その他夢

□夏侯惇と于禁
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「お前はおかしな女だな」
「何が…にございましょうか」
曹操が逝ってしまうと、夏侯惇は病に倒れた。なんという忠臣だと言うものもいるくらい、本当に直ぐだった。年齢も六十五か。神威の目にはいつまでも昔の姿に思えていた。
「俺はこんなに老いるのに、お前は出会ったときのままではないか…」
神威は、それに悲しげに笑った。
「夏侯惇様、やはりあの時の事は覚えてはいらっしゃらないのですね」
「…何がだ…」
神威はふふっと笑って夏侯惇の額に手を置いた。
『眠れる記憶を 彼の者のもとに』
神威の手のひらからあの日の、オロチの世界の時の記憶が流れ込んできた。不可思議ではあったが懐かしくも思える記憶。
「…お前…」
「思い出しましたか?私達はもう、お会いしております。夏侯惇殿」
「あの神威だったのか…通りで…ははっ…強いわけだな」
ああと声を漏らした。変な気分だった。どちらも融合しない記憶だが、確かにあった記憶だ。
「お約束、もしよろしければ果たさせてくださいませんか?」
そう言われたな。
あの世界でもこの世界でも、結局夫婦になることは叶わなかった。もしかしたら、この次は。夏侯惇がそう思ったのは嘘ではない。
「構わん。…行ってやろう」
神威はあははと笑った。
「では、直ぐに支度を。この後は、私と共に生きてくださいませ」
「それは、夫婦になるということか」
「夏侯惇殿が嫌でなければ…」
「断る理由など無い」
神威が手を振ると、美丈夫が二人。いつのまにか現れていた荘厳な扉から入ってきた。
「神威様、お急ぎを」
彼等は何やら部屋に香を振り撒いていた。神威は夏侯惇の体を起こした。その身体は軽く、神威はそのまま抱き上げた。
「…嫌だな…」
「ほんの少しの間にございますよ」
夏侯惇の得物、軍服、平服。それから、いくつかの書物を神威の側近達は携え先に扉から出ていった。
「さあ、こことはもうお別れにございます」
「良い日々だった」
「ええ、本当に…」
曹操は逝った。夏侯淵も典韋も郭嘉も荀ケも李典も。そして、于禁は未だ呉にいる。
「孟徳の覇道の完遂を見たかった。…だが、もう良い。これからは、お前と生きる」
最後に窓の向こうを眺め、鳥がつがいで飛んだのを見て二人で笑う。
「では、私とあなた様で覇道を敷きましょうか」
さあ、と扉を潜った二人。
後には熱を失った寝台だけが残された。

どうしてここへ。
神威は于禁を魏へ連れ戻す為に呉へ赴いた。孫権に連れられ于禁の部屋に行くと、彼は目を見開き驚愕していた。
「于禁将軍」
「もう良いのだ神威。私はそう呼ばれる人間ではない」
「いいえ」
「そうは思われていない。だから、私はここにいる」
「…曹操様は、最後まで于禁様を案じておられましたよ」
「っ!!」
「亡くなる間際。自分が死んだのち、あなた様を迎えに行けと。そして、必ず伝えるように。…大義であった、于禁。直接伝えられないこの身が憎いと」
「夏侯惇殿は…」
「亡くなりました。曹操様を追うように。本当に忠臣だったと言うものもおります。でも、私は寂しく思います」
「…そうであったか…」



「っ!曹丕様っ…!!何ということを」
「不服であるのか、神威よ。だがそれが、将軍としての責任なのだ。お前の様な者の立場とは違う」
「それでもっ…」
「ならば慰めでもしろ。だが、それは于禁への更なる侮辱であると心しておけ」
もう行けと手を払われそれに合わせて控えていた兵士が神威に近づいた。拱手するとくるりと玉座に背を向け、部屋を後にする。






