「君の手をとるまで」

□10.お花見の段
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 お花見の場所に着き、ななしは皆から少し離れて、傾斜になっている丘の上から全体を見下ろした。


「わぁ〜!」


 都会では中々目にできない、壮大な景色が広がっていている。

なんて綺麗なんだろう。

晴天の青空に鮮やかな桜色が良く映える。

今までに見た事のない美しい景色だ。

しばらく見惚れていて気づけば、毛氈が敷かれて幔幕が張られ、超本格的な花見会場が出来上がっていた。


「ななしさ〜ん。」


 聞き覚えのある間延びした声に振り向くと、柔らかいものが頬を掠めた。

次の瞬間には勢いの付いた体がトンッと触れて、仄かに土の匂いが香った。


「綾部くん!?」


 突如、喜八郎に抱きすくめられ、ななしは慌てて声を上げる。

喜八郎はななしの顔が見えるよう、少しだけ体を離した。

ち、近い!

ななしの心拍数はこれでもかと言う程に急上昇する。

喜八郎はじーっと顔を見つめるだけで、表情はピクリとも動かない。

どうしてそんな無表情?

そして、なぜ私は抱きしめられているの?

ガッチリホールドされて動けず、目線の変わらない身長差のせいか、ななしは焦燥感に駆られた。


「綺麗ですね。」


 唐突に話し出したかと思うと、今までの無表情から一変し、喜八郎は目を細めて柔らかく笑った。

ふわり、という言葉が似合う様な笑顔だった。

なんと言うか、心をくすぐられた様な気持ちになって、キュッと心臓が縮んだ気がした。

私を見つめる綾部くんの大きな瞳には、桜景色が映り込んでいる。


「そうだね……桜がとっても綺麗。」


 辿々しくそう答えると、喜八郎はななしの横髪を指先で掬い耳にかけ、ゆっくりと顔を近づけた。

綾部くんの右頬が私の右頬に僅かに触れる。


「綺麗なのはななしさんですよ。」


 普段よりも少し低い声。

鼓膜が揺れた。

思いも寄らぬ言葉に、私は落ちてしまうのではないかと言う程目を見開く。

空気を吸い込み過ぎたのか、胸が圧迫され息苦しい。


「……綾部く」

「おい喜八郎、何してる。」


 やっとの事で出た言葉は、横から飛んできた声にあっさりと攫われてしまった。

怒気を含んだそれは、腹の底から出たようなずっしりとしたもので、途端にななしの視界は開けた。

眉間に皺を寄せた仙蔵が、喜八郎の頭を鷲掴んでいる光景が目に映った。


「痛いです〜立花せんぱぁ〜い。」


 歪んだ表情と不釣り合いに、喜八郎は間の抜けた声で言う。

その声を聞いた仙蔵は息を吐くと手を離した。


「きーはーちーろぉー!」


 丘の下から顔を青くした滝夜叉丸が全速力で駆けてきて、すみませんすみませんとななしと仙蔵に頭を下げた。


「喜八郎は人との距離感がわかっていなくてですね。」


 ななしに向かってそう言った滝夜叉丸は、丘の下から一部始終目撃していたのだろう。

喜八郎は滝夜叉丸の言葉にムッとしたのか、わかってるよと子供の様に口を尖らせた。


「煩いアホ八郎!」


 立花先輩の怒りのオーラが見えんのか!と、隣に居た私にはそう耳打ちしているのが聞こえた。

だが喜八郎はそんな事は構うことなく、ずいっと前に出て、そして、強引にも再びななしの体をムギュっと抱きしめた。


「「え!?」」


 ななしと滝夜叉丸の声が重なる。

私の中で時が止まった気がした。

それを見た仙蔵が微かに目を眇め、何とも言えないピリピリとした空気が漂った。

喜八郎は抗うように体を包む腕の力を強める。

直後、スパーンといい音が聞こえて私は我に返った。

滝夜叉丸が喜八郎の頭をはたいた音だ。


「っつ……痛いよ滝夜叉丸、何するの!」


 これには喜八郎も腹を立て眉を寄せる。


「いいから、とにかく行くぞ!」


 滝夜叉丸は喜八郎の腕を引くと、凄い勢いで傾斜を下りて行った。

……取り残された私はどうしたらいいの?

