「雲間に咲く」

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 七月に入って一週間が経った。

カカシさんはお店に来ていない。

お隣に住んでいるというのに、ひとたびタイミングがズレると全く顔を合わせることがなかった。

どこかほっとしている自分がいて嫌になる。

今日はお店の定休日だ。

私は常例になっている両親のお墓参りに来ていた。

刻まれた名前の傍に花を供え、そっとお墓に触れる。


「父さん、母さん、私……」


近況報告できる状態じゃないな。

私はそう思って自嘲気味に笑う。

頭の中で次の言葉を探していると、墓石に落ちる自身の影を、一回りも二回りも大きい影が覆った。

体が固まった。

影が視界に入るまで気配を感じなかった。

そのせいで背後に立つ人物が誰なのか分かってしまったのだ。

心臓が絞られる様に苦しくなる。

私は十分に時間を掛けて振り返った。

そこには予想通りの人物が立っていた。

仰ぎ見るには高すぎる身長に、私はゆっくりと立ち上がり、小さく息を吸う。

風で揺れる銀髪と、日を受けた蒼黒の瞳がそこにあった。


「カカシさん。」

「……久しぶり。」

「お久しぶりです。」


 私は高を括っていたのかもしれない。

まさか、カカシさんから会いに来る事はないだろうと。

お互いに覚束ない笑みを浮かべている。

そう思っているのは私だけかもしれないが。


「元気?」

「あ、はい!元気です。カカシさんもお変わりありませんか?」

「うん。」


 距離感を模索している様なぎこちなさだ。

言い訳もできない程に動揺が前面に出ている。

もちろん不自然に感じているだろうが、カカシさんは怪しむことなく笑った。


「最近忙しくてね、中々お店にも行けなくて。」

「中忍試験の関係ですか?」

「そう。国外からたくさんお客が来るから準備とかね。」

「それは大変ですね。」


 望んでいた言葉だった。

避けられていたのではなくて内心ホッとする。


「ななしちゃんはどう?最近変わったこととか。」


 カカシさんは表情も声色も変える事なく問う。

指先が微かに動いてしまった。

核心を突かれたように胸が鳴る。


「私は別に、取り立てて変わったことはないですよ。」


 私は作り物の笑顔を張り付けて答えた。


「……そう。」


 カカシさんは柔らかそうな銀糸を靡かせて、一呼吸も二呼吸も置いてから口を開いた。


「これから時間があるなら、お団子でもどう?」

「え?……カカシさん、甘いものは苦手なんじゃ。」

「今日は食べたい気分なの。」


 にこりと笑うカカシさんの表情は、それが本心なのかどうか疑う余地を与えないものに思えた。

心の奥底から、押し込めたはずの感情が漏れて出している。

きっとこの緩んだ頬も、とっくに作り物ではなくなっているに違いない。


「……そう言う事なら、ぜひ行きたいです。」


 自ら会うことを避けていたというのに、いざ顔を見ると歓喜が喉元をせり上がり震えてしまいそうだった。














 * * *



 お店へ向かうまでの間、取り留めのない会話を交わす。

テンポを取り戻すと早くも気まずさは薄れ、以前となんら変わりない穏やかなものになっていた。

二人の空間は心地よく少し懐かしく感じた。

茶屋に着くとテーブルの上のお品書きを頭を突き合わせて覗いた。


「ななしちゃんどれにする?」

「私は三色団子にします。」

「確か前もそれだったよね……好きなの?」


 答えるためにお品書きから顔を上げると、カカシさんは先に顔を上げていた。

私が顔を上げるのを待ち構えていたような、そんな眼光が瞳にあった。

逸らしてしまいそうになるのを堪え「そうなんです。」と微笑む。


「カカシさんはどうしますか?」

