「雲間に咲く」

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「ぁ……」


 水道から流れ出る水をぼんやりと眺めていることに気付いてキュッと蛇口を閉める。

濡れた手をタオルで拭くと壁掛けの時計を見た。

そろそろ12時かぁ。

出掛ける準備は既に整っていて、私はカカシさんが迎えに来てくれるまで本でも読んでいようと、棚からグルメ本を取り出した。

……開いてはみたものの、少しするとそれは風景の一部として溶け込んでいく。

自分で言うのもなんだが私は昨日から心ここに有らずといった感じだ。

所謂、浮かれている状態。

ずっと帰りを待ち望んでいたカカシさんに会えたこと。

もうそれだけでも胸がいっぱいなのに、更にランチにまで誘われて、私の心はその瞬間から緊張と楽しみで落ち着きを無くしている。

大きなリュックと破れたベストを見て、カカシさんは家に帰るより先に私の所へ来てくれたのだと分かった。

長期任務で疲れているのにも関わらず、そんな事など微塵も感じさせない優しい笑顔で。

感情を隠すなんてことは忍にとって容易い事なのだろうが、いつもの笑顔を見ることができて安心したのは間違いない。

カカシさんのそういうところが、胸が苦しくなるくらいに私を虜にする。

ベストを割いたあの傷は軽いものではないだろう。

本人はああ言っていたがきっと本調子ではないはず。

今日は無理をさせないように気を付けなければと留意する。

そんな事を考えていると高らかに呼び鈴が鳴った。


「はーい!」


 私は逸る気持ちを抑えながら、外で待つ人物に声を掛け玄関へ向かう。

扉を開くと予想通りそこにはカカシさんの姿があった。


「こんにちは。」

「こんにちはカカシさん。」


 よし、普通に話す事ができている。

初めてご飯に行った時よりは平静なのではないだろうか?

