「雲間に咲く」
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男はカカシさんを見るなり顔を青くし、怯えた様に「すみませんでした!」と言うと逃げていった。
「カカシさん!」
竦んだ体がようやく動いて振り返る。
「なーにしてんのこんな時間に一人で。危ないよ?」
「すみません、仕事帰りで……助けてくださってありがとうございます!!」
私は感謝の気持ちでいっぱいで深々と頭を下げた。
「あーそんな、いいのいいの顔あげて。」
ななしが顔を上げると、カカシはばつが悪そうな顔で頬を掻いた。
「仕事だったんだね〜こんなに遅くまで、お疲れ様。」
いつも通りの穏やかな表情に戻るとニコリと微笑みかけてくれる。
カカシさんの存在に、さっきまでの怖くて不安だった気持ちがスッと消えていくのがわかった。
「いえ、本当にありがとうございます。」
重ねてお礼を言うと「何もなくて良かったよ。」と言ってくれた。
「カカシさんもお仕事帰りですか?」
聞くと困った様に「うーん。」と声を漏らし「まっ、ちょっとね。」と誤魔化されてしまった。
余計なことを聞いてしまったと反省していると、カカシさんは両手をポケットに入れて家まで送るよと当たり前の様に言った。
「え、でも……」
「ななしちゃんが嫌なら諦めるけど…」
そんなの嫌な訳がない。
しょんぼりと肩を落として見せるカカシさんに、あわあわしながら「嫌じゃないですお願いします!」と答えると。
私の反応が分かっていたのか、カカシさんはニッコリと右目をしならせた。
その聞き方はずるい。
嬉しい反面、忙しいのに迷惑だったのではと申し訳なくなる。
「良かった、じゃあ帰ろう。」
右目を弓形にして、そんな事を微塵も感じさせない声に少しホッとした。
「……はい。」
まさかこんな事になるとはと、ざわつく心をどうにか落ち着かせる。
私の歩調に合わせて、ザッザッと地面を踏み鳴らしながら横を歩くカカシさんに、さり気ない気遣いを感じた。
「いつもこんな遅くまで働いてるの?」
「いえ、時々助っ人で居酒屋の営業を手伝ってるんです。」
「そうなんだ、大変だねぇ。」
「しんどい時もありますけど、たまに働くと気分転換になるんです。」
「ふ〜ん随分とポジティブな考えだね。」
「ふふっ、そうですか?」
頭一つ分以上も高い横顔を見上げると、少し顔を傾けて「うん。」と答えるカカシさんの銀色の髪が揺れた。
とても綺麗で、優しい雰囲気に癒される。
先程までは不安だった夜道も、カカシさんが隣に居るだけで不思議なくらい安心できた。
騒がしかった飲食店街を抜けると人の姿もまばらで、水の中の様に酷く静かだった。
暗闇の中、夜空に浮かぶ月が優しく私たちを照らす。
「昨日の試験なんだけど……」
おもむろに言葉を発したカカシさんに、そうだ試験と私は勢いよく顔を向ける。
そんな様子を見てクスッと笑いながら、カカシさんは嬉しそうに無事に合格したよと教えてくれた。
「本当ですか!?良かったぁ、実は気になってたんです。あ、じゃあこれからはカカシ先生ですね。」
少し興奮しすぎた気もしたが、カカシさんは「ありがとう。」と照れながら視線を前に向けた。
「嬉しいよ……本当に。」
静かに呟いた優しい声に、やっぱりカカシさんは生徒思いの素敵な先生だなと心が温かくなる。
わざわざ報告してくれるなんて、と嬉しくなって顔が緩んだ。
一体どんな子供たちを受け持つのだろうと想像していると、あっという間に家がすぐそこに見えてきた。
「ななしちゃん。」
「はい?」
「家ってこの辺り?」
「はい、そこの建物です。」
私はそう言って少し先にあるアパートを指さす。
するとカカシさんの足がピタリと止まった。
私も続けて足を止めた。
「…どうしたんですか?」
驚いたように目を見開いているカカシさんを見て、私はパチパチと瞬きをする。
なぜか言いにくそうに頭を掻いて、カカシさんは私に顔を向けた。
「オレの家もそこのアパートなんだよね。」
「え?」
少しの間、驚きで脳の動きが停止する。
カカシさんの様子から冗談ではなさそうで、こんな偶然があるのかと早まる鼓動を聞いていた。
「こんな偶然あるんだね〜」
笑いながら私が思ったことと同じ感想を口にするカカシさんに、そうですねと笑いかける。
お互い動揺しながらもアパートの下に着いて、背の高いカカシさんを見上げてお礼を言った。
「ありがとうございました。」
「いーえ、同じアパートだし気にしなくていいからね。」と言ってくれた言葉が何だか可笑しく思える。
「じゃあななしちゃん、おやすみ。」
「はい、おやすみなさい。」
挨拶を済ませると私は軽く頭を下げて階段を上がる。
まさかだった。
別れの挨拶をしたものの、私の後ろを遠慮がちに上がってくるカカシさん。
ドアノブに手をかけて横を確認する。
信じられない。
こんな偶然ってあるんだ。
なんとカカシさんはお隣さんだった。
この前の事があって、てっきりお隣さんは女性だと思っていたので余計に驚いてしまった。
「なんだろう……こんな事ってあるんだねぇ〜」
声は落ち着いているのに、面食らった表情から私と同様驚いているのだと読み取れる。
それが何だか無性に可笑しくて、私はクスッと笑ってしまった。
カカシさんも私に釣られてははっと声を出して笑う。
「こんな嬉しい偶然があるなんて、驚きです。お隣さんとして、これからもよろしくお願いしますねカカシさん。」
「こちらこそ、よろしく。」
私たちはもう一度おやすみなさいと言葉を交わすと、各々玄関の扉を開いて家に入った。
パタンと閉めるとそのまま扉に背中を付ける。
自分の体の中でドキドキと一定で刻まれる鼓動を聞いた。
いつもと変わらない家のはずが、隣にカカシさんがいると分かっただけで違って見える。
意味もなく少しだけ緊張した。
高揚感が収まらない内に私は就寝の準備をするとベッドへ潜り込む。
寝れないのではと心配していたが、疲れもあってか目を閉じるとすぐに眠りにつくことができた。
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