「君の手をとるまで」
□06.事務員の仕事の段
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-事務員の仕事の段-
明くる日。
私は小松田さんと共に食堂裏に居た。
「今日は薪割の当番なので頑張りましょうね。」
そう言って手斧を手渡された。
結構重いんだなと思い落とさない様にギュッと握り込む。
「僕は裏山にある薪を運んできます。」
「あ、小松田さん……やり方を教えてもらってもいいですか?」
もちろん薪割なんてしたことがないのだ。
小松田さんは眉を上げ「あぁ!」と言うと壁沿いに積まれた薪を指差す。
「えっとぉ、あっちの木をあれ位に切って、あそこに積んでおいてください。」
じゃあお願いしますと清々しい顔で行ってしまった。
待って、そう言うことじゃない!
この時代、薪割は日常の一部で知らない方が可笑しいのだろうが。
説明が雑過ぎない?
ど、どうしよう。
ななしは手斧と切株を順に見た。
テレビ映像や絵本で何となくイメージはある。
切株の上に薪を置いて斧を振り下ろして割るというものだ。
うん、とりあえずやってみよう。
私は食堂の勝手口横に積まれた薪を移動させ切株の上に一つ乗せた。
よし!と気合を入れて手斧を振り上げた。
すると。
「バカタレ!!」と背後から伸びてきた手に力強く腕を掴まれ、その余りにも迫力のある声に、私は盛大に肩を上げ驚いてしまった。
「何をしてるんだ危ないだろう!」
そう叫んだ青年は目を吊り上げてめちゃくちゃ怒っている。
「……ごめんなさい。」
私は小さい子供がお母さんに𠮟られた時の様にシュンと体を丸めて謝った。
焦っていたのか、彼ははぁ〜と息を吐くと手を離してくれた。
「これは手斧なので振りかぶって切るのは危険です。」
そうなんだと反省する。
「やって見せるので貸してください。」
彼は手斧を握ると、薪に斧の刃を当てた状態で薪を持ち上げ、切株にコンコンと軽く打ち付ける。
そして、刃が薪に食い込むと、添えていた手を離し切株に打ち付けた。
パコっと音を立て薪は綺麗に割れた。
「わぁ〜」
こんなに簡単に割れるなんてと感嘆の声が漏れた。
「やってみてください。」
「はい!」
私は彼から手斧を受け取り先ほど見た通りにしてみる。
しかし薪に刃が刺さった所で切株に打ち付けるが、彼の様に上手く割れなかった。
「一度で割らなくて良いので何度か打ち付けてみてください。」
「分りました。」
ななしは言われた通り打ち付ける。
コンコンと二回目でパカリと割れた。
「できました!」
嬉しくなって見上げると、彼はうむと照れた様に視線を泳がせた。
「あ、あなた…新しい事務員の……」
「はい!名無しと言います。教えて下さってありがとうございます!」
ニコリと笑ってお礼を言うと、彼はいえそんな大したことじゃ…と口籠り。
「無茶はしないでください、肝が冷えました。」と眉を寄せた。
「すみません。」
ななしは生徒に怒られたことが恥ずかしくて頬を掻いた。
この青年は深緑色の制服を着ているので六年生だろう。
「私は六年い組の潮江文次郎です。」
「あなたが潮江くん!」
名前を聞いて興奮してしまった。
文次郎は驚いて「はい。」と目を見開く。
そうかこの人が……忍術学園一ギンギンに忍者をしていると言う潮江くん。
「会いたかったんです。」
そう伝えると、文次郎の顔はみるみる赤く染まる。
「わ、私も名無しさんと会ってみたかったので……」
そういう風に思ってくれてたなんてと嬉しくなる。
「ところで、小松田さんはどうしたんですか?」
気まずく思ったのか、文次郎は直ぐに話題を変えた。
「薪を取りに行ったんです。」
「じゃあこれを名無しさん一人で?」
「はい。」
「大変でしょう、手伝います。」
「えっでも……」
「いい鍛錬になります。」
文次郎は壁に立て掛けられていた柄の長い斧を取り、二ッと白い歯を見せた。
なんて頼もしいんだろう。
柄の長い斧は振りかぶって薪を切っても大丈夫なようで、潮江くんが半分に切った薪を私が更に小さくしていった。
私たちは並んで黙々と作業をする。
少しすると、小松田さんが補充の薪が入った籠を背負ってやってきた。
「あれ?潮江くん。」
言った瞬間、足元にあった石に躓いて盛大に転んだ。
小松田さんの背中にあった薪が、私めがけて一直線に飛んできた。
咄嗟に腕で頭を守る。
しかし覚悟した衝撃は来ず、代わりに体がぐらりと傾く感じがした。
「……無事ですか?」
顔を上げると、潮江くんが私を抱えていた。
左手で私を抱き、右手で薪をキャッチしている。
庇う様なこの体制と、頬に当たる逞しい胸板に、ドキッと胸が鳴った。
って、ときめいている場合じゃない!
