その他夢

□むそー遠呂智
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神威は小屋から程近い川で水浴びをしていた。もう春も過ぎたからそれは苦ではない。樹々はいつも通り葉を茂らせ、鳥だって心地良さそうに鳴いている。だが、明らかにこの世界は変わっていた。空間の歪めに陥ったかのように、不可思議だ。
神威は川から上がり、簡易の着物を羽織ると岩の上に腰掛けた。樹々の間から見える空に目を細める。今日は暖かく、いい日だ。
「すまない、そこの御仁。人を探しているのだが…」
聞き慣れない男の声だった。ここに来るのは孫市か左近、たまに慶次だ。見知らぬ人など滅多に来ない場所だから、神威は警戒した。
「お待ちください」
振り返らずに答えると神威は立ち上がり、岩から降りた。
声を掛けた男は、薄衣の着物から太陽によって透ける御仁の姿に、違和感を覚えた。大男のような体躯だが非常に引き締まっていて、不可思議なことに胸の膨らみは豊かだ。着物を整え振り返ったのは女だった。
「探し人は誰です?」
男の身なりは上等だ。腰に下げた剣から武人であることがわかる。そして、隻眼。はて、隻眼。
「神威という人だ。忍らしいが、この近くに住んでいると…。知らぬか?」
「神威…。それは、私のことですね」
「えっ」
「男だと?」
目を見開いている男の顔をまともに見て神威は笑った。視線が同じだ。いや、少し上か。こんな女は初めて見た。
夏侯惇は小さく頷き、すまぬと一言漏らした。
「いえ。ところであなたのお名前は?」
「夏侯惇…だ」
畏まるのは今度は神威の番だ。名を聞き、ハッとして頭を下げた。この世界の特筆すべき将軍の一人だ。
「これは失礼を致しました…。お名前は存じております」
「いや、良いんだ。それより神威、事は急ぐのだが…力を貸してくれないか」
「…では、小屋に戻って仕度を。お力になれると良いのですが…」
小屋は森の真ん中にぽつりとあった。着くなり、神威は夏侯惇などおかまいなしに、着物を脱ぎ見たこともない戦場用の着物や武具を纏い、必要な物を麻の袋に詰めた。簡素な小屋だと思ったが、どうやら麻の袋に詰めた物がこの家のほぼ全ての家財らしい。
最後に背中に剣と斧を背負うと、お待たせ致しましたと夏侯惇に声を掛けた。
「将軍の馬はどちらに?」
「下の村の馬小屋に預けてあるが」
「得策ですね。ではそこまで参りましょう」
神威は指笛を鳴らした。
しばらくして、草木を揺らし山の上から白い獣が下りてきた。始めは何事かと思ったが、目の前に止まった白い獣は馬程の大きさの白髪狼だった。
「っ!…噂では聞いたことがあるが、本当にいたのか」
「そうですね。もう、この子しかいないようですけど」
神威は白髪狼の背中に鞍を取り付け、額に兜を付けた。それに大人しく従う狼に、夏侯惇は驚きを隠せない。
「手綱は…」
「えっと…ありません。…さあ、どうぞ将軍!」
神威は自分の背中を指差した。
「俺が後ろか…」
「あはは。嫌ですか?でも、慣れないと振り落とされてしまいますから。私に掴まっていてください」
夏侯惇は渋々神威に従った。
馬とは大分違う乗り心地だ。これは後ろで正解かもしれない。
「もっと掴んで」
遠慮がちな夏侯惇の手を、自分の腰にしっかり回させる。筋肉質だが女の柔らかさのある体が夏侯惇にしっかりと当たる。今更それにうろたえる歳ではないが、やはりこれは落ち着かない。
「では、参ります」
