですよ。」
えへへと笑うタカ丸くん。
そう言えば体格も大きくて背も高いし、しっかりとしているのも頷ける。
私はそうなんだと呟き、ぼんやりとタカ丸くんを見上げる。
ふと視線が合って束の間、タカ丸くんの頬が赤く染まる。
「あの〜前から思っていたんですけど……」
そう言って唐突にタカ丸は一歩前へ出ると、うっとりとした表情でななしの髪を掬い上げた。
「ななしさんって凄い髪が綺麗ですよね。」
倉庫の中なのに光を反射しているのかと思わせる程、瞳が輝いていて少々戸惑う。
「そ、そうかな?」
「そうですよぉ、立花くんよりも綺麗でサラサラ。」
睫毛が長いなと思える距離に顔が近づきななしは体に力を入れた。
「そ、そうだ!もし良かったら今度髪結いしてくれないかな?」
私はこの状況に耐えられず、思いついたことをそのまま口にした。
「ええええ!!いいんですか?」と興奮気味に言ったタカ丸くんと視線が合いドキッとする。
ドライヤーが無くて髪を乾かすのに時間がかかるので、ずっと短くしたいと思っていたのだ。
容姿が急に変わって馴染みも無く、もちろん今の髪型にこだわりも未練もない。
「うん、お願いしようかなって思っていたの。」
「嬉しいです!すごく!」
顔の周りにお花が咲きそうな眩しい笑顔に、そんなに嬉しいかなと可笑しくなる。
「じゃあ、タカ丸くんの空いている日に。」
「はい!今度のお休みの日にしましょう!」
タカ丸くんは私の手を握り、「ななしさんありがとう!」とブンブン縦に振った。
その姿が可愛くて頬が緩む。
用具倉庫でタカ丸くんと別れると、私はリストを吉野先生へ提出しに事務室へ戻った。
すると驚く事に、全然帰ってこなかった小松田さんが「おかえりー!」と、のんびりお茶を飲みながら迎えてくれたので、ズッコケそうになった。
.