「雲間に咲く」
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約束の日の朝、アラームが鳴るより早く目が覚めてしまった。
タオルケットを畳んでベッドに置き仕事へ行く支度を始める。
洗面所の鏡に映った顔を見ると普段よりも肌艶が良い気がした。
昨晩、今日の為に買っておいたパックを使って念入りにケアをしたお陰だ。
よしよしと頷くと洗濯をしながら薄く化粧をした。
いつもならご飯の後に化粧の順だが何故だかルーティンが崩れる。
時間に余裕があるので落ち着いてはいるのだが、どことなくソワソワしている事は間違いない。
そんな状態に、浮かれてるなと苦笑いして、私は洗面所を出た。
* * *
「おはようななし!」
「おはよう!」
仕事場に着いてロッカーに鞄を入れたところで聞き慣れた声に振り向く。
ミツの顔はいつに無くニヤついていて、フニフニと人差し指で私の頬をつついた。
「な、なに?」
「準備バッチリじゃない。」
揶揄うような声色にばつの悪さを感じて「まーね。」と照れて目を逸らす。
「そんな緊張してると私まで緊張しちゃう!」
豪快に笑われた事が恥ずかしくて、口を尖らせ「だって……」とボソボソ呟く。
エプロンを着け終わったミツはそんな私を嬉しそうに見ると背中をトンと叩いた。
「心配しなくても大丈夫、ななしは可愛いんだから!笑顔だよ!」
こっと歯を見せて笑う親友の言葉が心強い。
私は気づかない内に緩んだ顔でうんと頷くと揃って開店準備を始めた。
時刻が12時を回ると、昼休憩に突入した人の波がドッとお店に押し寄せてきて、ものの数分で店内は満席となった。
「ななしちゃんこれ三番!」
大将の叫ぶ様な声に返事をして料理を取りに行く。
お待たせしましたと届け終えたところで、後ろから注文良いですかと言われ直ぐに振り返って対応する。
「大将、二番さん日替わり一つ!」
「あいよ!」
私は厨房に声を掛け返事を聞くと伝票をボードに張り付けた。
人の波が落ち着いた頃には14時を過ぎていて、忙しくて忘れていた緊張感が戻ってくる。
ソワソワしながらも仕事を熟しているとあっという間に17時だ。
片付けを終わらせミツに見送られながら家路に着いた。
* * *
約束の時間まであと30分。
予定通りワンピースに着替えて化粧を直し、髪は暑いのでポニーテールにしてみた。
どれほど気合を入れたら良いのかわからず、ポーチの奥底に眠っていたピンクのリップを塗ってみた、が……
「変?」
誰に問うのでもなく不安で独り言が漏れる。
うーんと唸っているとピンポーンとチャイムが鳴って、それだけで心臓が飛び出そうになった。
あれ、もうそんな時間?
私は慌てて鞄を引っ掴み駆け足で玄関へ向かった。
「はーい!」
声を掛けながら扉を開くと、そこにはにっこり顔のカカシさんがいつものスタイルで立っていた。
「こんばんは、待たせちゃったかな?」
「いえ全然!」
「そう、なら良かった。」
落ち着いていて大人の余裕を醸し出しているカカシさんと、バタバタして焦る自分がえらく対照的で恥ずかしくなる。
私は上気した顔を隠す様に用意していた靴を履いた。
「行きましょうカカシさん。」
狭い玄関を出るとしっかり鍵を閉めて側に立つカカシさんを見上げる。
「なんか……」
カカシさんは私の顔を見ると言い淀んで視線を逸らした。
な、なんだろう………やっぱり変?