そして走り出した途端、夏侯惇はグッと歯を食いしばった。それと同時に彼女に回した腕にも力がこもった。白髪狼は暴れ馬に乗る心地だ。風を切るというより追突していくような衝撃に夏侯惇は必死に耐えたのだった。


神威の様に軍に属さない人間は依頼で動き、傭兵として雇われる。断る事がなければ遠呂智軍に行く者もいる。依頼は依頼だ。
「信長は、どんな男だ?」
馬上の夏侯惇は横に並ぶ神威に問う。
信長の覇道等見たくはないが、今は曹操を探すためだと信長が率いる反乱軍に身を寄せていた。
ここは遠呂智軍すら知らない秘密の道。二人は互いの相棒を休ませる為に話をしながらゆっくりと歩いていた。
「信長様は、魔王と呼ばれる男です。何を考えているのか、何手先まで見ているのか検討がつかない。奇妙奇天烈なものに引かれやすい気はしますが」
「奇妙奇天烈?」
「ええ!…まあ、なんと言いますか。あの方はあの通り、家臣の秀吉殿ですら何を考えていらっしゃるのかと言うくらいですので、私は余り存じなくて。すみません」
「いや、良い。…ところで、お前は今までどの軍にいたのだ」
えっとと神威は指を出して数えだした。
「各地の軍を転々と。最初は秀吉殿それで信玄公、謙信公ですか。呉軍と徳川等にもいたことがあります。一番最近が信長様ですね。…夏侯惇殿は、曹操様を探しておられるのですよね?」
将軍、将軍と呼んでいたらせめて夏侯惇にしてくれと懇願された。まるで兵卒に話しかけられているみたいで気恥ずかしいと苦笑して。
「ああ。孟徳は死んだというが、俺には信じられん」
神威は頷く。曹操の話は聞いていた。魔王信長に似通った男で、曹覇王と呼ばれていると。夏侯惇は彼の従兄弟で右腕にして魏国大将軍だ。
「覇王と呼ばれる曹操様が簡単に遠呂智に屈するとは思いません。色々噂はありますが…。所で、夏侯惇殿は何故私を…」
そう言えば、力を貸してくれと言っただけで、どんな内容の仕事なのか言わずにいたし、聞かれもしなかった。
「信長に頼まれた。いや、正しくは左近だ。この先、神威が近くにいた方が何かと良いと言ってな」
「左近が。自分で来れば良いものを、あなたの様な高貴なお方に来させるなんて」
「いや、俺がお前に逢ってみたかったのでな、行かせてくれと頼んだ。それに、左近は行く所があるらしい」
「そうですか。…どうして、私に逢ってみたいと思ってくださったんです?」
「面白い武人と聞いたからな。…これは、手合わせせねばと思った」
そう言ってニヤリと笑う夏侯惇。
「いやー、きっと面白くはないですし。それに、あー…夏候惇殿は手加減はしてくれそうにないでしょうし。…私は遠慮したいです」
心底嫌だと言う顔をするものだから可笑しくて笑ってしまった。
「お前ならそう言うだろうとも左近は言っていたぞ」
「あはは。ご明察なのですね」
参ったなあと頭をかいて苦笑する。
暫く馬を歩かせると、今日は野営となり道を外れた。神威が辺りに気を配りここならと見つけたのは木々がまるで屋根のように幾重に頭上に張り巡らされた室の様な場所だった。良く良く見れば枯れたり倒れた樹の枝が、他の樹に絡まり伸びてそうなっていた。
「火は止めておきましょう」
春と言っても夜は冷える。眼楼を呼ぶと彼は大人しく言われた場所に寝そべった。すると夏侯惇の馬はすすっと眼楼の目と鼻の先に立ったので夏侯惇は苦笑しながら鞍を外した。夏侯惇の馬は珍しく牝馬だった。積極的な彼女の行動に満更でもない眼楼。やれやれ、主を差し置いて。夏侯惇はとんとんと彼女の背を叩いてやる。
神威は眼楼を背中に、ローブと大判の布を被って座り木々の間から見える星を眺めていた。その右隣に夏侯惇は座った。確かに背中は暖かい。おお!と感動していると、神威がついついと彼の肩をつついた。ん?とみやれば、夏侯惇に向かい自分のローブを持ち上げ逡巡していた。
