「君の手をとるまで」

□03.新学期の段
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-新学期の段-



 数日経って熱も下がり、体調はかなり良くなった。

ここへ連れてきてくれた利吉さんは、忍術学園に勤めている訳ではないようで、目が覚めた日には既に学園を去っていた。

命の恩人にもう一度お礼がしたかったが仕方ない。

約一週間、この忍術学園で過ごしてわかった事は、この世界がかなり昔の日本で、たぶん室町時代だという事だ。

寝惚けた事を、と思うかもしれないが、この世界にはガスも電気も水道もなかった。

ライフラインが整っていないなんて元の世界では考えられない。

肌を撫でる緩やかな風、草木の青々とした匂い、米の仄かな甘味、井戸水の冷たさ。

どれをとってもリアルで、現実だと認めざるを得なかった。

顔も変わっているし、私はもう深く考えない事にした。

夢じゃなく現実。

死にたくなければココでの生活に適応していくしかない。

私はこの状況を受け入れ、生きる為に腹を括った。

薪を使って火を熾し、蠟燭で明かりを確保、井戸水を汲んで顔を洗う。

勝手が分からず、ただ寝起きするだけの生活で四苦八苦していたが、幸いなことに忍術学園の人たちはとても親切で優しかった。

土井先生は驚きながらも、分からないところは丁寧に教えてくれた。

山田先生は生活に必要な物を揃えてくれて、可愛い小袖やお化粧道具まで用意してくれた。

私の教育係となった小松田さんも、嫌な顔一つせず仕事の内容を教えてくれたし。

一時はどうなるかと思ったが、何とかやっていけそうでホッとしている。

 そして、今日から新学期。

聞いていた通り、たくさんの生徒が登校してきていた。

小学生から中学生くらいの歳の子達だろう。

門の前で、山田先生、土井先生と並んで挨拶していると、生徒の表情が眩しく輝いている様に思えた。


「土井先生おはようございます。」

「あぁ、おはよう!」


 土井先生が挨拶している隣で、綺麗な子だなと見ていると、その子は私に気が付いて声を掛けてきた。


「新しい先生ですか?」

「はい!事務員として働くことになりました名無しです、よろしくお願いします。」

「そうでしたか、私は六年い組の立花仙蔵と言います。こちらこそよろしくお願いします。」


 艶のあるサラサラストレートの長髪を揺らして、立花くんは礼儀正しくお辞儀をする。

身なりを変えたら女性に見えなくもない容姿だ。

六年生という事は忍術学園の最高学年。

受け答えもしっかりとしているし流石と言うべきか。

そんな事を思っていると、後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえ振り返った。


「ななしちゃーん!こっち手伝って!」


 小松田さんだ。

息を切らしている。

ここ数日の経験から何か嫌な予感がした。


「山田先生、土井先生、ちょっと小松田さんの所へ行ってきますね。」


 そう声を掛けて、急いで小松田さんの助っ人へ走った。

案の定、予想は的中し、大切な書類をぶちまけて大変な事になっていた。

廊下で転んだのか、紙が外まで飛んでいっている。

とりあえず廊下側を小松田さんに任せて、私は外に落ちた書類を拾い集めた。

十枚ちょっと集めたところで、残りはあの一枚だと拾いに走る。

すると最後の一枚は逃げる様に風に乗って宙を舞った。


「あっ!」


 手を伸ばし書類を掴もうとしたが、ひらりと無情にも穴に落ちてしまった。

ななしはあぁと情けない声を漏らして穴を覗き込んだ。

その中には生徒の忍たまの子がいて書類をキャッチしていた。


「すみません!それ私のです!」


 ふんわりウェーブのかかった髪を揺らし、紫色の制服を着た少年は、不思議そうに「ん?」と私を見上げる。


「おやまぁ、編入生ですか?」

「あ、事務員です。」


 サイズの合った制服が無く、一時凌ぎとして生徒が使う女装用の小袖を着ていたので、見間違えてしまったのだろう。


「事務の方でしたか、それは失礼しました。」


 その流れで「はい。」と書類を手渡されて受け取る。


「ありがとうございます。」

「どういたしまして。」


 この穴は彼が掘ったのだろうか?