事前に用意していた鞄を肩から掛けてサンダルを履いて、準備はものの数秒で終わった。

正面を向くとカカシさんが、行こっかと心地の良い声で右目を弓形にする。


「はい!」


 平静だと言ったそばから早まる心音に、私は顔が赤くなっていないか心配になった。

指摘されないと言うことは大丈夫なのだろう。

そう都合よく解釈すると、平静を装いカカシさんの後ろを付いてアパートを出る。

お互いどこに行くとは話していなかったが、そのまま流れる様に飲食店街へ足が向いていた。


「昨日は遅くにごめんね。」


 カカシさんは隣を歩く私を見て申し訳なさそうに言う。


「え?…あっ全然気にしないでください!」


 一瞬、なぜ謝られたのか分からなかったが、よくよく考えてみたら男性が女性の家を訪ねるには遅い時間だったかなと思う。

あの時は会えた事が嬉しくて、全く気にもしていなかった。


「帰ったと早く伝えに行きたくて。」


 遠慮がちな笑顔から、私が心配しているだろうと気遣っての行動だったのだと推測できる。

胸がキュッとした。


「心配していたので早く知れて良かったです。」


 私はそう言って感謝の気持ちを込めて笑顔を向けた。


「そう……」


 カカシさんは安心したように微笑む。

この時ガイさんが言っていた、カカシはよく無理をするという言葉が頭に浮かんだ。

今になってそれが理解できた気がする。

飲食店街に着くと平日の昼間と言うこともあってご飯屋さんはどこもいっぱいだった。


「どこもいっぱいですね…」

「わ、ホント…すごいねこりゃ。」


 立ち止まると少々目を丸くしているカカシさん。

想像以上だったのだろう。

カカシさんが定食屋に来る時は、いつも昼のピーク時は過ぎていたので知らなかったのかもしれない。

私は何となく想像していたが、並んでもいいと特に気にしていなかった。


「何を食べるかも決めてないし、とりあえず見て回ろうか!気になるお店があったら言って?」

「はい!」


 物色しながら歩いていると、でかでかとお弁当と書かれた幟が目に飛び込んできた。

そして私は名案を思いつく。


「カカシさん、あそこでお弁当を買って河原でランチなんてどうですか?」

「え?」


 カカシさんは私が指差した先を見る。

そしてすぐに私に視線を戻した。


「妙案だね。」


 反応を見るに、カカシさんにとって予想外の提案だったのだろう。


「でも、ななしちゃんはそれでいいの?」

「はい!たまには外で食べるのもいいかなと。」


 逡巡するカカシさんの腕を引いて「さっ、売切れない内に行きましょう。」と私は人の群れに向かった。

店主におススメされた彩り幕ノ内弁当を二つとお茶を買って私たちは河原に向かう。

散歩コースであるこの場所は人も少なくてとても静かだ。

任務明けのカカシさんもここならのんびりできるだろう。


「敷物でも用意したら良かったね。」


 折角の可愛い服が汚れるとカカシさんは言った。


「大丈夫ですよ、土も乾いているし掃えば綺麗になります!」


 対して私はちっとも気にしていない。

女なら少しは気にした方が良い気もするが。


「あ!あの木の下で食べませんか?」


 少し先に木陰があって伺うようにカカシさんを見上げた。


「うん、丁度いいしそうしよう!」


 木陰に着くと私は虫がいないか確認する。

虫はあまり得意ではない。

幸いにも近くに草むらなどはなく開けていて心配なさそうだ。

確認を終わらせ座ろうとすると、カカシさんがちょっと待ってと制止を掛けた。


「ん?」


 私は動きを止めカカシさんを見る。


「これの上に、申し訳程度だけど。」


 カカシさんはポケットから白いハンカチを出すと迷いなく地面に敷いた。


「えっハンカチが汚れてしまいます!」

「いいのいいの、ななしちゃんの服が汚れなくて済む。」


 なんてスマート!

思わず唸ると、いつぞやの師弟を彷彿とさせた。

私はありがとうございますと伝えハンカチの上に腰掛ける。

隣に座ったカカシさんは袋にまとめて入っていたお弁当を取り出し、はいと一つ手渡してくれた。

お礼を言って受け取ると膝に乗せて早速封を開けてみる。


「わぁ、すごいボリュームですよ!」

「ほーんとおススメされる訳だ。」


 焼鮭がお弁当のセンターで、他にも唐揚げと卵焼き、野菜炒めと敷き詰められていてご飯が少し顔を覗かせている。


「温かいし冷めない内に食べよう。」


 カカシさんに言われ、はいと頷いておしぼりで手を拭くと両手を合わせる。


「いただきます。」


 割り箸を割り先ずは焼鮭を食べてみた。

身がふっくらしていて塩加減がちょうどいい。


「んー美味しいです!」


 横を見るとカカシさんも同じように焼鮭から食べている。


「うん、これ美味いね。」


 そう言って綻んだ表情にこちらまで嬉しくなった。

好きな人とこうしてお弁当を食べながら川のせせらぎを聞き、涼風に運ばれた新緑の香りに包まれる。

身に余る様な幸福感を私はゆっくりと噛み締めた。














 * * *



 お弁当を食べきる頃には、ウエストの緩いスカートを履いてきて良かったと心底思った。


「うぅ、お腹いっぱいです。」

「ななしちゃんには量が多かったかな?」

「ちょっと……でも美味しかったので何とか完食できましたよ。」

「うん!残さず食べて偉い!」

「あーカカシさん子ども扱いですか?」


 揶揄われたと思って拗ねる様に言うと、そんな事ないよと可笑しそうに笑うカカシさん。

実に和やかな雰囲気だ。


「たくさん食べたし、少し休憩したら散歩でも行く?」

「良いですね!この河原沿いは私の定番散歩コースなんですよ。」

「じゃあ決まりだ。サンダルだから足が痛くなったら言って?抱っこしてあげる。」

「え!?だっ、抱っこは遠慮します!!このサンダルは履き慣れていて滅多に足は痛くならないですしそれに……」


 動揺してあれこれ言っていると、カカシさんが肩を震わせククッと笑っている。

途端に顔が熱くなった。


「カカシさん揶揄ったんですね!」

「ごめんごめん、ホント……可愛いな。」


 そう言ったカカシさんはとても楽しそうな表情をしていて、私の心臓は止まりかけた。

そんな危機的状況の私など露知らず。

カカシさんは、痛くなる前に教えてと目を細め優しく言う。

あぁ、どうしてこんなサラリと心を奪っていくんだ。

私は熱を持った頬を元に戻すのに一苦労した。













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