「オレは草団子にするよ。」


 注文を済ますと、微妙な沈黙が生まれる。

じっとしていられなくて、熱い湯飲みを口元へ運んで、ふうふうと冷ましてみた。

ゆらゆらと上る湯気越しに視線が交わる。


「中忍試験の事なんだけど、サスケとナルトが本戦に出ることになったんだ。」


 私は驚いて目を丸くした。


「そうなんですか!?すごい!」


 興奮して手元が揺れお茶を溢しそうになった。

何故かカカシさんは何とも言えない顔をしている。


「……浮かない顔、ですね。」

「いやね、子どもの成長は早いなぁと思ってさ。」


 カカシさんは口布の下ろしてお茶を一口啜った。

成長はもちろん嬉しいのだろう。

けど同時に寂しさを感じるものなのかもしれない。

私には経験のないことだが、何となくそんな気がした。


「あと数年もしたら頼もしい仲間になりますよ。なんて言ったってカカシさんの教え子ですからね。」


 私は三人の姿を思い出して言う。


「ははっどうだろうな〜……まぁ、これからが楽しみだよ。」


 カカシさんは露わになった口元を緩ませた。

それはそれは綺麗に笑うので、カカシさんの顔から目が離せなくなった。

タイミングよく注文していたお団子が運ばれてきて、私はハッとして何事もなかった様に振る舞う。

見惚れてしまっていた。

あぶないあぶないと思いながら、いただきますと手を合わせて丸い一つを口に入れた。


「ん〜〜美味しい!」


 優しい甘みともっちり触感。

何個でも食べられそうだ。


「ななしちゃんはホント美味しそうに食べるね。」


 花を愛でる様な表情で言われて顔に熱が集まった。


「そっそうですかね?」

「うん、ずっと見ていたいよ。」


 爽やかな笑顔でとんでもないことを言うので、危うく団子が喉につっかえるところだった。

今の私には刺激の強い言葉だ。

にやけてしまいそうな口を懸命に閉じているので、変に曲がっていないか心配になる。


「カカシさんは食べないんですか?」

「ん?食べるよ。」


 カカシさんは新緑色の団子が付いた串を取って口へ運んだ。

上下の唇が離れて、隙間から赤い舌がのぞく。

そのまま嚙り付くと思いきや、動きを止めてぎこちない笑みを浮かべた。


「そんなに見つめられると食べにくいなぁ。」


 無意識に凝視してしまっていた。


「すみません!」


 指摘されたことが恥ずかしくて、私はやってしまったと大袈裟に首を振り視線を逸らした。

顔から火が出そうだ。


「もしかしてこっちも食べたかった?」


 見当違いの事を尋ねられ、いえそう言う事じゃなくてと反論しようとすると、唇にひんやりと柔らかいものが触れた。

突然のことに心臓が飛び上がる。

私の目には、緑と眩しい程のニコニコ笑顔が映った。


「まだ口付けてないから大丈夫だよ。」


 いや!そう言う事じゃなくて……

体が石のように固まって、脳天から水蒸気が出ていないだろうかと不安になった。

反応のない私に痺れを切らしたのか、カカシさんは「あーん」と声を出して食べるように促した。

耳裏で銅鑼を鳴らされているかの様に心音が煩い。

口が付いてしまったので仕方ないと、私は覚悟を決めて差し出された団子に噛みついた。


「どう?」


 カカシさんは可愛いく首を傾げ、悪びれた様子もなく聞いてくる。

どちらかと言うと悪びれるというよりも好意や善意といった感じだ。

正直、味なんてわからなかった。

緊張が味覚を遥かに上回っている。


「おいひいれす。」


 何とか答えると、カカシさんは嬉しそうに「良かった。」と微笑んだ。

これは、現実なのか?

熱で脳がやられ復旧するまで時間がかかった。

体の感覚が正常に戻り始めると、今更ふわりとヨモギの香りが鼻を抜ける。

もしかして、カカシさんは誰にでもこんな事をするのだろうか?