仙蔵くんを見ると口元は笑っているが目が笑っていない。

どういう訳か肌が粟立った。


「なんだなんだ?ここだけ空気が重くないか?」


 いつの間にか後ろには六年生たちが集まっていて、この場にそぐわない明るい声が一気に空気を払拭した。

救世主だとななしは胸を撫で下ろした。


「ん?あなたはへっぽこじゃない方の事務員!」


 ビシッと指を差され、ななしはキョトンとしてしまった。


「私は六年ろ組七松小平太、こっちは同室の中在家長次。早速だが皆でバレーしよう!」


 訂正だ。

この七松小平太と名乗る男はとんでもない偽救世主だ。

風の噂で、いけどんバレーボールは命を落としかねない危険なスポーツだと聞いていた。

背後でざわつく他の六年生メンバー。


「小平太お前なぁ。」

「時と場所を考えろ。」

「下級生もいるし危ないよ。」


 文次郎、留三郎、伊作が抗議の声を上げた。


「そうそう、ここでバレーは」

「細かいことは気にするな!行くぞー!!」


 ななしも制止を促すため両手の平を向けたのだが、小平太はななしの言葉を遮りその手首を握ると、桜の木が少ない方へ一気に走り出した。


「わぁっ」

「いけいけどんどーん!!」

「おい待て小平太!ななしさんには危険すぎる。」


 全力で追ってきてくれた仙蔵くんを筆頭に、六年生が何とか参加を止めてくれて、ようやくななしは小平太から解放された。

危険な匂いがプンプンするいけどんバレーボールに巻き込まれない様に、私は最も安全な土井先生の横に避難する。

お弁当を準備していた半助は手を止めてななしを見た。


「避難しに来たんですか?」


 その声は少し面白がっている様だった。


「はい、危険なスポーツだと聞いていたので。」


 ななしが真剣に答えると、半助は「いい判断だ。」と笑った。

土井先生の背に隠れて様子を窺うと、五年生たちが無理矢理に引き摺り込まれていているのが見えた。

尾浜くんが泣きそうな顔をしている。


「あぁ……」


 大丈夫なのだろうか?

