「君の手をとるまで」
□02.私は誰の段
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-私は誰の段-
カタカタと風が戸を叩く音で目が覚めた。
霞がかった視界に映ったのは、木板の張られた天井。
ここはどこなのかと、ぼんやりとする頭で思考を巡らせる。
そう言えば、さっきまで雪山に居たのではなかったか?
私は寒風の刺す様な痛みを思い出し、手の平を確認する。
包帯が綺麗に巻かれ手当てされていた。
……あたたかい。
助かったのだと安堵していると、部屋の扉が静かに開かれた。
「目が覚めましたか?」
そう言って、白い衣服を纏った優しそうな男性が枕元に座った。
「私は忍術学園の校医をしております、新野洋一と申します。体の具合はどうですか?」
校医と言うことは、この人が手当をしてくれたのだろう。
「えっと、大丈夫だと思います。」
ななしの曖昧な答えを聞いて、新野はニコリと笑顔を浮かべると、失礼と断って手首で脈を取り始めた。
そのまま流れる様に身体検査が始まり、ななしは身を任せて大人しく布団の上に座った。
「少し熱があるようですが、外傷等はありません。」
新野はななしと向き合う様に座り、数日安静にしてくださいねと優しく笑った。
「ありがとうございます。あの、ここはどこでしょう?山田利吉さんは……」
ななしは青年のことを思い出し、控え目に問う。
助けてくださいと伝えた後の記憶がない。
と、言うことは、彼がここまで運んでくれたのだろう。
重かっただろうなと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ここは忍者の学校、忍術学園の医務室です。利吉くんは教員室でしょう。」
に、忍者の学校?
頭を殴られた様な衝撃が走った。
生まれてこの方、そんな学校があるなんて聞いた事が無い。
もしかして揶揄われているのだろうか?
様子を窺ってみるが、真面目そうなこの人がふざけているとは思えなかった。
やっぱり変だ。
一体ここはどこなんだろう。
ななしが戸惑いの表情を浮かべていると、新野は言葉を続けた。
「私からも質問してよろしいでしょうか?」
「は、はい。」
助けてもらったのに私ばかりが質問をして失礼だったと反省する。
「お名前は?」
「名無しななしと申します。」
「どうしてあんな雪山に居たのですか?」
どうして?
それは私にも分からない。
「すみません、どうしてあそこにいたのか思い出せないんです。」
「そうですか。お家は?」
「家は……分かりません。」
住所を答えようとしたが、記憶からぽっかりと抜け落ちたかの様に思い出せなかった。
答えられない事ばかりで心苦しくなる。
新野はそんなななしを責めるでもなく、落ち着いた声で「大丈夫です。」と言った。
「記憶が混濁しているのかもしれません。無理に思い出そうとしなくていいのですよ。」
日が経てば自然と思い出すかもしれないと、普通は疑いたくなるだろう私を、新野さんは優しく元気付けてくれた。
それだけで混乱していた頭が冷静になった気がした。
そして、ちょうど話が途切れたところで、再び戸が開いた。
「目が覚めましたか。」
この声。
視線を向けると、そこには山田利吉さんが立っていた。
あの時は笠で分かりにくかったが、間違いなく彼だろう。
後ろには黒い服を着た男性が二人立っている。
ななしは姿勢を正すと、彼に深く頭を下げた。
「助けていただいてありがとうございました。」
あのまま雪山にいたら今頃死んでいただろう。
目が覚めて一番にお礼がしたいと思っていた。
利吉はななしの行動に驚きながら、いえいえ気にしないで顔を上げてくださいと声を掛けた。
ななしが顔を上げると、利吉の後ろに立っていた男性の一人が口を開いた。
「体調が優れないところ申し訳ないのですが、一緒についてきてもらえますかな?」
ななしは逆らう理由もなく、素直に従って男性の後を付いて行く。
部屋を出る前に、新野さんが肩に羽織を掛けてくれた。
そのタイミングで、自分が浴衣の様な物に着替えさせられていたのに気がついた。
* * *
私を含め五人で廊下を歩いている。
広い敷地に古き良き日本家屋が並んでいた。
本当にここはどこなんだ。
映画やドラマの撮影場所にしても出来過ぎている。
この人たちも見たことのない格好だし。
ななしの不安は募るばかりだ。
離れの様な場所に着くと、黒服の男性が中に声を掛けた。
「学園長、連れて参りました。」
入れという声を確認し、男性が障子を開く。
中には、お年を召した男性と一匹の犬が座っていた。
ななしは促され、その男性の前に腰を下ろした。
「ワシは忍術学園の学園長、大川平次渦正じゃ。こっちは忍犬のヘムヘム。」
お利口に座ったヘムヘムと紹介された犬が、名前の通りヘムヘムと言って挨拶してくれた。
「その方、名は?」
「はい、名無しななしと申します。」
この人がここで一番偉い方なのだろう。
何となくの知識に習って膝の前で手を付いて頭を下げた。
「そう硬くならずとも良い。」
「恐れ入ります。」
ななしはそう言って顔を上げた。
そして、タイミングを見計らっていたのか、後ろに座っていた新野さんが「学園長……」と声を掛け、記憶が混濁している様だと先程の診察内容を報告した。
「そうか……家も分からんとなると困ったのう。」
私はここを追い出されてしまうのだろうか……
この塀の外は一体どうなっているのか。
ビルなんてものは見えないし、唯一確認できるのは、山と、どこまでも続く青空だけだ。
何も持っていないし、とりあえず警察に行って事情を説明して保護してもらう?