焦りが顔に出ない様にしながらも、内心ヒヤヒヤして言葉の続きを待つ。
カカシさんはチラリと目だけを動かし一瞥すると遠慮がちに口を開いた。
「いつもと雰囲気が違って、ドキドキしちゃうなぁ〜なんて。」
指で頬を掻きながらお道化た様に言う。
照れた様な何とも言えない表情に、私の心臓は爆発しそうだ。
「そ、そうですか?変じゃないかなって心配してたんですけど……良かったです。」
私は気付かれぬように胸を撫で下ろしながら、カカシさんに習ってお道化て見せる。
「全然変じゃないよ。そのワンピースもななしちゃんに良く似合ってる。」
「ふふ、ありがとうございます。」
徐々に緊張から開放され、いつもの調子が戻り笑が溢れる。
「カカシさんは普段と変わらないですね。」
定食屋で見るのと変わらずの忍服を纏い、ゆる〜い雰囲気のカカシさん。
「そう?見た目はアレだけどななしちゃんが思ってる以上には気合入ってるよ。」
唯一見える右目の眉が少し上がった。
「カカシさんも気合入れてくれてるんですね。」
同じようにこの日を楽しみにしてくれていたのが嬉しい。
「まぁ、そりゃーねぇ。」
私はゆっくりと進むカカシさんの横に並んで歩きながら、自然と口角が上がるのを感じた。
「その言い方だとななしちゃんも気合入ってるんだ?」
「私は見た目に分かりやすいと思いますが。」
そう言って笑って見せるとカカシさんは満足そうに右目を弓形にする。
こうして面と向かって会ってみると、今まで悩んだり緊張していた事が馬鹿らしくなる程一気に吹っ飛んだ。
カカシさんの隣のこの空間は、体がむず痒くなる様な特別な心地良さがある。
隣に立っているだけなのにすごい幸福感だ。
好きな人の力って恐ろしい。
幸せを噛み締めながら足を動かしていると、カカシさんはポケットに両手を入れたまま首を傾けた。
「お店なんだけど、商店街の所にある焼き鳥屋を予約してて……ななしちゃんお酒飲める?」
「はい!強くないですが飲めます。焼き鳥良いですね〜久しく食べてないです。」
そう答えると表情からホッとした様子が伝わってきた。
「あー良かった、10代だったらどうしようかと思ったよ。」
頭の後ろに手を当て笑うので、冗談なのかそうでないのかよく分からない。
「ご心配なく、23歳です。」
「23か〜若いなぁ。」
「カカシさんはおいくつですか?」
「ん〜オレは26。」
「あんまり変わらないじゃないですか!」
「あはは、確かにそうだね。」
緊張感に解放されたお陰か、会話がスムーズに交わされる。
私たちの間に流れる空気が普段通りの和やかなものになっていて、カカシさんも緊張していたのかなと都合よく考えてしまった。
「そこのお店だよ。」
横道に入った少し先に瓦屋根の軒先に赤提灯を提げた店が見えて、カカシさんは指差す。
食欲をそそる香ばしい匂いに迎えられ、私はカカシさんに続いて暖簾をくぐった。
「予約していたはたけです。」
そうカカシさんが伝えると、従業員の女性は待ち構えていたかの様に「ご案内致します。」と身を翻した。
通された二名掛けのテーブル席は、頭の上ぐらいまであるパーテーションで区切られていて居心地が良さそうだ。
椅子に座ると先程の女性が直ぐにおしぼりとメニューを持って来てくれた。
「飲み物どうする?」
カカシさんはドリンクのページを開くと私に見える様に差し出した。
お礼を言って並んだ文字をサーっと眺めた後カカシさんに視線を戻す。
「う〜ん、迷いますね。」
提供することはあっても飲みに行くことなんて滅多にないので悩んでしまう。
「カカシさんはビールですか?」
「うん、オレはビールかな〜」
カカシさんはそう言うと、言葉を続けながらメニューの一角を指さしくるっと円を描く。
「お酒に慣れてないならこの辺りが甘くて飲みやすいと思うよ。」
あっ居酒屋で働いてるなら知ってるかと言いながらも、優しくアドバイスをしてくれるカカシさんにキュンと胸の奥が締まる。
「あの……」
「ん?」
「一杯目は一緒にビールを飲んでも良いですか?」
私の言葉に驚いたのか一瞬目を丸くすると、ふふっと笑い声を漏らし「いいよ。」と快くオーケーしてくれた。
瓶ビールとグラスを二つ頼んでから、再びメニューを眺め焼き鳥を吟味する。