「ありがとう大丈夫!」
ななしは文次郎の腕の中から出ると、ふぅ〜と息を吐いた。
「ごめんななしちゃん!!大丈夫?」
小松田さんが焦って駆け寄ってきた。
が、小松田さんの方が血だらけでビックリしてしまった。
「私は大丈夫です、それよりも小松田さん鼻血が!!」
だらーっと垂れた血が事務員の制服を染めていく。
「あぁぁ!!!」
言われて気付いたのか小松田さんは大声を上げた。
「何をしているんですか、まったく。」
潮江くんはそう言うと、頭巾を外して小松田さんの鼻を押さえた。
「早く医務室へ行ってください。」
呆れ顔の潮江くんに言われて、小松田さんは「あーい!」と気の抜ける様な返事をすると、医務室のある長屋の方へ駆けて行った。
さすが六年生!
冷静な対応に拍手したい。
「潮江くん、さっきはありがとう!すごい反射神経だね。」
「いえ、まだまだです。」
謙遜する潮江くん。
ストイックな性格なのかな。
「さあ、補充も到着したことですし最後までやり切ってしまいましょう。」
「うんそうだね!」
私たちは顔を見合わせると作業を再開した。
「ギン!ギン!」
潮江くんの掛け声を聞きながらテンポ良く斧を振り下ろす。
ギンギンに忍者しているとはこの事だったのかと、ひとり納得してしまった。
薪割が無事に終わり、潮江くんにお礼を言うと私は事務室へ戻ることにした。
小松田さんすごい血が出てたけど大丈夫かなぁ。
なんて思いながら歩いていると、何故か開きっぱなしになっている正門から誰か入ってくるのが見えた。
はっ!仕事だ。
ななしは懐から入門票を取り出し急いで門へ走った。
その人は私に気付いてこちらへ顔を向ける。
「入門票にサインをお願いします!」
「ん?名無しさん。」
あっ命の恩人の山田利吉さん!
側に着くとななしは息を整えた。
「元気そうですね。」
そう言って利吉は表情を緩めた。
「はい、お陰様で。」
「あれ小松田くんは?」
「転んで怪我をして医務室へ行ってます。」
「あはは、そうなんだ。」
利吉は入門票を受け取ると話しながらサラサラと書き記した。
「なんだか新鮮だな。」
「そうですか?」
「うん、小松田くんの専売特許だからね。」
忍術学園の出入りに関しては厳しいから彼は、と苦笑いを浮かべる。
言われてみればそうかもしれない。
どれだけ遠くに居ても侵入者には気付くのだ。
はいと入門票を渡され確認する。
「確かにサインいただきました。お帰りの際もお願いします!」
「もちろん!声をかけるよ。」
利吉さんは爽やかにそう言うと、じゃあねと片手を挙げて行ってしまった。
利吉さんってかっこいいよなぁ〜と思いながら背中を見送り、ななしは入門票を懐に仕舞うと門を閉めた。
* * *
誰も居ない事務室に戻って来たが……さてどうするか。
薪割が潮江くんのおかげで予定より早く終わったのでお昼まで時間がある。
これを配っておこうかな。
ななしは机の上に置いてあった書類を手に取った。
五年生用の配布プリントだ。
小松田さんがいつ帰って来ても良い様にメモを残し、ななしは五年生の教室へ向かった。
校舎に着くとちょうど昼休みの鐘が鳴り、生徒たちがぞくぞくと教室から出てくる。
初めには組の委員長へ渡しに行き、次にい組へと向かった。
「あれ、名無しさん?」
「久々知くん!」
「どうしたんですか?」
「学級委員長宛のお知らせプリントを渡したくて尾浜くん居るかな?」
「ちょっと待ってくだいね。」
久々知くんが教室の中へ戻ると、勘右衛門と呼ぶ声が聞こえた。
そしてすぐに尾浜くんが教室から出てきた。
「ななしさん!」
パーっと輝く笑顔で駆け寄ってくる姿が、失礼かもしれないが人懐こい犬の様で可愛い。