山奥だったら?
交番もないかもしれない。
腕を組んでう〜んと唸る学園長を見つめて、私もどうしようと内心唸る。
「思いついた!!」
突如声を上げた学園長に、ななしはビクリと肩を上げた。
心臓が止まるかと思った。
「記憶が戻るまで、ここで事務員として働いてもらおう!」
陽気に立ち上がった学園長は、それはそれは楽しそうに言い放った。
「「「学園長!!」」」
突拍子の無い提案に、後ろに座っていた利吉と黒服の二人が声を揃える。
「名案じゃろ?」
眉を上げて得意げな顔。
後ろの四人はやれやれと頭を抱えている。
「記憶が戻ったら家に帰ればいい!どうじゃ?」
長く伸びた眉毛を上げて、学園長はななしに視線を向けた。
私がいうのもなんだが、こんなあっさりと受け入れていいのかと驚いた。
今追い出されることを考えると、ここに置いてもらった方が良い気がする。
そう直感して、学園長の気が変わらない内に、とりあえずななしは「よろしくお願いします。」と応えた。
「では、山田先生と土井先生、あとよろしく!」
笑顔でそう締めくくり、学園長はヘムヘムとどこかへ出かけて行ってしまった。
ななしはポカンとして、先程二人が……いや、一人と一匹が出て行った障子を見つめた。
重い空気を感じてゆっくり振り返る。
困惑した四つの顔が並んでいた。
彼らにとっては、いわば丸投げ状態。
そんな顔にもなるだろう。
申し訳なく感じてななしは視線を落とした。
「とりあえず医務室へ戻りましょう。」
新野の言葉で、ななしたちは元来た廊下を歩き医務室へ戻った。
* * *
「私は、一年は組、実技担当教師の山田伝蔵と言います。」
先程同様、布団に戻って座ると、髭を生やした黒服の男性が自己紹介をしてくれた。
「同じく、一年は組、教科担当土井半助です。」
隣に座っている私と同い年くらいの男性も続けて挨拶をする。
利吉さんと伝蔵さんは苗字が同じなのだなと思っていると、それが顔に出てしまっていたのか、利吉さんが「山田伝蔵は私の父です。」と教えてくれた。
なるほど親子。
「とりあえず、熱があるようなので体調が回復するまでは安静に。新野先生の指示に従ってください。」
「分りました。」
「一週間後に新学期で子供たちが登校してきますから、それまでにある程度学園の知識を入れてください。」
新学期?
だから学校なのに子供の声が聞こえなかったのか。
ななしは返事をして必要最低限の事を聞くと床に就いた。
静まり返った部屋にひとり。
どうしたものかと再び頭を悩ませた。
誰も居ない事を良いことに、体を起こしてぐるりと周りを観察した。
木造のかなり古い建物だ。
引き出しが沢山ついた背の高い棚が置いてある。
その横にある低い棚には、見た事のない道具達が並んでいた。
「何に使うものだろう……」
喉が乾いたらこの水を飲んでくださいと新野さんが置いていった水桶と柄杓も、現実味が無くて違和感でしかない。
そんな事を思っていると、ふと水面に映る自分に目がいく。
「………………だれ?」
記憶にある私とは似ても似つかない容姿。
これは一体、どういう事???
混乱して、息苦しくなって、ひどく眩暈がした。
これは本当に自分なのかと、ペタペタ顔に触れた。
触っている感覚も触られている感覚もある。
「……うそ。」
信じられない。
例え難い驚きと恐怖で、腹の底から震えた。
水に映る自分は元の自分より随分幼くなっている。
「落ち着け、落ち着け。」
そう唱え、残った記憶を必死に呼び出した。
私の歳は二十代後半、もうすぐ三十路を迎えると嘆いていたはず。
この水に映る私はどうだ?
どう見ても十五、六と言ったところか。
確認のため頬を抓ってみたがちゃんと痛い。
もしかして前の私は死んだのか?
転生したのか?
そんなバカな話あるわけない。
落ち着くんだ私。
今思い出せる記憶をありったけ捻り出し、状況を整理してみる。
私の名前は名無しななし。
歳は、うん、もうすぐ三十路。
一人暮らしをしていて、中小企業の事務員として働いていた。
恋人はいない。
何故か家の住所は思い出せない。
ここに来た状況も思い出せない。
ここが何処なのかも分からない。
見た目が全くの別人になっている。
絶望。
この二文字が頭の上に重く圧し掛かった。
熱のせいなのかそうでないのか、頭が割れる様に痛くて顔を顰めた。
とりあえず、体調を回復させてから考えようと、私は考える事を放棄して布団に潜り込んだ。
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