「雲間に咲く」

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「あー…だめかも。」


 私はレジ台に寄りかかり小さく呟く。

朝から違和感はあったのだ。

頭がボーっとして体が熱い感じで。

当然、原因の見当はついている。

風邪引かないようにねって話した手前どうしても認めたくなくて、重い体に鞭打ってなんとか出勤した。

そして昼のピークは乗り越えたのだ。

自分を褒めてあげたい。

それくらいに頑張ったと思う。

お店が終わるまであと2時間。

……あと2時間なのにもう立っているのさえツラくなってきた。

明日は休みだからと自分を奮い立たせどうにか持ち堪えている。


「ななし、無理しないでもう帰りなよ。」


 レジから店内を見ていると、側に来たミツが眉を寄せて心配そうに言った。


「もうピークも過ぎたし、お店の事は気にしなくて良いからさ。」


 今朝ミツ達には大丈夫だと言ったけれど、この状態だと最後までいるのは難しそうだ。

これは倒れて迷惑をかける前に帰った方がいいのかもしれない。


「ありがとうミツ、そうさせてもらうよ。」

「ここに泊まっていったら?」

「うーん、うつしたら大変だから家に帰る。」


 ミツは腑に落ちないといった表情。

私は笑って心配しなくても大丈夫と付け加えると、ミツは静かにうんと答えた。













 * * *



 私は早退し家に向かっていた。

風邪なんて何年振りだろうか。

あんな雨に濡れたくらいで風邪を引くなんて情け無い。

間違ってもカカシさんには鉢合わせしたくないなと思ってしまった。

ヨタヨタとしながら歩いていると背後から、ななし?と声をかけられ私はゆっくりと振り返った。


「ゲンマさん?」


 そこには気怠そうな顔をして両手をポケットに入れたゲンマさんが立っていた。


「何してんだよこんなとこで、まだ営業時間じゃ……」


 途切れた言葉に首を傾げ疑問符を浮かべると、ゲンマさんの目がスッと細まった。


「お前、体調悪いのか?」

「えっ?」


 どうしてわかったのだろうか。

私は驚きながらも、少し熱っぽいだけですよと極力元気な声で答えた。

それを聞いたゲンマさんは表情を変えずにふーんと鼻を鳴らす。


「今から帰るところか?」

「はい。」

「どこ?」


 どこ?

一瞬ポカンとしてしまったがすぐに家の場所を聞かれたのだと理解した。


「えっと、この道を真っ直ぐ行った所の赤茶色の建物で」


 言い終わらない内にふわりと体が宙に浮いた。

心臓が浮く感覚がして咄嗟に側にあった首へしがみ付く。


「ゲ、ゲンマさん!?」


 軽い荷物でも持ち上げたかの様にゲンマさんが私を抱えている。

現実かを疑いたくなるこの状況にオロオロと動揺を隠せなかった。


「お、降ろしてください。」

「何で?」

「何でって…」


 問いで返されると思っていなかったので戸惑い口を噤む。


「歩くのしんどいんだろ?こんな時くらい頼っとけ。」


 そう言って構わず進み出すゲンマさんに、強引だけど優しいんだよなぁと素直に体を預けた。

正直、もう歩くのが辛かったので力を貸してもらえて助かった。

重い頭を肩口に垂れ目を瞑ると、足先が上下にふわふわと揺れるのを感じた。

頬にベストが触れ柑橘系の香りが鼻を掠める。

カカシさんとは違う匂いだ。

そう思って垂れていた頭を上げた。

背中と膝裏を通る頼もしい腕と、俯けばキス出来そうな距離に気付いて体が固まる。


「……しっかり支えてっから楽にしとけ。」


 ゲンマさんは飄々とした顔で千本を揺らす。

もしかして意識した事が伝わってしまったのだろうか?

