「雲間に咲く」

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 頭上に置かれた目覚まし時計が鳴り、起床時間の7時を知らせる。

無理矢理に夢から起こされ、ななしは顔を歪めると目を閉じたまま腕を上げ音を止めた。

私は再び眠りに落ちそうになったところで、ハッと目を開く。

危ない危ない、仕事に行かないとと眠い目を擦ってベッドから起き上がった。

朝一番のルーティンで窓を開けると、今日も綺麗な青い空が広がっている。

だいぶ暑くなってきたなぁ。

陽の光を浴びて徐々に脳が覚醒していき、ななしはいそいそと出勤の準備を始めた。

今日一日頑張れば明日は水曜日。

休日なのだ。

先日買った雑誌に載っていたお店に行く約束をミツとしている。

楽しみがあると仕事でも気分が上がった。

朝ご飯を食べた後、洗面所で歯を磨いて化粧をする。

クリームで肌を整えアイシャドウをササッと指でのせ、保湿のリップクリームで唇に潤いを補充する。

仕事中汗で崩れるので本当にほんのりとでいい。

仕上に腰まであるストレートの長い髪を櫛で梳かした。

平日の支度はこんなもんだ。

鞄にエプロンが入っていることを確認すると肩から提げ玄関を出た。

 鍵を閉めていると隣の扉がガチャリと開く音が聞こえて視線を向けた。

一番に銀色の髪が見える。

私はドキッとしながらもその横顔に挨拶した。


「おはようございますカカシさん!」

「おはようななしちゃん。」


 カカシさんは振り向くと、いつも通りの柔らかい笑顔を見せる。

普段から眠そうな目が更にトロンとしていていた。

今までは一度も鉢合うなんてことはなかったので少し驚いている。


「この間は生徒さんたちを連れてきてくれてありがとうございました。」


 個性的で可愛い子たちですね、とななしは賑やかだった三人を思い出し微笑みながら言った。

あの一回の来店で一気に仲良くなることができた。


「いやいや、お礼を言うのはこっちだよ。騒がしかったでしょごめんね。」


 カカシは眉を下げて頭の後ろに手を当てた。


「そんなことないです!元気を貰えました。」

「なら良かった。ななしちゃんのところのご飯はボリュームもあって美味しいから、食べ盛りの子たちには丁度いいかなって思ってさ。」

「そうでしたか!数あるお店から選んで頂けて光栄です。」


 お店を褒められてすごく嬉しくて、これでもかと言う程口角が上がる。

カカシは喜んでいるななしの顔を見て目を細めた。


「今からお店?」

「はい!カカシさんは任務ですか?」

「そう。オレもお店の近くまで行くからそこまで一緒に行かない?」

「ぜひ、一緒に行きましょう!」


 そんな会話をしながら階段を降りる。


「髪、長いんだね。」


 アパートの陰から出た所でカカシはななしの髪に視線を向けた。


「あ、仕事中は結ってますもんね。そろそろ切ろうかなと悩んでるんですよ。」


 前に流れた髪が歩く度に胸元で弾む。


「すごい綺麗な髪だから切っちゃうのが勿体ない気もするけど、短い髪でもななしちゃんは似合うだろうね。」


 ニコリと右目をしならせるカカシさんに、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。


「そうでしょうか?」


 私は視線を前に向けて平静を保ち少し笑って見せる。


「うん、可愛いと思うよ。」

「…」


 危うく変な声が出てしまうところだった。

カカシさんの言葉に胸どころか顔まで熱くなる。

平気で女の子に可愛いとか言うんだなぁ。

こんな優しい声で言われたら勘違いしてしまう人もいるだろう。

どうにか普段通りの声でありがとうございますと言うと、勝手に上がる心拍数を落ち着かせた。

飲食店街の入り口までくると、まだどこもシャッターが閉まっている。

いつもの日常風景だがカカシさんと並んで歩いていると思うと不思議な感じがした。


