「雲間に咲く」
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河原の近くのごみ箱に弁当殻を捨てると肩を並べて長閑な河川敷を歩いて行く。
カカシさんと私が歩く度に砂が擦れ、その音さえも心地良く感じた。
ほどなくすると前から、お散歩だろう犬を連れた女性が歩いてくるのが見えた。
リードが無い。
パックンは会話ができたので大丈夫だったがやっぱり恐いものは恐い。
私は犬とすれ違いざま、カカシさんの体に隠れるよう身を縮ませた。
特に近寄ってくるわけでもなく無事通り過ぎることができ、私はふぅと小さく安堵した。
「ななしちゃんってさ。」
「はい?」
私はカカシさんの声に釣られて顔を上げた。
「もしかして犬苦手?」
「え?…………あ!いえ、パックンは大丈夫でした!」
私がそう答えると、カカシさんはしまったという風に手で額を押さえた。
「ごめん知らなかった。」
相当落ち込んでいる様子に私は焦る。
「あの、パックンは大丈夫だったので気にしないでください!お話もできたし、体も撫でさせてもらって、落ち着いた物腰がなんだかお父さんみたいだなぁーって安心できたんです。」
言い切ると、カカシさんはポカンとした表情で私を見ていた。
「パックンがお父さんみたい?」
「はい。………なんとなくですよ!」
一応フォローは入れたが変な子だと思われただろうか?
「パックンがお父さんね〜、体まで撫でてもらったんだ。」
カカシさんは何かに納得したのか、ふふっと声を出して笑った。
「カカシさん?」
何故かとても楽しそうで私は疑問に思った。
「いや、パックンがオレの所に戻って来た時やけにご機嫌で、今その理由が分かったよ。」
カカシさんはニコッと笑う。
パックンご機嫌だったんだ……
ともあれ、変には思われていなかった事に私は安堵した。
「でもどうして犬が苦手なの?」
「それは……昔、野犬に追いかけられた経験があって、それ以来犬が苦手なんです。」
その時を思い出して苦笑すると、カカシさんはそうだったんだと眉を寄せた。
「あの、パックンはお散歩とかするんですか?」
悪くなった空気を変えるために問うと、カカシさんはえ?っと驚いてから、たまにねと答えてくれた。
「私もパックンとお散歩に行ってみたいです!」
又もや面食らったようにカカシさんは驚く。
「そりゃーいいけど…」
「本当ですか?」
嬉しくて声を上げると、カカシさんの表情が緩んだ。
「パックンも喜ぶよ。」
こうして今度一緒に散歩に行こうと約束を交わした。
カカシさんとパックンと一緒に散歩……想像するだけで楽しそう。
私の心は弾んだ。
* * *
定食屋の話をしたり最近のナルトくんたちの話を聞いたりと、途切れることなく会話を交わしているとカカシさんがはたと立ち止まった。
「どうしたんですか?」
「んー雨の匂いがするなと思って。」
「雨の匂いですか?」
気が付けば山の麓辺りで驚いた。
話に夢中になり過ぎだと自分に呆れる。
クンクンと匂いを嗅いでみたが私には良くわからなくて、空を見上げてみると少し先の方が曇っていた。
「たぶんすぐに降り出すよ。」
「傘もないですし、急いで帰りましょう!」
「そうだね。」
私たちは元来た道を速足で引き返す。
平面で比較的歩きやすい道だったので助かった。
少しすると雨粒が頬に当たり、次は腕、脚と徐々に体を濡らしていく。
「降ってきちゃったね。」
カカシさんが言うとあっという間に雨足が強くなった。
仕方なく私たちは近くの木の下へ避難する。
肩から背中にかけてびしょ濡れになってしまった。
「すごい雨ですね〜」
私は土砂降りとなってしまった空を見上げて言った。
「ごめんね、もっと早く気付けば良かったんだけど。」
「そんな!カカシさんが教えてくれなければもっと酷い事になっていましたよ。ほら、山の天気は変わりやすいと言いますし。」
そう言って隣を見ると、カカシさんが濡れた髪を掻き上げていて、何とも艶っぽい姿に体が固まった。
「ん、どうかした?」
「いえ何でもないです!」
カカシさんは「そう?」と首を傾げケロッとしている。
その平然とした様子に、カカシさんは雨に濡れても平気なのだなと思った。
私は気を紛らわそうと再び暗い雲に覆われた空を見上げた。
「早く止めばいいんですけど……」
「そうだね。」
とは言え、これはしばらく止みそうにない。
私は首に張り付く濡れて重くなった髪を後ろに流した。
会話も途切れてしまって、私たちはただただ地を弾く雨音を聞いていた。
当たり前だが辺りに人はいない。
木の下に二人きり。
雨に当たらない様に身を寄せているせいで、微かに肩が触れている。