心配でななしは五年生から目を離せなかった。

結局、六年生と五年生(強制参加)は、花見会場の横でバレーボールの試合を始めた。

きり丸が嬉しそうに、どこから出したのか五VS六と書かれたチケットを売り出している。

徐々に五年生の体がボロボロになっていく。

その様子が、いけどんバレーボールが如何に危険かを表していた。

五年生であれなのだから、私が参加していたら大怪我をしていただろう。

ななしは今後一切、いけどんバレーボールには参加しないと心に誓った。













 * * *



 試合が終わった頃、ななしは五六年生の所へ行った。

六年生の姿はもう無くなっていて、五年生メンバーが野に伏して伸びている。


「みんな大丈夫?」


 ななしは側に膝を付くと、一番近くに倒れている勘右衛門の背に触れた。

瞬間。

ガバっと起き上がった勘右衛門は、「ななしさ〜ん!」と涙を浮かべた。

体中傷だらけで、至る所に土が付いている。

隣に倒れていた八左ヱ門と兵助も、勘右衛門の声を聞いて起き上がった。

三郎は既に起き上がっていて、「雷蔵大丈夫か?」と言いながら、未だに体を地に埋めたままの雷蔵を助け起こしていた。


「これ、五人分のお水。良かったら飲んで?」


 ななしは懐に抱えていた、水の入った竹筒を差しだした。


「て、天使!!」


 勘右衛門は胸の前で手を組んで言うと、「ありがとうございます!」と嬉しそうに受け取った。

続いて、八左ヱ門、兵助、雷蔵、三郎の順に水を手渡した。

みんなゴクゴクと勢いよく喉を潤していった。


「名無しさんが参加せずに済んでよかった。」


 水を飲み終わった兵助が、屈託の無い笑顔で言う。


「ほんとだな。」


 八左ヱ門がクスッと笑って、他の三人も和やかに笑っている。

自分たちがボロボロになっているにも関わらず、私の身を案じてくれるなんて。

五年生は本当に心優しい子たちだと、ななしは顔が緩んでいくのを感じた。

桜の花を揺らすこの春風の様に、温かくて穏やかな、そんな気持ちになった。

五年生が服についた土を掃っている姿を見ながら、ななしはふと思い出した様に口を開いた。


「六年生はどこに行ったんだろう?」

「六年生ならこの先にある川へ行きましたよ。」


 ななしの問いに、三郎が答える。

じゃあお水は要らないなと判断し、ななしは「そっか。」と言いひとつ頷く。


「たくさん動いたからお腹空いてるよね?向こうにお弁当用意しておいたよ!」


 ななしは幔幕の傍の一画を差す。

きっと試合後はへとへとになっているだろうと、事前に準備しておいた。

もちろん六年生の分も取ってある。


「やったぁ〜もう俺お腹ペコペコで」


 勘右衛門は言うと、ななしを見て不自然に黙った。


「どうしたの、尾浜くん?」


 私は向けられた視線に首を傾げた。


「肩に虫がいる。」

「えぇ!?」


 ななしは叫ぶと、「あ、どうしよう、取って!」とあたふた両手を泳がせた。


「どこどこ?」


 会話を聞きつけたのか、尾浜くんを押しのけて竹谷くんが嬉々として現れ、宝物を見つけたかのように目を輝かせた。


「おほぉー!」


 そう声を上げると、八左ヱ門はななしの肩から虫を摘まんでみせた。


「あ、ありがとう竹谷くん。」

「どういたしまして。」


 八左ヱ門は摘まんだ虫をまじまじと観察すると、草むらへ放しに行った。

さすが男の子。

虫とか平気なんだな。

普段の大人びた様子とは違う、子供らしい表情を見て、ななしは微笑んだ。

 お弁当を食べ終わると、日向ぼっこをしたり、話に花を咲かせたりと、生徒たちは思い思いに自由時間を過ごしていた。

ななしは一年は組の子供たちが、桜の木の下で走り回っている声を聞きながら、のんびりと桜を眺めていた。

つい先日、衝撃的な事があったにもかかわらず、私の心が穏やかであることが不思議だった。

今この瞬間。

目が覚めて、全てが夢でしたという結末になればどんなに良いか。

何回、何十回と、そんな事を願った。

受け入れると腹を括ったはずなのに。

私の意志は容易く揺らいでしまう。

逃げたいのだ、この現実から。

ザクザクと草地を踏む音が聞こえて、ななしは微睡みから覚めたように顔を向けた。


「君は…中在家くん?」


 先程、七松くんに紹介されていた子だ。

ななしがそう確認すると、長次はコクリと頷いた。


「もそもそ。」

「……ぅん?……ごめんなさい、もう一度いいかな?」


 声が小さくて聞き取る事ができなかった。

ななしは申し訳なく思い、次は聞き逃すまいと長次の口元に耳を近づける。


「これ、良かったら……お饅頭です。」


 差し出された大きな手には、白い紙に包まれたお饅頭が乗っていた。


「あ、ありがとう。」


 ななしは有り難く思いながら、落とさぬように両手で受け取った。


「隣……いいですか?」

「どうぞ。」


 長次は律儀に頭を下げると、ななしの隣に腰を下ろした。

何か話したくて隣に座ったのだろうが、彼はは組の子供たちを見つめたまま、話し出す気配がない。

少し気まずさを感じて、ななしは手の平に乗ったお饅頭を眺めた。

桜の花びらが一枚、ひらりとお饅頭の上に舞い降りた。


「貴方のことは、伊作や仙蔵から聞いていました。」


 お世辞にも大きいとは言えないが、聞き取れるしっかりとした声にななしは視線を向ける。


「最近、元気が無いと心配していたんです。」

「え?」


 ななしは驚いて目を丸くした。


「それで、小平太は元気付けようと、バレーボールを。」


 長次は真っ直ぐ前を向いて、そう言った。

そうだったんだ。

突拍子もないと思っていたけど、私を気遣って……

ななしは手の中にあるお饅頭をキュッと握った。

きっと、このお饅頭も……


「中在家くん。」


 ななしが名前を呼ぶと、前を見据えていた長次は、少し気まずそうに視線を向けた。


「ありがとう……とっても嬉しいよ。」


 胸がいっぱいになって笑ったら、ちょっとだけ涙が出た。


「…………もそ。」


 何と言ったのだろうか。

言葉は分からなかったが、そっぽを向いてしまった中在家くんの耳が、ほんのり色付いている。


「おーい!長次!!」


 数メートル離れた所から、七松くんがこちらに向かって手を振っている。

その声で、私と中在家くんが一緒に居る事に気づき、他の六年生たちが集まってきた。

七松くんが「バレーボール二回戦をしよう!」と言い出し、他のメンバーは「またか!?」と言う顔をしている。


「今度は名無しさんも一緒に!」


 七松くんはニコニコと笑って私の手を引いた。


「だからななしさんには危ないと言っているだろう!」


 聞いた事のある台詞を仙蔵は言う。

私は堪らなくなって声を出して笑った。

すると、釣られた様に六年生たちの顔も綻ぶ。

私の頭には、いつか伊作くんがくれた「一人じゃない。」という言葉が甦っていた。










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