「雲間に咲く」

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 ベッドの上に寝転んで火照った体を夜風で冷ましていた。

明日が休みで良かったと心底思う。

チリンチリンと涼やかな音が暗い部屋の中に響き、少しずつ酔いが醒めていくのが分かる。

私は暗闇に慣れた目で天井を見ながら、お店からの帰り道の事を思い出していた。














 * * *



「すみません迷惑をかけてしまって……」


私はうずまき模様の付いた頼もしい腕を借り何とか歩けていた。

互いの熱が伝わる程の距離に顔を上げられない。


「ぜーんぜん気にしないで、ツラかったらもたれてくれて良いからね。」


 そう言って嫌な顔一つせず気遣ってくれるカカシさんはどこまでも優しい。

ゆっくりな歩調と歩幅まで合わせてもらっている。

好きな人にこんな情けない姿を晒して、恥ずかしくて穴があったら入りたい。

一歩一歩と進むごとに体の右側が密着して、お日様の様な清潔感のある匂いが鼻腔をくすぐった。

もうそれだけで倒れてしまいそうだ。

この状況と酔いとが相まって私の心臓は未だかつて無い程の緊急事態に陥っている。

カカシさんはこの距離を特に気にしていないのか、至って変わらず落ち着いているようだ。


「ななしちゃんはあの定食屋に勤めて長いの?」


 カチカチに緊張した私を知ってか知らずか、カカシさんは普通に会話を振ってくれている。


「13歳から働いているので10年くらいですかね。」

「10年!?ベテランさんだね〜手際が良いわけだ。」

「あはは、どうですかね〜」


 私は照れを誤魔化す様に笑って見せる。

働いている姿を褒められるなんて嬉しい限りだ。


「笑顔もとっても素敵だし。」


 ”素敵だし”

その言葉に咄嗟に顔を上げると、優しく見下ろすカカシさんとバッチリ目が合った。

私の頬は熟れた林檎の様に真っ赤になっているだろう。


「カカシさんも……優しい笑顔が素敵です。」


 私ばかり褒められる状況に居た堪れなくなり、ついポロリと本心を漏らしてしまった。

褒め返されると思っていなかったのだろう、驚いた後、カカシさんの目が泳ぐ。

今伝えたのはタイミング的におかしかった?