意識してしまうのは至極当然で。
早く雨が止んで欲しい様な止んで欲しくない様な、頭の中で無駄な葛藤を繰り返した。
束の間の沈黙の後、カカシさんの顔がヒョイと視界に飛び込んできた。
「寒い?」
突然のことでビクッと肩と心臓が跳ねる。
「っ、平気ですよ!夏ですし。」
挙動不審にならないよう笑って答えると、不意に頬を温かいものが包み込んだ。
ハッとして私はカカシさんを見る。
視線を合わせるためか腰を屈めていて、整った顔が目と鼻の先にあった。
「っ……」
カカシさんの真剣な表情に息を吞み瞬きするのも躊躇うくらいだ。
前髪から水滴が垂れ、それを大きな手が優しく撫でた。
「冷たくなってる……」
「だ、大丈夫です。」
かろうじて声は出た。
「これ掛けて。」
カカシさんはベストを脱ぐとそっと肩に掛けてくれた。
まだそこには温もりが残っていて、冷えた肌からじんわりと熱が伝わってきた。
「ありがとうございます……」
私はドギマギして視線を泳がせる。
カカシさんの匂いだ……
前にも嗅いだことのあるお日様の様な香り。
私は胸が苦しくなってベストの端をギュッと握った。
そこからは余裕なんてものは無くなって。
雨音にも負けないくらいの大きな心音を、極力動かず一点を見つめ静かに聞いていた。
* * *
「ななしちゃん……」
どのくらいそうしていたのか、カカシさんの声に宙をさまよっていた意識が引き戻された。
私はゆっくりと隣に立つカカシさんを見上げる。
カカシさんは私をジッと見つめると口を開いた。
「雨、止んできたよ。」
「え?」
私はカカシさんへ向けていた視線を空へ移す。
雨はパラパラとしたものに変わっていて、雲間から陽が差し込んでいる。
風にのって暗雲が流れ、見る見る内に晴れ間が広がった。
「……止みましたね。」
「うん。」
私たちは揃って木の下から出ると空を見上げた。
先程の雨が嘘のような綺麗な青空だ。
ちらりとカカシさんを見るとカカシさんもコチラを見ていて、空気が止まる。
艶やかな銀色の毛先から雫が落ちた。
「晴れて良かった……かな。」
後に疑問符が付くかの様な語尾でカカシさんは曖昧な表情を浮かべる。
それってつまり……
私はとことん自分に甘い思考回路を呪った。
どう答えるのが正解なのかと考えを巡らせたが、結局は漠然にそうですねとしか答えられず。
びしょ濡れなので家に帰る事になった。
「カカシさん、怪我は大丈夫ですか?」
肩からベストが落ちないように握った所で、今更朝の意気込みを思い出した。
雨で体も冷えただろう。
傷が痛んでいないだろうかと心配になる。
「大丈夫、もう治り掛けだから心配いらないよ。」
そう言ってカカシさんは笑う。
これは無理をしているのか?
一般人である私には、忍のエリートであるカカシさんの表情から本心を読取ることなど到底できない。
「そうだ!ベストお返ししますね。」
少しでも温まればと思いベストを脱ごうと手を掛ける。
するとその手をカカシさんが止めた。
「それは家まで預かって?」
「?」
もう私は大丈夫なんだけどなぁと首を傾げ、とりあえず素直に従った。
家までの道のりを水溜まりを避け歩いた。
お日様も出ているので気温がグングン上昇しているのが分かる。
アパートが見えてきてもうすぐお別れかと残念な気持ちになった。
家の前に着くとベストを脱いでお礼を言って返した。
「ありがとうございました。」
「どういたしまして。」
「カカシさんとのランチ、雨には降られましたけど色んなお話ができてすごく楽しかったです!」
溢れ出る喜びを笑顔にのせて言うと、カカシさんの表情も明るく綻ぶ。
「うん、オレも楽しかったよ。今度はパックンを連れて散歩かな?」
「はい!」
威勢のいい返事にカカシさんは満足したように笑った。
「風邪引かないようにね。」
「カカシさんも。」
「じゃあまた。」
「はい、また……」
私はカカシさんに微笑みかけると家に入った。
玄関でちょっとの間一日を思い返して惚ける。
とても素敵な一日だったなと顔が緩んだ。
髪も濡れているのでお風呂に入ってしまおうとそのまま脱衣所へ移動した。
棚からバスタオルを出して準備している最中、ふと鏡に目が止まる。
そこに映る自分の姿を見てじわじわと顔が赤らんだ。
トップスが薄手の白生地だったせいで下着の紐が丸見えになっている。
「だからベストを……」
私は恥ずかしくて両手で顔を覆った。
カカシさんの優しさに胸がとけそう……
しばらくそうして固まっていたが壁の向こうから物音がして我に返り、私は慌てて服を脱ぐとお風呂場に飛び込んだ。
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