「雲間に咲く」

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 ここ数日は茹だる様な猛暑日が続いていた。

日の下に出るのを躊躇するほどだ。

そんな中、ななしはゴミ捨ての為に裏口から店の外に出ていた。

中々に重量のあるゴミを片付けて顔を上げると、頭上に居座る太陽が容赦なく肌を焼いている気がした。

じわじわと汗が滲み出る。

頬を滑った汗は顎先から地面へと吸い込まれていった。


「……暑い。」


 私はぼやいて額に浮かぶ汗を手の甲で拭う。

こう暑いと外での作業は億劫になってしまうな。

五分も経っていないのに、もう頭が熱を吸収してボーッとしてきた。

こんな思考が低下した状態でも一番に思い出すのはカカシさんの事だ。

"山で修行する"

そう言っていた。

少し体を動かしただけで目眩を起こしそうな夏日が続いているのだ。

山の中で倒れていないだろうかと心配だった。

無理をしていないといいんだけど……

 ななしはそんな事を思いながら眩しい太陽の光に目を細めた。

カカシさんの事を考えると連鎖的に思い出すのは茶屋でのこと。

今までも何度か感じたことのある空気だった。

胸の辺りが痺れる様な、あの感覚。

カカシさんの表情を見て。

声を聞いて。

たったそれだけの事なのに私の中はざわざわと落ち着かなくなるのだ。

思い出したら赤面、思い出した赤面をしつこいほどに繰り返している。

それほど、以前よりも増してカカシさんの事が頭から離れなくなっていた。

去り際の言葉がグルグルと頭を回っている。

"誰にでもする訳じゃない"