「急に呼び出してごめんね、これ今度の実習のお知らせプリントなんだけど渡しておいて良いかな?」
「ありがとうございます!実習の詳細、気になってたんですよ。」
そう言って尾浜くんはプリントを受け取った。
「実習の?」
久々知くんがいつかと同じ様にひょこりと現れ、尾浜くんの手元を覗き込む。
「そう、兵助も見る?」
「うん見たい。」
肩を寄せ合ってプリントを見ている二人は仲睦まじく微笑ましい。
いつまでも見ていたいが他のクラスもあるのでそうもいかない。
「じゃあ私は鉢屋くんの所へ行くね。」
「あっ三郎は中庭あたりにいると思いますよ。」
「そうなんだ!ありがとう。またね尾浜くん久々知くん。」
「はいまた、ななしさん頑張って!」
尾浜くんにガッツポーズで応援され、ななしは笑顔で頷くと五年生の教室を後にした。
* * *
中庭に着くと尾浜くんの言った通り木陰に鉢屋くんがいた。
ななしは声を掛けようと近づく。
だが寸前のところで足を止めた。
いや、待てよ。
もしかして彼は不破くんなのでは?
鉢屋三郎くんはいつも同じクラスの不破雷蔵くんの変装をしているのだ。
ななしはムムムと眉を寄せて鉢屋くんらしき人の背中を凝視する。
すると視線に気づいたのか彼は、ん?とこちらに振り返った。
「……鉢屋くん?」
「あ、僕は不破雷蔵です。」
二択で間違えてしまった。
「鉢屋三郎はこっちですよ。」
項に鳥肌が立つくらいの距離で声がしてビクッと肩が跳ねる。
振り返ると鼻先十センチほどの距離に鉢屋くんが立っていた。
「私に御用ですか?ななしさん。」
そう言って三郎は笑みを浮かべると薄く目を細めた。
「そ、そうなんだけど……」
ななしは三郎の表情と余りの近さに後退った。
その反応に気を良くしたのか、三郎はふふっと声を漏らし、わざとらしくゆっくりとななしの頬に指先で触れた。
「顔が真っ赤ですよ?」
ぶわっと顔に熱が集まり、今度は自分でも赤くなっているだろうと分かる。
「お、大人を揶揄わないの!」
ななしは恥ずかしくなって怒るとぷぃと視線を逸らした。
「すみません可愛くてつい……、ななしさんって同い年くらいかなと思っていたので。」
三郎は悪びれた様子もなく笑う。
「こら三郎!失礼だぞ。」
話を聞いていた雷蔵は焦った様に三郎の肩を掴んだ。
「少なくとも鉢屋くんよりは年上です!」
本当は分からないけど勢いで言い放った。
三郎は申し訳なさそうに頭を掻き、調子に乗りましたすみませんと謝ってくれた。
わかれば良いのだ。
仮にも鉢屋くんは生徒で私は職員なのだから。
私は気を取り直してお知らせプリントを差し出した。
「これ学級委員長の鉢屋くんに渡しておくね。」
「あぁこれは、ありがとうございますななしさん。」
興味津々と言った表情で二人はプリントに釘付けになる。
やっぱり実習のこと皆んな気になるんだなぁ。
それにしても……そっくり。
私は本物の双子の様な二人に釘付けになってしまった。
視線を感じたのか三郎がプリントからチラリと目だけを動かす。
そして私を捉えると二ッと口角を上げた。
反省など毛ほどもしていない表情。
防衛本能が働き自然に体に力が入った。
この子、完全に私を揶揄って楽しんでいる。
さっきの申し訳なさそうな顔は何だったんだ。
何もわかっていないじゃないか。
獲物にでもなった様な心地がしてななしはたじろいだ。
「……私、もう戻るね。」
ななしの言葉に顔を上げた雷蔵はにこりと笑い、三郎も合わせた様に可愛く笑顔を作った。
顔は同じなのに性格は全然違うなと戸惑いながら、じゃあねと言うとななしはその場を去った。
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