新しい制服には既に土がついて汚れている。


「よっと!」


 彼は背丈ほどある穴から軽々と出て来ると、真顔でジッとこちらを見つめてきた。


「なんでしょう、顔に何かついているかな?」


 私は反応に困ってとりあえず笑って見せる。


「何も付いていませんよ。僕は四年の綾部喜八郎です。」

「綾部くんね、私は事務員の名無しななしです。」


 無表情で何を考えているか読めないが、律儀に自己紹介してくれるあたりいい子なのだろう。


「ななしさんと言うんですね、覚えておきます。」

「ありがとう。」


 尚も見つめ続けられて戸惑っていると、綾部くんと同じ色の制服を着た子が「喜八郎!!」と大声を上げてこちらへ走って来た。


「あ、滝夜叉丸。」

「あ、滝夜叉丸。ではない!もう授業が始まるぞ!」


 こんなに泥だらけにして、と滝夜叉丸と呼ばれた子は綾部くんの制服に付いた土をテキパキと払ってあげている。

うん、この子も優しい。

その様子を温かい気持ちになって見ていると、土を払い終えた滝夜叉丸がななしをキラキラした目で捉えた。


「あなたは編入生ですか?」


 先程と同じ質問に、そんなに幼く見えるのかなと笑って「事務員の名無しです。」と自己紹介した。


「事務員の方でしたか、それは失礼致しました。私は四年い組の平滝夜叉丸と申します。教科の成績が一番なら実技の成績も一番、忍たまの期待の星。戦輪を投げれば二年連続」

「滝夜叉丸!」

「なんだ喜八郎、自己紹介の最中だぞ。」


 まだまだ続きそうな自己紹介に、綾部くんが強引に割り込んだ。


「授業いいの?」

「あぁ!!!新学期早々遅刻なんてありえない!名無しさん失礼します!」


 行くぞ喜八郎!と滝夜叉丸くんは綾部くんの腕を掴み校舎へ向かって走り出した。


「ななしさんまたね〜」


 綾部くんは焦る様子もなくひらひらと手を振り去って行った。

ななしはそれに応えながら二人の温度差に苦笑いする。

個性的な生徒だったなぁ。

あ、私も小松田さんの所へ戻らないと。

悠長にし過ぎたと焦って、急いで廊下へ向かった。








 * * *



「午後からは、各クラスの文具類の点検と修理をしますね。」

「わかりました。」


 午後の予定を聞きながら、小松田さんと二人で昼食をとるために食堂へ向かっていた。

へっぽこ事務員と呼ばれている小松田さんの恐ろしさを、午前中のやらかしで大分理解できた。

午後はスムーズにいけばいいなと切に思う。

事務員の仕事は所謂雑務で、落とし紙(トイレットペーパー)の補充、各教室への教材プリントの配布、文具類の管理、来訪者の対応、掃除等々だ。

忍者学校の事務員と聞いて心配していたが、私にも出来そうな仕事内容で良かった。

 食堂に着くと、出入口前にメニューの貼り紙があって立ち止まる。


「Aランチが鯖の味噌煮定食で、Bランチが麻婆豆腐定食かぁ。」


 小松田さんは読み上げると、顎に手を当てムムムと悩んでいる。


「ななしちゃんはどうする?」

「うーん、私はBランチにします。」

「Bランチか…じゃあ僕もそうしよっと!」


 笑顔でそう言った小松田さんが幼く見えて笑ってしまった。

歳は十六らしいので相応なのかな?