勘違いしてほしくないと思って言ったはずなのだ。

だから、少なからず好意は寄せてくれていると思う。

今までの行動とか会話とか。

改めて思い返すと、すごく大切にされていると感じた。

少しくらいは期待してもいいんだよね。


「早く行くぞコレ!」


 突然聞こえた声に、私はハッとして顔を上げた。


「待ってよぉ〜」


 路地の先を走り抜けていく子供たちが見えて、仕事中だったと我に返った。

私は急いで店の中へ戻った。


「ゴミ捨てありがとう!」


 裏口から厨房に入ると、団扇をパタパタと動かし体を休めるミツが迎えてくれた。


「暑かったでしょ、ななしもしっかり水分補給してね!」


 ミツはシンクの上にあったお茶の入ったグラスを持ち上げて「ほら。」と差し出した。

液体の中を氷が泳いでカラッと涼しい音を立てる。


「ありがとう。」


 私はグラスを手に取ると勢いよく流し込んだ。


「はぁ、生き返る〜」


 食道を冷たい麦茶が通っていく。

それだけで必要以上に熱くなってしまった体が冷却されていく気がした。

私はグラスの中身を一気に飲み干すと、ゆったり持ち場に戻った。

午前の営業を終え、暖簾を下げるため店を出ると、見覚えのあるシルエットが視界に飛び込んできた。


「ナルトくん!」

「あっななしねーちゃん!」


 駆け寄ってきたナルトくんは「久しぶり!」と白い歯を見せて笑った。


「久しぶり、元気だった?」

「おう!めちゃくちゃ元気だってばよ!」


 太陽みたいに眩しい表情にななしの頬は緩む。


「カカシさんから聞いたよ、ナルトくん中忍試験の本戦に出るんだね。」

「そうそう、オレってば本戦に出るの!」


 だから毎日修行がんばってるんだってばよ、とニシシと笑って頭の後ろで手を組んだ。


「そっか……ねぇ、ナルトくん。良かったらこの後ご飯でも食べに行かない?ご馳走様するよ!」


 純粋に応援したい気持ちが込み上がってきて、ついそんな事を言ってしまった。


「え!?マジで!?いいの?」

「うん!毎日頑張ってるナルトくんにご褒美!」


 私が悪戯っぽくウインクして見せると、ナルトくんは幼さの残る顔を向日葵の様に明るく綻ばせた。









 * * *



 ななしは仕事を終えるとすぐに一楽へ向かった。

あの後、ナルトくんに何が食べたいか尋ねると「一楽のラーメン!!」と即答だったので、一時間後にお店で落ち合う約束をしていた。

一楽のラーメンを食べるのはいつ以来だろうか。

父さんと食べたのが最後だった気がする。

懐かしい気持ちに浸っていると、人波の先にぴょんぴょん跳ねる黄色い頭が見えて自然と笑顔になった。

「お待たせ。」と声を掛け歩み寄る。

ナルトくんは「席は確保しておいたってばよ!」と親指を立てた。

年相応の可愛らし姿に胸が温かくなり、私はナルトくんに促され暖簾を潜った。

お店の中は記憶に残っている景色と変わらなくて、何故かとても安心してしまった。


「いらっしゃい!」


 大将は朗らかな表情で迎えてくれた。

ナルトくんはここの常連なのか、驚くほどお店の空気に打ち解けている。


「なぁ、ねーちゃん本当に何頼んでもいいのか?」


 ナルトくんは確認するようにそう言って私を窺い見た。


「いいよ、食べたいものなんでも頼んで!」


 ニッと笑顔を向けると、ナルトくんは嬉しそうに「じゃあじゃあ!とんこつ味噌チャーシュー大盛り!」と声を張り上げた。


「あいよっ!」


 大将もそれに応える様に声を張った。

釣られて私もナルトくんと同じものを並サイズで頼んでしまった。

ラーメンが出来上がるまでの待ち時間。

普通なら待ち遠しさを感じるところだが、ちっとも苦にならないくらいにナルトくんの話は面白かった。

今修行をつけてくれているエロ仙人という人の話だ。

あだ名はちょっと師に相応しくないものだったが、話を聞いていると面白い人物像が浮かぶ。

ナルトくんも毎日ヘトヘトになるまで修行を頑張っているのだなと尊敬した。

きっとカカシさんも。

そう思ったところでフッと思い出す。

かなーり今更ながら、カカシさんの遅刻の件を言い忘れていた事に。


「ナルトくん……ごめん。」

「え!?なに、どうしたんだってばよ?」


 ななしのいきなりの謝罪にナルトは動揺し目を見開いた。

当然の反応だろう。

理由を話して再度謝ると、ナルトくんは合点がいった様に「だから直らなかったのかー!」と手をついた。

そして険しい表情で「可笑しいと思ったんだよ。」と腕を組んだ。

私は居た堪れなくなり「ラーメンおかわりしていいからね。」と許しを求める。

それはナルトくんにとって魔法の言葉だったのか、機嫌が噓の様に戻った。

私はホッとして密かに胸を撫で下ろす。

自分の事で一杯一杯になって、ナルトくんとの約束をすっかり忘れていた。

今度カカシさんに会ったら言わないとな。

そう思って視線を落とすと、タイミング良くラーメンが完成し「お待ち!」と目の前にどんぶりが置かれた。


「いっただっきまーす!!」


 ナルトくんは間髪入れず麺をズルズルと啜り始める。

出来立てだけど熱くないのかな?