見慣れたいつもと変わらない横顔のはずだが目眩がした。

熱い体が更に熱を持ち、私は視線を空に向ける。

ゲンマさんは言葉通りに私をしっかりと抱えて、身軽にひょいひょいと地を蹴り進んだ。


「あれか?」


 少し先に見慣れたアパートが見えてそうですと頷く。

何階かと聞かれ答えると、階段も使わずに気付けば共用部分の廊下に着地していた。

早い……もう家に着いてしまった。

呆気に取られているとゲンマさんがゆっくり体を下ろしてくれた。


「あ、ありがとうございます。」


 離れた体にホッとする。


「看病でもしてやりてーところだが、まだ仕事が残ってるんだ。」

「そんな!ここまで送って貰えただけで充分です!ありがとうございます!」


 私が慌ててお礼を言うとゲンマさんはフッと表情を緩める。


「ゆっくり休めよ。」


 そう言ってゲンマさんは頭を優しくひと撫でし、じゃーなと姿を消した。

実にスマート。

忍はこれが普通なのか?

私1人軽々と運んでしまうなんて。

カカシさんも前に私くらいなら抱えられると言っていたし。

同じ人間なのに恐ろしい筋力だ。

 ボーっとした頭でそんな事を考えながら玄関の鍵を開ける。

私は寝室に入ると力尽き、着替えもせずにベッドへと倒れ込んだ。

そう言えば家に薬あったかな?

天井を見上げて考えるもグルグルと視界が回り気持ち悪い。

頭も痛い。

寒気がする。

あぁ、もう怠くて動けないや。

思考を止め私は体を小さくしてタオルケットに包まる。

震える腕を抱えて目を閉じていると、いつの間にか意識が飛び眠りに落ちていた。













 * * *



 翌日、泥のように眠っていたら熱はすぐに下がり体調も良くなった。

意外とあっさり治ってホッとする。

日も傾いた頃、お腹が空いてきたなぁと思いながらもベッドに横になっていると、何処からかコンコンと乾いた音がした。

体を起こして音に耳をすます。

再びコンコンと聞こえ音のした方へ顔を向ける。

夕焼けに照らされたベランダにパックンが座っていた。


「パックン?」


 私はベッドから出るとすぐに窓を開けた。


「ようななし。」

「どうしたのパックン!」


 窓の額縁にしゃがんで問いかける。


「体調を崩していると定食屋の娘に聞いてな。」

「え……」


 ってことは、もちろんカカシさんも知ってるんだよね。

渋い顔で肩を落とす私に、パックンは「ん?なんじゃ?」と片眉を上げた。


「何でもないです。」


 苦笑いを浮かべて言うとパックンは気にせず流してくれた。


「どうだ体調は?」

「もう熱も下がって良くなりました。」

「そうか元気になって良かった。カカシが大層心配していてな、あーだこーだと煩いんじゃ。」


 迷惑そうに言うパックンに申し訳なく思いながら、カカシさんが心配してくれていたのだと心がほっこりする。


「心配をお掛けしました。」

「全くだ。」


 ところで飯は食っているかとパックンは首を傾ける。


「動けなかったのであまり……今から作ろうかと思っていたところです。」

「それは丁度いい。」

「え?」

「カカシが今粥を作っている。」

「えっ!?」

「出来たら持ってくるから横になって待っていろ。」


 パックンは既にお尻を上げ動き出している。


「ちょっと待ってパックン!!」


 私の制止は聞かず、パックンは器用に手摺りを渡って隣へ消えていった。

静かになったベランダを見て力が抜ける。

カカシさんが私の為にお粥作ってくれてるんだ。

カカシさんの作ったお粥が食べられる。

そう思うと嬉しくて胸が痺れた。

パックンが持ってくるのだろうか……いや、火傷したら危ないからカカシさん?

私は急いで寝巻きに上着を羽織ると手櫛で髪を整えた。

どうしよう、緊張する。

着替えた方が良い?