「美味しそう。」とか「これ珍しい!」とか言いながら何とか頼むものを絞れたところで飲み物が運ばれてきた。
ようやく注文を終えてお互いビールを注ぎ乾杯をしてグラスに口を付ける。
白く粟立つ麦色をゴクリと喉に流し込むと口の中に独特の苦い風味が広がった。
「んむ」
ビールを飲むのは二回目で、今日はいけるかなと思ったが前回と変わらず自然と眉が寄る。
「……っぷ」
正面を見ると笑いを堪え切れなかったのだろう、カカシさんが顔を横に向けて肩を震わせている。
「もうカカシさん、笑わないでください!」
恥ずかしくて顔が熱い。
「ごめんごめん、可愛くって。」
カカシさんはそう言うと目を細めて、何故かありがとうと言ってくれた。
カカシさんと同じ物が飲みたかったなんて子供じみた理由が恥ずかしくて居た堪れない。
背伸びしてみたがまだ私にはビールは早すぎたと反省する。
グラスの残りを一気に飲み干すと、次は迷わずカカシさんにお勧めされた甘いゾーンからお酒をチョイスした。
焼き鳥は二本セットで来るので一本ずつ分け合いながら仲良く堪能した。
どれも身が大きくて脂がのっていて美味しい。
料理を食べながらお酒を飲み、ナルトくん達の話や近所の商店の話をして十分に打ち解けた頃、カカシさんがふと思い出した様に話し始めた。
「そう言えば最近、アパートのどこからか風鈴の音が聞こえてすごく癒されてるんだよね。ななしちゃんの家も聞こえる?」
まさかの内容に焼き鳥が喉につっかえそうになったが無事に飲み込む。
「それ、ウチです。」
「えっそうなの?」
お猪口を傾けていたカカシさんの手がピタッと止まった。
「少しでも納涼になればと飾ってみたんです。カカシさんも癒されていたんですね。」
共有できていたことが嬉しくて緩む顔を隠しきれない。
「有難く恩恵を受けてるよ。」
そう言ったカカシさんの顔も嬉しそうに綻び、お酒のせいなのか少し赤らんだ頬が可愛かった。
〆に鶏雑炊を食べお腹いっぱいになりふーっと息を吐くと目の前のカカシさんも同じ様に息を吐いていて、それが無性に可笑しくてどちらからともなく笑った。
お会計を終わらせてお店を出ると、酔っているのか体がほわほわとしていた。
「大丈夫?」
カカシさんが心配そうに顔を覗き込んできて距離の近さに息を飲む。
普段は身長差があるせいで気にならない長い睫毛や、引き込まれるような濡羽色の瞳に見つめられて心拍数が上がる。
「大丈夫です!ご馳走さまでした!」
私は視線を逸らす様にお礼を言うと勢いよく頭を下げた。
その反動でぐらりと脳が揺れる。
「ぁ…」
想像以上に体がふらついて体勢を崩すと、即座に反応したカカシさんが肩を抱きとめてくれた。
「飲ませすぎちゃったかなぁ〜」
カカシさんは申し訳なさそうに眉を下げて言う。
私はそう思わせてしまった事が申し訳なくて、支えてくれている腕に掴まり両足でしっかりと地を踏む。
「すみません……美味しかったからつい飲み過ぎてしまいました。」
謝りながらも経験のないふらつきに自分でもびっくりしていた。
意識はしっかりしているのに、どうも体が言うことを聞いてくれない。
「そう言ってもらえると嬉しいよ、歩けそう?」
「何とか。」
答えるとカカシさんは今の私の状態を理解しているのか、さり気なく腕を出してくれた。
「掴まって歩く?」
「でも……」
良いのだろうか?
また変な噂が立ったらカカシさんの迷惑になるのではと朧げながら思考を巡らす。
「掴まって歩くか、抱っこされるかの二択だけど、どうする?」
「だっ……」
カカシさんの抱っこ発言に、みるみる顔に熱が集まる。
この状況を楽しんでいるような表情のカカシさん。
抱っこは恥ずかしすぎる!
「腕を貸してください!」
誘導されているのは分かっていたが気にする余裕もなく直ぐに答えた。
カカシさんは狙い通りだったのだろう満足そうに微笑むと、どうぞと再び腕を出してくれた。
私は転ばない様にしっかりとカカシさんの腕に掴まる。
自分より一回りも二回りも太い逞しい腕にドキドキして、どうかこの煩い心音がカカシさんに聞こえていませんようにと祈った。
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