「んじゃ、オレはあっちだから。」


 足を止めてカカシさんは体の前で左方向を指さす。

ななしはそのまま行こうとするカカシを急いで呼び止めた。


「あ、あの、今日の夜って家にいますか?」

「え?」

「この前のお礼を渡したくて…」

「いいのに気にしなくて。」

「ほんの気持ちですから。」


 カカシさんは一瞬考えた様な素振りを見せたが、すぐに笑顔を作って「18時には帰ってると思う。」と言ってくれた。


「わかりました!何か作ろうと思うんですが、甘い物意外で苦手な食べ物あったりしますか?」

「んー天麩羅かな。」


 そう言って、決まり悪そうに頬を掻く。


「了解です!」

「ななしちゃんの手料理が食べられるなんて嬉しいな。」


 感情を隠す事無く、カカシさんは柔らかく目を細めマスクの下で弧を描いた。


「あんまり大した物ではないので…」

「楽しみにしてるよ。」


 ななしが頷くのを見てカカシは体の向きを変え「じゃあ夜に。」と片手をあげる。


「はい、行ってらっしゃい!」


 笑顔で送り出すとカカシさんは微笑んで、軽快にタッタと地面を踏み飛び去っていった。

早い…さすが忍。

ノロノロと歩くのに付き合わせてしまって申し訳なかったな。

だけど、これでどうにかお礼はできそうだ。

私にできる事と言ったら料理くらいなので、何か作ろうと思っているのだが……

今日は一日悩みそうだ。















 * * *



 あれこれ考えていたせいですぐに時間は過ぎていった。

忙しさも相俟って気付けばもうすぐ閉店の時間だ。

ななしは一旦暖簾を下げる為に外に出る。


「あ、紅さんアスマさん!」


 店から出たタイミングで二人が視界に入った。


「あらななしもう店仕舞い?」

「はい!午前の営業は終わりました。」

「そう、お疲れ様。」


 紅さんはそう言うと、忍とは思えないくらいの優しい表情で笑った。

とても綺麗で憧れる。


「これ下すのか?」


 紅さんに見惚れいると、横に立っていたアスマさんが視線を暖簾へ向けたので「あっはい!」と答えた。

するとアスマさんは片手でヒョイと外し「ほらよ。」と渡してくれ。

余りにも簡単に外すのでポカンとしながら受け取った。


「ありがとうございます!」


 背が高いって得だなぁ〜

私は羨ましくてアスマさんをまじまじと見つめた。


「ん、なんだ?」


 つい見つめてしまっていた事に焦って咄嗟に思いついた話を振る。


「何でもないですよ、ところでお二人はデートですか?」

「「でっ…」」


 私のデートと言う言葉に二人は機敏に反応すると、見事に声が揃った。

アスマは視線を泳がしながら頭を掻くと「たまたまそこで会っただけだ。」とぶっきら棒に答えた。


「ふふ、そうですか。とてもお似合いですね。」

「なに言ってるのよななし!」


 照れている二人を見るのは新鮮で、なんだかホッコリした。


「そう言うお前こそどうなんだ?カカシとは上手くやってるのか?」


 急に矛先が自分へと向いて「え?」と声が出る。


「最近カカシの奴がやけに機嫌が良くてよ、ななしの影響かと思ったんだがな。」


 ニッと笑ったアスマさんの咥えたタバコが、話す度に揺れて煙がほわほわと昇る。


「私の影響ではないです、たぶん可愛い生徒さんができたからじゃないですかね。」


 私が三人の顔を思い浮かべてそう言うと、アスマさんと紅さんも優しく微笑んだ。


「まぁその影響もあるだろうな。」

「そうね。」


 心からの表情だ。

その二人の様子に、カカシさんは大切に思われているんだなと感じた。


「また食べにくる、俺の受け持ちの生徒に大食いがいるんでね。」

「嬉しいです!ぜひ、いらしてください。」

「おう、じゃーまたな。」

「はい、ではまた!」


 紅さんとも言葉を交わし二人の並んだ背中を見送る。

本当にお似合いの後ろ姿。

ななしは両手で暖簾を持つと店に入った。

