「いつか、必ずお迎えにあがります」
そんなことを言われたという記憶が病に伏し生きているかも死んでいるかも分からない自分に思い出されている。
もしかしたら夢か。よもや、こんな姿をしているとは夢の中のあの人は思わないだろう。
呉から魏へ神威に伴われ還された後、曹操の墓前にて絶望した。私は末代まで、愚か者で終わるのかと。今までの疲れが出たのか、床から起き上がることは叶わなくなった。毛髪は数日で白く変わり、幾年月も数えた様な姿になってしまった。屋敷の寝台でうなされ、大量の汗と己の心臓の鼓動の激しさに目を覚まされ、生きた心地のしない日々を送っていた。
命脈もここで尽きるか。
まだ、果たしていないことがある。だが、もう果たせない。
後悔はない。多くの兵の命を無駄にしなかった。だが、未練はある。もしかしたら、もっと違う策を用いられたのではないか。
しかし、そんなことはもう。全て遅い。
夢か幻か。今生きているのか死んでいるのか分からない。だからだろう。そんな救ってもらえる夢を見たのは。
「于禁様…」
その声に覚えがある。差し出された手に、あの人のそれが重なる。
「お約束、果たしに参りました」
霞む視界がとらえたのは、目深に被ったフードの中から、優しげに動く唇。
「お急ぎください、陛下」
部屋に立て掛けてあった得物を手に、それから衣装棚の服とかつての鎧を動かす音が忙しなく聞こえる。何やら嗅いだことのない異国の香の香りが漂ってきた。
「…お前は…」
薄い掛け布団ごと、于禁の身体はその人に抱き上げられた。
「神威にございますよ、于禁様。我が都へあなたをお連れいたします」
ああ、神威。夏侯惇の下にいたあの神威か。はたまた、ああ夢のあの人もそう名のっていた。そうかと弱々しく吐かれた言葉に神威は胸が苦しくなった。
「陛下、人が来ます」
「今行く」
ドゥオーラへの道。神威は従者と共に于禁を屋敷から連れ去った。