咀嚼を終えた口に白の団子を入れ、そんな事を考える。

もしかしてがもしかしてじゃなかったなら、目の前で平然と団子を食べるカカシさんは女にはかなり恐ろしい存在ではないだろうか。

お皿の上に団子の無くなった串が二つ並び、私たちはのんびり食後のお茶を楽しんでいた。

結局はカカシさんとの時間を満喫してしまっているなと思う。

好きなのだと。

もう足掻いても無駄なのだと突き付けられた気分だ。

あの女の人。

あれから一度も現れていない。

カカシさんに近づくなって言っていたけど、何処からか監視しているのかな?

誰なのか気になっている。

聞けばわかるかもしれないが、聞いてどうするのかと言う気持ちもあった。

ななしが黙ったままでいると、カカシが言い難そうに口を開いた。


「誘っておいてなんだけど……まずかったかな?」

「え?」


 表情は明るいのに、まるで影が差した様だった。


「好きな人がいるのかなって。」


 驚きすぎて体が一度大きく震えた気がした。

息が詰まって胸が苦しい。

好きな人に好きな人がいるのかと聞かれるなんて、想像もしていなかった。

カカシさんが知りたいのは、きっとお姫様抱っこの件だろう。

私は不自然にならない様に小さく息を吸った。


「いないですよ。」


 平常心、平常心。

そう唱えて笑顔を作った。

カカシさんの反応は至って普通で「そっか……変なこと聞いてごめん。」と、笑っただけだった。

悲しい反応ではあったが、心底ほっとした。

今日のカカシさんは時々際どくて鋭い。

まるで腹の探り合いをしているかの様な錯覚がした。

変に勘繰りそうになる。

少しの間をあけて、カカシさんは再び口を開いた。


「実はななしちゃんには伝えておきたい事があって。」

「……何でしょう?」


 話の流れ的に身構えていると、カカシさんは「本戦までに修行をするから一か月くらい山に籠る。」と言った。

悪い話ばかりを想像していたが、そうではないみたいで一気に力が抜けた。

どうして私に伝えるのだろうかと疑問を浮かべると、「当分は家に帰らないから、お隣さんだし、一応ね。」と補足してくれた。

私は嬉しくなりながらも律儀だなと思ってしまった。


「知らなければきっと心配していたと思います。修行、頑張ってください!」


 胸が温かくなり、頬が自然と上がって唇が弧を描いた。


「ありがとう。」


 カカシさんも右目を細めて笑った。

場の空気がゆったりと流れだす。

張り詰めた緊張感はもうどこにもなかった。

お店を出ると私は買い出しのため商店へ、カカシさんは修行の準備のため家へ向かう。


「他里の忍もうろついているし、気を付けてね。」

「はい、気を付けます。」


 私はだらしなく緩んだ顔で応えると、見送るためにカカシさんが動き出すのを待った。

でもどうしてか、待てど暮らせどカカシさんはその場から動き出そうとしない。

代わりに明後日の方向を見据え、後ろ頭を掻いた。

何かあるのだろうかと、私はその様子を静かに見上げていた。


「あのさぁ……」

「はい?」

「変に勘違いされるのも嫌だから言っておくけど……さっきの、誰にでもするわけじゃないから。」


 チラリと視線を寄越したカカシさんは、マスクで分かりにくいが照れている様だった。

それが分かると、じわじわと伝染したように頬が熱くなる。

「え?」と開いた口からは言葉が続かなくて、どういう意味なのかと問う事すらできなかった。

瞬きを繰り返すだけで反応しない私に、カカシさんは気まずそうに「……じゃあ、また。」と言った。

ポケットから片手を出して上げると、半ば言い逃げる様に背を向ける。

私は焦って、消えそうな声で「また。」と見送った。

 血液が濁流の様に体を巡っている。

諦めたそばから性懲りもなく。

また、同じ気持ちならと願ってしまった。

とんでもなく有頂天になっている自分がいる。

聞けば良かったのかな。

そうすれば関係が進展したのだろうか。

どんなに自分に言い訳をしても、結局はカカシさんを求めている。

己の貪欲さが恐ろしい。

これから一ヵ月会えないと言うのに。

気の利いた言葉も浮かばず、そのまま見送ってしまった。

私はしばらく放心して、カカシさんが去った後も行き交う人の波を眺めていた。












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