「あ、あの、今夜は冷えますから。…ご迷惑でなければ…ご一緒に」
主を差し置いてと自分の馬に呆れたが、こちらはこちらで…等と考えるのはまだ早いか。
「助かる」
夏侯惇はローブの中に潜り込んだ。ローブと眼楼と人肌でとても温い。大人しい眼楼に偉いなと撫でると神威は微笑んだ。
「眼楼は夏侯惇殿が好きなようです」
「そうなのか?」
よしよしと首の辺りを掻いてやると嬉しそうに目を細めて舌を出している。
それに神威と笑って、それから二人は話をした。他愛のない話を。
やがて、どちらともなく寒さのためと言い訳をして寄り添うと、おやすみなさいと言った神威の吐息が彼の顎髭をくすぐる距離で眠りについた。

翌日の昼には領地内に入り、午後には織田の城へ入城出来た。
「神威!!」
信長の居城に着くと真っ先に出て来たのは関平だ。
「関平じゃないか!元気だったかい?」
神威は白髪狼の背から飛び降りると、関平をよしよしと抱きしめた。まるで母が息子にするようなそれに夏侯惇は苦笑した。
「ああっ!まただっ…っ」
もがいてもがいて離してもらえた関平は恨めしそうに、だがほんのり顔を赤らめ神威を睨む。
「怪我が無いか調べてるんだよ。お前は無茶をするから」
「拙者だって子供ではない。それに、昨日今日は宴会続きで出陣はなかったんだ」
ああ!と神威は納得したようだ。
「風の噂で董卓への輸送金を襲ったと聞くが」
「そのお陰で絢爛豪華な大宴会だ!」
きっと秀吉だろう。派手好きな食えぬ男だからな。神威はやれやれと首を振った。
「なるほどな。…とにかく、元気そうで良かったよ関平」
関平の肩を叩くと彼は神威もとやはり顔が赤い。宿敵関羽の息子関平。この餓鬼そう言うことか。咳払いをして二人の間を別つ。
「神威、信長の所へ案内する」
「あ、夏侯惇殿の馬と眼楼は拙者が小屋に連れていく!」
関平は夏侯惇の馬の手綱を掴んだ。スリスリと嬉しそうに関平の頬に鼻先を押し付けている。全くとんだ女だと夏侯惇は内心ため息をついていた。
「眼楼、こっちだ!」
名を呼べば嬉しそうに関平の横に来る眼楼。優しい人間が好きな甘えたがりだ。初めて逢った時から関平に懐いていた。
「ふんっ。慣れたものだな。神威はこちらだ」
関平の背を見送ると、神威は夏侯惇の後に続いた。信長の軍は着々と各地の軍を吸収しているようだ。初めて見る将軍も多い。何より、兵卒の数が明らかに増えているのだ。
「信長様は兵力拡大中…か」
変わらぬ野心。それは遠呂智を討つ為のものか、はたまたその先の天下統一の為か。紛れもなく後者なのだろう。信長という男は良く分からない男だが多分そういう男だ。
「あ!夏侯惇殿。雑賀孫市という男を知りませんか?」
思い出したと孫市の名前を出した。最後に会ったのは一年程前のことだ。
「…雑賀…いや、俺は知らんな。明日から、また他方に行く。もし、道中その男に逢えたら何か伝えるか?」
「では、頼まれていた物が出来たとお伝えください。覚えていたらで結構ですから」
「分かった。そうしよう」
「ありがとうございます!雑賀は鉄砲使いです。胡散臭い感じの鉄砲使いが孫市です」
「胡散臭い……覚えておく」
神威と夏侯惇は兵卒達が鍛練をしている側を通った。一瞬にして夏侯惇という大将軍にざわつく彼ら。三国の兵と戦国の兵が入り交じっている練兵場の様は中々に面白い。鍛練ご苦労と夏侯惇が声をかけると、一斉に彼らは頭を下げた。それからまた少し歩くと目当ての謁見の間だった。