そんな事を悩んでいると控え目に一回チャイムが鳴った。

私は急いで玄関へ向かいゆっくり扉を開く。

間から眉を下げ微笑むカカシさんの姿が見えてドキッとする。

カカシさんは低く落ち着いた声で「こんばんは。」と言った。


「…こんばんはカカシさん。」

「体調、大丈夫?」

「はい!もうすっかり元気ですよ。心配をお掛けしてすみません…」

「謝るのはオレの方だよ、ごめんね。」


 カカシさんはシュンとして言う。


「そんな!気にしないでください!」


 私はそう言って両手を横に振った。

カカシさんは自分を責めるだろうなと思っていた。

だから余計に知られたくなかったのだ。

納得した様なしていない様な曖昧な表情を浮かべ、カカシさんはうんと遠慮がちに笑う。

そして手に持った一人用の土鍋を少し上げた。


「迷惑かなと思ったんだけど、これ……」

「迷惑だなんて思いません!ありがとうございます!」


 嬉しいですと笑いかけると、カカシさんは僅かに安堵の表情を浮かべる。


「鍋を返すのはいつでもいいからね。」

「はい!」

「ゆっくり休んで。」


 カカシさんはそう言うとじゃあと帰って行った。

ものの数分。

たったそれだけの時間で胸が満たされた。

温かさの残る土鍋に顔が綻ぶ。

私は冷めない内に土鍋をテーブルへ置くとスプーンとお椀を用意した。

では早速。


「いただきます。」


 蓋を開けると黄色い卵を纏った白米が輝いていた。

お椀によそって一口。


「ん〜」


 優しい味付けでジワーっと胃に沁みていく。

美味しい。

カカシさんが私の為に作ってくれたお粥。

そう思うと頬がだらしなく緩んだ。

私は高級料理を味わうかのように一口一口ゆっくりと食べ進めた。










 





 * * *



 土曜日。

体調は回復し何の問題もなく出勤することができ、ミツたちには心配を掛けたと謝った。

私はテキパキと動いて早退した分しっかりと働く。

難なく仕事が終わり更衣室で着替えていると、ミツが大きく一歩近づき顔を覗き込んできた。


「ど、どうしたの?」

「あのさ……木曜なんかあった?」

「木曜?」


 特に思い当たる節が無くて眉を寄せると、ミツは難しい表情を向けて来る。


「誰にお姫様抱っこされてたの?」

「……えぇ!?」


 驚いて声を上げてしまった。


「……それ、なんで知ってるの?」


 ミツは仕事中だったはず。

そう思って問いかけてみると、ミツは元の体勢に戻ってエプロンを脱ぎ話す。


「昨日カカシさんとその教え子が来てね、ななしが風邪引いたって言ったらサクラちゃんが思い出した様に言ったの。」


 私は息を吞んでミツの話に耳を傾ける。


「『ななしさんが通りで誰かにお姫様抱っこされてるのを見ました。首に腕を回して恋人のようでした。』って。」


 ミツは困り顔でそう言って固まる私を見た。


「私は見間違いじゃないかって言ったんだけど……まさか本当だったなんて。」

「帰りにたまたまゲンマさんに会って体調が悪そうだからって送ってもらったの。」


 そう説明するとミツは、んーっと唸って顎を触った。

私は嫌な動悸がしてミツをジッと見つめる。


「カカシさんに勘違いされてるのかな?」


 私は早まる鼓動を聞きながら縋るように問う。


「どうだろう、カカシさん終始無言で聞いてたから。」

「……そっか。」


 別に悪いことをしていた訳でもないのにすごく動揺していた。

カカシさんには恋仲だと誤解して欲しくない。

ちゃんと説明したい。

でもわざわざ弁解したら、カカシさんの事が好きだと言っているも同然だし。


「どうしよう……」


 ミツは悩む私をしばらく見ると口を開いた。


「告白、してみたら?」

「こ、こくっ…無理だよ!!」


 その言葉だけで心臓が止まりそうになった。

断られた時を考えると告白なんてできない。

そもそも、私が誰かに抱っこされていた事もカカシさんは興味ないかもしれないし。


「まっ!その話を聞いた後にお粥作ってくれたんだし、深く考えない方がいいかもね。」


 ミツは私の考えていることを読み取っているのか、そう言って背中をトントンと撫でてくれた。











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