目が覚めると、そこは見たこともない装飾の部屋だった。
「目覚められましたか?」
見たこともない服を着た好々爺が、寝台の于禁の顔を見てにこりと微笑んだ。
「…ここは…っ」
身体を起こそうとすると止められた。だが、自分の身体が今までよりも幾らか動かしやすく軽い気もする。
「今、陛下をお呼びしますので…」
陛下。ここは、一国の主の屋敷なのか。好々爺が下がると、ふっと息を吐いた。それすらも、今までと違い容易いように思える。一体、どう言うことなのだろうか。もしや、ここは冥府の国なのか。
「于禁様、いかがですか?」
従者を外で待たせて、陛下と呼ばれたその人はにこやかに笑って入ってきた。
「…ああ…」
口を付いて、まるで零れ落ちるように吐息のような言葉が出た。
神威。やはり、あれは夢の日々では無かったのだ。オロチの世界は確かに存在していたのだ。
寝台の横の椅子を引き、神威はそこに腰掛けると、于禁の手をそっととった。
「遅くなりました。…もう少し、早くお迎えに行けば、辛い目に会わずにすみましたのに…」
その頬に手を寄せ、そっと口付ける。
「…お前は、変わらないな」
于禁は神威の髪を撫でた。
「私はもう、六十になる」
髪も白くなった。
神威はクスクス笑って于禁に鏡を渡した。
「っ!…これは…」
「ドゥオーラの水でお身体を清めました。あなたの望まれた姿に生まれ変わるのです」
武を振るい、将軍と呼ばれ仲間達と戦場を駆けていた時と同じ姿。
やはり、私はこの姿を望んだのか。
「新しく、また生きてみませんか?私は、あなた様の才が欲しいのです」
「…お前は…」
聞きたいことは山ほどあるがどれから聞けば良いのやら。神威はそれが分かったのかまたクスクス笑い始めた。
「お約束です。覚えておりませんか?オロチのあの世界で、于禁様が私の国を見てみたいとおっしゃってくださった。だから、私はずっとこの時を待っていたのです」
神威は于禁の手をとり、身体を起こした。
「これよりは、私。ドゥオーラの夜の女帝に仕えていただけませんか」
ああ、そうか。もとより、死んだ身。これを生かしてもらえるなら、ここで生きるのも良いのだろうか。
「…神威、いや。陛下。あなたの身心のままに。この于文則、お側にお仕えいたします」
神威はふふふっと笑った。
「…では、お願いいたします。…夏侯惇殿!」
呼ばれて入ってきたのは夏侯惇だ。間違いなくあの昔の姿のままだが、隻眼ではない。だが、その鎧をとった戦勝服はそのままでとても懐かしい姿だ。
「っ!か、夏侯惇殿…」
「于禁。お前も来たのだな」
「于禁様より前に、曹操様が没した後こちらへ。…もう、未練はないと」
「孟徳のいない覇道など見たくもない」
「夏侯惇殿も于禁様と同じようにこの姿を望まれました。でも、懐かしいお姿でしょう?」
ああ、于禁は肩の力が抜けていくのが分かった。
「では、食事に致しましょう。于禁様、立てますか?」
「ああ、問題ない」
雲が晴れたように思考もはっきりしているし、身体は軽い。
持ってきた平服に着替えると三人は食堂へ向かった。
「于禁様、お目覚めになられたのですね!」
年端も行かぬ少女達が、揃いの服を着て忙しく働いていた。キャッキャと于禁の周りを楽しそうに回っている。
「こらこら、そう騒ぐでないよお前達。于禁様が困っている」
「うふふっ。神威様も夏侯惇様も嬉しそう!」
「そうだね。とても、嬉しいよ。さあさあ、クロウに食前酒の用意を頼んでおくれ」
「はあーい!」
行こうと跳び跳ねる二人。
「すみません。あれはまだ新入りで」
「いやっ。楽しそうで何よりだな」
話しながら歩いていると、執事とメイドが待つ食堂についた。
奥と手前二つに区切られた部屋で、神威は手前の部屋の席に座り、二人にそれぞれ椅子を示すと、執事とメイドが椅子を引き、そこに腰を下ろした。
「ここの酒と食事は美味いぞ」
確かに、運ばれてきたものは見たことの無いものだった。曹丕が好んだ葡萄酒もここではワインと呼び、手軽に飲めるものなのが信じられない。
「さあ、召し上がってください。ここでの食事が身体を作りますので」
それはそのままの意味だ。
水で身体を清め、食事を口にする。
この国のことを少しずつ話していく。聞かれれば答え、于禁はその度に驚き、笑みをこぼす。
「失礼いたします…」
食事も最後の酒を味わっている時だった。神威は、入るように促すと、長い白髪を後で縛り、端整な顔立ちをした麗人と、その麗人より一つ頭が出たこちらも酷く美しい顔付きの美丈夫が入ってきた。
「于禁様、こちらはアシュリー公。主に軍事を任せています。于禁様の側近になります。こちらは、フレッド伯。内政を任せています。夏侯惇殿の側近です」
アシュリーとフレッドは共に頭を下げた。
「于禁様の武、陛下よりお聞きしております。どうぞ、我らにも手解きをお願いいたしまする」
アシュリーは女性だが、非常に真面目な武人の様だ。于禁はこちらこそと頭を下げた。
「于禁様、私はフレッドです。夏侯惇様の側近をしております。何かご質問等があれば、我らにお聞きください」
こちらは、李典のように明るい青年だった。よろしくと頭を下げる。
「アシュリーは統率力のある武人です。真面目ですし、その武も筋が良い。きっと、お役に立てますよ」
「陛下、俺はないんですか?」
「お前はお調子者だなフレッド」
そうやって笑うと、アシュリーはフレッドを睨んだ。
「口を慎めフレッド。…陛下の御前だぞ」
「すっ、すみません、アシュリー殿」
「まあまあ、アシュリー。…フレッドよ、お父上によく言っておこう」
「そ、そんなあ、陛下それだけは」
泣きそうな顔をするので神威とアシュリーは可笑しくて笑ってしまった。
まあ良いと言い下がらせると、懐かしい話をしながら食事の続きを始めた。
「」
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