手前の控えの間にいると、暫くして入れと中から声がかかり、小姓が襖を押し開くと二人に中へとすすめた。
御簾の向こうに浮かぶ影。その前に二人は腰を下ろした。
「来たか、神威」
御簾が上がると、うっすらと笑みを浮かべた織田信長その人がいた。
「信長様、この神威、参上仕り(ツカマツリ)ました」
玉座に深く腰を落ち着け、信長はその深い闇色の目でゆっくりと神威を見遣る。神威は彼に向かい頭を下げた。
「待っておったぞ神威。うぬの武甲は某も頼りにしておる。その武、信長の為に存分に奮え」
疑念の目は今や興味と信頼の目だ。
「はっ。承知致しました」
「今宵は光秀が宴を開くようだ。ゆるりと楽しむがよい」
「ありがとうございます」
信長は夏侯惇に何やら伝えると下がって良いと短く言った。神威は夏侯惇に連れられ部屋を出る。
他の将の部屋から離れた所にある神威の部屋には夏侯惇が通してくれた。
「神威、手合わせの事だが」
あの大将軍が申し訳ないという素振りで、話を切り出すものだから、声音は自然と柔らかくなる。
「夏侯惇殿、私が負けたと分かったら雇い主が減ってしまいます。後生ですから」
「…ならば、また話をすることは叶わないか」
あの夜は楽しかったと素直に言えば神威は破顔微笑で頷いた。
「それでしたら、喜んで!」
「そうか。…では、今宵。宴までゆっくり休むと良い。何かあれば言え、俺の居室はこの先だ」
「はい!ありがとうございます」
夏候惇の足音が遠ざかると神威はホッと胸を撫で下ろした。雇われの身で負けるわけにはいかない。傭兵は強さだけが身を助けるのだ。
先ず湯浴みでもしよう。神威は荷物を下ろすと軽装になり、湯屋探しのために部屋を出た。


その夜は大宴会だった。連日のそれに飽きないのが凄い。
「…天下をとったかの様な賑やかさで…」
神威はその光景に呆れながらも食事に手を出すと、美味しいのか口元に笑みを浮かべている。
「神威、拙者のも食べるか?」
「良いの?」
「随分…腹がすいているみたいだから」
そこで神威はピタッと動きを止めた。自分の膳と関平の膳を見比べて、同じタイミングで食べ始めたのにほぼ残っていない自分の膳と、まだ食べ初めの関平の膳の上をあーあと恥ずかしそうに視線を動かした。
「空いてる。美味しいからな、ここのご飯は」
子供みたいだ。関平は笑っている。
「なら良かった。さあ、遠慮せずに」
関平は神威と別れてからの話をしていた。山で神威と別れ、黄忠と再会してから、ある戦場で苦戦しているところを信長に拾われたのだと言う。
「そうだったのか」
「信長様は…劉備様とは相反する御方だが、何故だかとても惹かれる」
「信長様はそう言う御方だ」
そうかもしれないと照れ臭そうに頬笑む関平。
「お父上には?」
それには首を振った。
「父上はきっと…劉備様と一緒だと思う。だから、拙者は劉備様を見付けなくては」
「そうだね。その時はきっと、信長様は許してくださる」
離反することになるからだ。そうだといいと頷いた関平。
大人達の酒盛りは延々と続く。明日からはまた調練だ何だと仕事があるのに。関平は眠くなったから先にと席をたった。そこに、すっと座ってきたのは夏侯惇だった。
「神威、俺の部屋に来ないか?」
静かに呑みなおそうと酒を掲げると神威はクスクス笑った。
「はい!…私もそうしたいです」
ではと騒がしい宴の間を出て、離れの居室へと二人は連れだって戻っていったのだった。
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