 * * *



 帰りに商店に寄って買い物をして、私は今台所に立っている。

散々悩んだ結果、肉じゃがを作る事に決めた。

味が染むか心配だが圧力鍋で作るので大丈夫だろう。

人参と玉ねぎとじゃがいもは皮を剥き、絹さやは筋を取って茹でておく。

糸こんにゃくも茹でて食べやすい長さに切る。

牛肉を炒めて切った具たちを入れ煮込んだ。

18時を少し過ぎた頃に肉じゃがは完成した。

いい出来ではないだろうか。

後はカカシさんの口に合えば文句無しなのだが。

 もう帰って来てるかな?

ななしは時計を見て出来立ての肉じゃがをタッパーに詰めて紙袋に入れると、隣の家へ向かった。

多少緊張しながら呼び鈴を鳴らす。


「はーい。」


 カカシさんの声が聞こえて扉が開き姿が見えた。

いつもの額当てとベストが無い。

カッチリした忍装束の格好でしか会った事が無かったので、リラックスしたラフな姿にドキッとした。


「こんばんは、カカシさん。」

「こんばんは。」

「これ、朝言ってたお礼の気持ちです。」


 ななしは茶色の紙袋を胸元まで上げると差し出す。


「本当に作ってくれたんだ。」


 両目が笑ってカカシさんが喜んでくれたのだと感情が良くわかる。


「この前のお団子と家まで送ってもらったお礼です。迷惑でなければ召し上がってください。」

「気を遣わせちゃってごめんね、ホント嬉しいよありがとう。」


 カカシさんはそう言うと紙袋を受け取った。


「肉じゃがです。カカシさんのお口に合えばいいのですが……」

「たぶん、オレ好みのはずだよ。」

「え?」

「前の茄子の煮浸し、とっても美味しかったからね。」


 カカシさんは食べた時を思い出しているのか目を細める。

それを見ていると自然と頬が緩んでいって私はコクリと頷いた。


「まだ温かいね。」

「出来立てですよ。」

「そっか、早速今晩食べるよ。」


 今度も美味しいと思ってもらえたらいいな。


「……何だか変な感じだよね、お隣さんだったなんてさ。」

「ほんと、こんな近くで生活していたんですね、私たち。」


 視線を合わすとどちらからともなく笑みが零れる。

この和む空気……好きだな。

目的を達成できたので、いつまでもここに居座る訳にはいかない。


「じゃあそろそろ戻りますね。」

「あぁ……またお店に行くよ。」

「はい!楽しみにしてます。」

「うん、じゃあおやすみ。」

「おやすみなさいカカシさん。」


 そう言って軽く頭を下げると私は数メートル先の自宅の扉へ向かう。

家に入る前に振り返るとカカシさんがまだそこに立っていて、なんだが背中がむず痒い。

カカシさんはいつもの様に片手を上げた。

私は一瞬躊躇したが、黙って入るのもどうかと思い、彼に習って手を振って見せる。

カカシさんはそれに満足したように笑うと、私が家に入るのと同時に扉の中に入っていった。

 私は肉じゃがの匂いが微かに残った部屋に戻ると、力を無くして椅子に座る。

……カカシさんは不思議な人だ。

会う度にどんどん惹きつけられていく。

ドキドキして、もっとカカシさんの事が知りたいって思ってしまう。

これが好きって気持ちなのかな?

初めて人を好きになって、まさか後悔する事になるなんて……


「はぁ〜……」


 ななしは胸の詰まりを吐き出すように息を吐いた。

カカシさんは誰にでもあんな優しく接するのだろうか。

いっそのこと冷たく接してもらった方が良かったのかもしれない。

叶わぬ恋が、こんな苦しいなんて。

知らない方が良かった。

 カカシさんは忍で私は一般人。

それにカカシさんは彼女がいる。

……うん。

大丈夫。

今ならまだ傷は浅い。

 ななしは気付いた気持ちを消し去る様に、テーブルの上に乗ったタッパーに入り切らなかった肉じゃがを見つめた。












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