私も今はそのくらいの見た目だけど、実際は歳を取ってるから皆んなが可愛く見えて仕方ない。

料理を受け取るためカウンターの所で並んでいると、廊下が騒がしくなり、続々と人が集まってきた。


「午前の授業が終わったみたいですね。」


 すぐに食堂がいっぱいになりますよと小松田さんが教えてくれた。

それは早く食べなければと思い、ななしはチラリと後ろを確認する。

楽しそうな笑い声と共に一番に食堂へ入ってきたのは、紺色の制服を着た二人組で、ちょうど後ろを向いていた私と目が合った。


「あ、小松田さん…と、見たことない先生?」


 長髪でクリクリした丸い目の少年がそう言ったのが聞こえた。


「はじめまして、事務員の名無しです。」


 とりあえず挨拶をしてみる。

今日何回目の自己紹介だろうか。


「はじめまして!五年い組、尾浜勘右衛門です。」

「同じく、久々知兵助と言います。」


 尾浜くんの肩からひょっこりと顔を出した久々知くん。

仲良く笑顔を並べた姿が可愛らしい。

癒されるなぁ。


「よろしくね。」

「こちらこそ!」


 生徒数も多いし名前が難しくて覚えられるのか心配になる。

忘れないようにしっかりと顔を見て、この子が尾浜くんで、この子が久々知くんとインプットした。

そんな事をしていると、美味しそうな香りを漂わせて、食堂のおばちゃんがBランチをカウンターへ置いた。


「どうぞ、名無しさん。」

「「わぁー美味しそう!」」


 声が重なって「えっ?」と反応し振り返る。

いつの間にか背後に移動していた久々知くんが、目を輝かせBランチを見つめていた。

なんてキラキラした目なんだ。


「久々知くんは麻婆豆腐が好きなの?」

「はい!豆腐が大好きなんです!!」


 頬を赤らめ、肩の触れそうな距離でそんな事を言うので、ドキッと心臓が跳ねた。

笑顔の破壊力よ。


「そうなんだ、お豆腐美味しいもんね。」


 すると、久々知くんが期待を込めた表情でグッと距離を詰めてきた。

私は何事かと、忙しく動く心臓を落ち着かせる。


「名無しさんもお好きなんですか?」

「え?あっうん、私も好きよ。」


 豆腐が好きですかという質問だとわかっているのに、つい動揺してしまった。

久々知くんはそれはもう嬉しそうに喜ぶので、何だかこちらまで嬉しくなる。


「ええー!!!ななしちゃんは久々知くんの事が好きなんですか!?」


 話を聞いていなかったのだろう、小松田さんが興奮して声を荒らげた。


「違いますよ小松田さん、豆腐の話です。」


 一部始終を見ていた尾浜くんが苦笑いして訂正してくれた。


「なぁんだ、てっきり久々知くんとななしちゃんが両想いなのかと思った。」


 あははと笑う小松田さんを見て、尾浜くんに続き私も苦笑いを浮かべた。








 * * *



 昼食をとった後は、予定通りに文具の点検をして回り、壊れた物は修理するため一旦事務室前の廊下へ運んだ。

午後から実技の授業を行う学年が多いので、このタイミングでするのが一番いいのだそう。

だが、修理を始めようとしたところで「侵入者の気配!」と言って、小松田さんが急に何処かへ消えてしまったのだ。

ひとり残されてしまった私は一体どうすれば良いのだろうか。

直し方が分からないし、小松田さんの行方も分からないし、困ってしまった。

文具の一つを手に取ってみる。

大きな三角定規で、持ち手の所がぐらぐらと取れそうになっていた。

ボンドとかは無さそうだし……釘で固定したらいいのかな?

勝手に作業していいものか悩んでいると「お困りですかお嬢さん。」と声が聞こえ振り返った。

そこには、深緑色の制服を来たキリッとした目の青年が立っていて「手伝いましょうか?」と更に声を掛けてくれた。


「あ、良いんですか?」

「良いですよ。」


 爽やかな表情でそう言うと、彼は私の隣に座って三角定規を覗き込んだ。


「貸してもらえますか?」

「はい!」


 パッと見てどうすればいいか理解した彼は、三角定規を受け取ると一瞬で壊れた所を直してしまった。


「す、すごい。」


 余りの早技に呆気に取られていると、横からぷっと吹き出す音が聞こえた。


「噂通り、可愛いですね名無しさん。」

「えっ?」


 可愛いという言葉と、どうして名前を知っているのかという驚きで目を見開く。


「貴方のことは立花仙蔵から聞きました。六年は組の食満留三郎です。」


 立花くんから聞いたのかと納得して、そうだったんだと声が漏れた。


「私は用具委員会委員長なので、こういう事は慣れてるんです。」

「用具委員会委員長……食満くんはすごいんだね!」


 そう感心して言うと、食満くんは「そんな事ありませんよ。」と笑った。


「さっ、後も直してしまいましょう!」


 食満くんは言うと、あれよあれよと言う間に全ての文具を直してしまった。


「食満くんありがとう!助かりました。」 

「いえいえ、これくらいどうってことないですよ。」


 側で見ていたので直し方は大体理解できた。

今度からは、上手く出来るか分からないが、ひとりでも作業はできそうだ。

救世主食満くんは颯爽と去っていき、その後帰ってきた小松田さんに「ななしちゃんすごいよ!」とめちゃくちゃ褒められてしまった。

もちろん訂正したが、この先大丈夫だろかと私は心配になった。












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