様子の変わったカカシさんを見て今更ながら不安になる。

視線が合わないまま少し間がありカカシさんは口を開いた。


「ななしちゃんに言われると嬉しいよ。」


 肩越しに見える照れた様な穏やかな表情に一際大きく胸が鳴った。

表情ひとつ言葉ひとつに期待してしまっている自分がいる。

カカシさんの優しさをどうしても都合良く解釈してしまう。

私は顔の火照りが収まるまで、俯いたまま顔を上げられなかった。

右、左と足を前に出す事に集中していると商店街を抜けて辺りが幾分か静かになった。

ユラユラと意識が揺れ、まるで微睡みの中にいる様だ。

右手の甲がカカシさんのベストに触れる。

その感覚が遠い記憶を呼び戻した。


「懐かしいです、このベストのモコっとした感じ。」

「ベスト?」


 カカシさんは弾かれたようにこちらに顔を向けた。


「父も忍だったので、子供の頃はこうして引っ付いて歩いたりもしていたので。」

「そっか……なんか分かるかもその気持ち。」

「え?」


 今度は私が弾かれたようにカカシさんの方を向く。


「オレも父さんにおぶられた時、頬に当たるベストのモコっとした感触が好きだったんだよね〜」


 価値観が合うとは言い過ぎだが、些細な事を共感することができて堪らなく嬉しい。


「良いですよね!このモコっとした感じ。」

「うん。」


 そう言って笑い合うと先程までの恥ずかしかった気持ちが少し薄まる。


「お父さん、忍だったんだね。」

「はい。仲間思いで優しくて……とても尊敬していました。」

「娘にそう思われるなんて立派な父親だ。」

「早くに亡くなってしまったけど、忍として生きた父を誇りに思っています。」


 心の内をありのまま伝える。

カカシさんになら遠慮なく話してもいい様な気がしたから。


「ななしちゃんはさ、何だろう……上手く言い表せないんだけど、強いよね。」


 どこか遠くを見つめる憂いを帯びた横顔に、胸の奥がチクリと痛む。

この前お墓の前で会った時の表情だ。

きっと、私には想像もつかないような、色んな悲しい過去を持っているんだろう。

マスクで覆われた横顔を見てそう思った。


「カカシさん。」

「ん?」

「良かったらまたこうして、ご飯に行きませんか?今度はこんなヘロヘロまで飲みませんから。」


 覚束ない足元に格好は付かないがニコリと笑って見上げる。


「……うん、是非。オレも誘おうと思ってたんだよね。」


 カカシさんは照れたようにそう言って「再来週なんてどう?」と、既に予定を確認していたのだろう言葉を続けた。


「大丈夫です!」

「良かった。じゃあ今日と同じ時間に迎えに行くね。」

「ありがとうございます。」

「お店は調べておくから任せて。」


 軽くウインクするカカシさんが可愛くて、ふふっと声を出して笑ってしまった。


「お願いします。」


 話していると直ぐにアパートが見え始めた。

まだこうして側に居たいと思ってしまう。

この空間が心地良くて、名残惜しい。

階段を上って家の前まで来ると、不自然にならない様にカカシさんの腕を離した。


「ありがとうごさいました。」

「いえいえ。」


 夏だと言うにも関わらず右手に触れた空気が冷たく感じた。


「とっても楽しかったです。」

「オレも楽しかったよ。」


 二人の間に少しの沈黙が流れる。

お互い廊下で突っ立ったまま、何ともぎこちない別れ際だ。

いつもの様におやすみなさいと言って家に入れば良いだけの事なのに、体が動かない。

このままだとカカシさんを困らせてしまうだろう。

私はそう自分に言い聞かせ、じゃあと口を開く。

顔を上げると、カカシさんの漆黒の瞳が揺れる事なく真っすぐに私を映していた。

その揺るぎのない視線に全身が泡立つように熱くなり固まる。

呼吸が浅いのか少しずつ胸が苦しくなった。

動けない訳ではない。

でもどうしてかカカシさんから目が離せない。

男の人にしては白く綺麗な右手が宙に浮いたかと思うと、次の瞬間にはピタリと止まった。


「……カカシさん?」


 動きがあったことで、私はぎこちないながらも何とか声を発することができた。

カカシさんは何事も無かったように手をポケットに戻すと、眉を下げ「ゆっくり休んでね。」と優しく笑う。

一体何だったのか。

私の心臓は未だにドキドキと煩いままだ。

カカシさんの笑顔に釣られるようにはいとだけ小さく答えた。


「おやすみななしちゃん。」

「おやすみなさい、カカシさん。」


 その言葉を合図に、私はカカシさんに見守られながら家の扉を開け中に入った。

静まり返った部屋の中。

締め切られていてモワッと蒸し暑い。

私は灯りも点けずに洗面所やキッチンを通過し、ゆっくりリビングへ移動すると窓を全開にした。

停滞していた空気が動き、月に照らされた風鈴が軽やかな音を奏でる。

私はポスンとベッドに腰掛けると糸が切れた様に倒れ込んだ。

 あぁ……苦しい。

耳の内で痛い程に音を立てながら血液が全身を巡っている。

もう取り返しのつかないくらい、カカシさんの事を好きになっているのだ。

ミツやガイさんに応援され頑張ると言っていたものの、頭のどこかでは叶わない恋だと思っていた。

私は何の取り柄もないただの一般人、対してカカシさんは木ノ葉の里のエリート上忍。

皆んなに頼りにされて尊敬されるすごい人なのだ。

生きている世界が違う。

私はただただ運良く隣に住んでいただけなのだ。

今私たちの間に有るのはそんな薄く細い繋がりだけ。

だけどこのまま何もしないで諦めたくない。

今日、色んな表情を見て声を聞いて温かさを感じてそう思ってしまった。

これから少しずつでもカカシさんの事を知って、もし叶う事ならば……その繋がりを強いものにしていきたい。

 酔いのせいか意識が風に漂う様に薄れていく。

ガラガラと外から窓の開く音が聞こえ、何となくカカシさんが窓を開けたのかなと思った。

チリンチリンと風鈴の音色が部屋に響き渡り、ゆっくりと心を落ち着かせた。

この音、聞いているのかな。


 カカシさん

「……貴方の事が好きです。」


 ぼんやりと天井を眺めながら、体が動くようになるまでただベッドに沈み込んでいた。












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