そんな心配をしたが無用だったようだ。

ナルトくんは幸せそうに麺を頬張っている。

不思議な事に、その表情を見ているだけでこちらまで幸せな気分になった。

私も割り箸を取りいただきますをすると、ふうふうと念入りに冷まして麺を吸い上げた。

暑い中で食べるラーメンは想像以上に美味しかった。

この濃さが良い塩分補給になっているのかもしれない。

クセになりそう……

黙々とラーメンを味わっていると、ナルトくんが「あのさ」と顔を上げた。


「ななしねーちゃんってカカシ先生のこと好き?」


 余りにも突拍子もない質問に、ラーメンが気管に入り思い切り咽せた。

危うく鼻から麺が飛び出るところだ。


「ねーちゃん大丈夫か?」


 ナルトくんは心配そうに眉を寄せている。


「だ、大丈夫だよ。」


 涙目になった目元を拭い、私は当たり障りのない無難な返答を考えた。


「好きか嫌いかで言えば好きだけど、何で急にそんな質問を?」


 冷静を装いながらも動揺を隠しきれず、私はコップの水を一気に飲み干した。


「だってさーお似合いだなぁって思って。」


 ニシシと白い歯が見えた。

屈託のない笑顔に、じわーっと嬉しさが込み上がる。

素直に、お似合いだと言われた事が嬉しかった。


「そ、そうかなぁ〜」


 舞い上がりそうな気持をグッと堪えて戯けた様に言う。


「そうそう!カカシ先生いい加減なところがあるから、ねーちゃんが彼女になってくれたら、ちったー変わんじゃねぇかなと思って。独り身で可哀想だし。」


 ナルトくんは自信たっぷりに口角を上げた。

教え子にそういう風に思われているんだと笑ってしまいそうになった。

私は「どうだろう。」と苦笑いを浮かべ、ナルトくんと私のカカシさんに対する認識の違いに驚いていた。

今までしっかりした姿しか見てこなかったので、いい加減な姿が想像できない。

私の知らない、カカシさんの新たな一面を垣間見た気がした。

それに、独り身で可哀想って。

大きなお世話だ、という言葉が聞こえてきそうだ。

ナルトくんは「カカシ先生、ななしねーちゃんのお願いに弱そうだろ?」と、とっても楽しそうに笑う。


「まぁ、ねーちゃんが好きなら問題ないってばよ!」


 そう言ってナルトは自己完結したようにラーメンを大きく啜った。


「え!?な、なにが問題ないの?」


 理解が追いつかなくて私は狼狽える。


「なにって、付き合うの。」


 ナルトくんは涼しい顔でサラリと言い放つ。

暑さで耳がやられたのかと疑った。


「好きとは言ったけど、そのー、そういうのではなくて……えっと……」


 ななしが言い淀むと、ナルトは怪訝そうに「じゃあどんな好き?」と言った。

どんな好きと言われても……

私はしばらく悩んで躊躇いながら「尊敬?」と答えた。


「尊敬ぃ〜??」


 ナルトくんは眉間に皺を寄せて、理解できないといった顔をしている。


「カカシ先生ってば尊敬はできないと思うけど。」


 任務サボるし、やる気なさそうだし、毎回遅刻してくるし、常にエロ本読んでるし……とボソボソと呟きが聞こえた。

どれも意外だったが、特に最後は耳を疑うカミングアウトだった。

聞かなかった事にしよう。


「そ、そうなんだ〜私はお仕事の時のカカシさんは知らないけど、頼もしくて優しくて笑顔が素敵で、カッコイイと思うけどな。」


 そう言うと、ナルトはジトッとななしを見つめ、それから口を開いた。


「……ちゃんと好きじゃん。」


 言われて私は再び固まった。

尊敬とか言っておきながら、つらつらと好きですアピールをしてしまった。

今から言い訳をしても遅い気がする。

私はどうしたものかと苦悩した。

するとナルトくんが「ねーちゃんは嘘が下手だなぁ〜」と言ったので泳いでいた視線を向けた。

ナルトくんはビー玉の様な綺麗な空色の瞳で私を映している。

そして、ニッと嬉しそうに笑った。


「オレってば全力で応援するってばよ!」


 ガイさんを彷彿とさせるナイスガイなポーズ。

胸を揺さぶられる様な、無邪気で真っ直ぐな声援だった。

まるで好きでいていいと言われている様で心強さまで感じる。

固くなっていた頬が緩み、つい笑みが溢れた。

「ありがとう。」と言ってしまった。

ナルトくんは私の返事に満足そうに「おう!」と答え、ラーメンを食べるのを再開させた。

私も未だ湯気の昇るラーメンを見下ろし、麺を掬い上げた。

カカシさんが私のことをどう思っていようと。

忍の彼女に何を言われようと。

カカシさんを好きでいたい。

自分の気持ちに正直でいたいと思った。

今日、ナルトくんと会えて本当に良かった。

ななしは晴れやかな気持ちで麺を啜った。









2022.07.13
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