その他夢

□チェーザレ
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朝の光は容赦ない。ここは朝が一番眩しくなる区画だ。ひしめく古びた家々の一つに着いたフランチェスコは、その入り口から頭上を見遣った。
この容赦ない日差しをものともせず、深く寝ているであろうカムイを思うと頭が痛い。アイツを起こして連れていく為に、しなくてはいけない行程を考えてだ。
近隣によく馴染むこの家に、まさか殺しを専門とする人間が住んでいるとは誰も思うまい。チェーザレのそれにカムイは盛大に笑って、良いねぇ坊っちゃんと軽口を叩いていたことを思い出して溜め息をついた。
「フランチェスコ様、そこに立っていては目立ちますよ」
この家の手伝いの侍女オフィリアは、そっと出てきて中に招いた。
「すまない、オフィリア」
「お早うございます、フランチェスコ様」
恭しく膝を折るその姿に目眩がする。可憐な女性だ。カムイには望めないものだ。
「カムイは…と、聞かなくとも奴は寝ているな」
それにクスクス笑ったオフィリアはこくんと頷いた。馴染みの娼館から買い取った彼女を身の回りの世話役にと言って連れてきたのはカムイだった。マヌエラから頼まれたんだよと、葡萄酒を飲みながら笑っていた。
「昨日は夜遅くにお仕事でしたから。お疲れのご様子です」
「…そうか」
「朝食のご用意は出来ています。お伝えいただけますか?」
「分かった」
フランチェスコはオフィリアに礼を言うと二階に上がった。二階には縦に二部屋と一番奥に納屋がある。正面右、納屋の隣がカムイの部屋だ。疲れていると聞いては叩き起こすのも憚れる。とりあえず扉は静かに開けた。
薄い麻布を窓にかけ、窓辺には形ばかりの本棚と箪笥、服が二着引っ掛けてあるだけだ。寝台横の机に水と脱ぎ捨てた服が置いてある。それで、本人は簡素なその寝台で気持ち良さそうに寝ていた。
「よく寝ているな」
その寝顔を見ると寝かせてやりたい気になるが、ここは起こさないといけない。
「…カムイ!起きろ、仕事だ!」
揺り起こすと反動で変な声を一度上げ、その後薄く目を開けた。
「…フランチェスコ…何なんだ。珍しい…」
こんな時間に来るなと言うことだ。
夜に出歩いたと言うことは狙っている者を殺めたか、娼館での揉め事を始末したか、或いは夜闇でしか動かない情報屋に会いに行ったかのどれかだ。カムイは昼間寝ているか、一般市民に紛れて情報を探るかしかしない。
「…全く、チェーザレ様から貰っている報酬では足りないとでも言うのかお前は。他の仕事を請けなければ寝られるだろう」
金が貰えれば請け負うアサシンだ。娼館の出入りも頼まれて勝手にやっている。腕が良いと人伝に噂されていた。が、女だとは思われていないらしい。誰であっても、確かに見合う報酬なら必ずやる。だが最近はチェーザレの為に動けるようにしろと言われていた。
「そうじゃないさ。ただ、お前達の朝が早過ぎるんだよ。オフィリアから聞いただろ?昨日、私は仕事だったんだよ…」
察してくれと言った所で、この男に何か効き目があるとは思わないが。カムイは恨みったらしい目で、フランチェスコを見上げた。
「誰のおかげでここに住めていると思ってるんだ?」
カムイは無言でフランチェスコを指差した。
「宜しい。ならば、私が仕えるのは誰だ」
「チェーザレ・ボルジア」
「そうだ。それなら、そのチェーザレ様からの仕事だと考えれば、自ずとやるべき事がわかるだろう?」
断れば家が無くなるということだ。気立ての良い料理上手で賢いオフィリアもろとも。カムイはあからさまに嫌そうに顔を歪めた。
「…フランチェスコ、お前は腹立たしい奴だよ。賢過ぎて嫌になる。流石は大学教授様だ」
起こしてくれと手を差し出すと、彼は彼女の手を掴んだ。
「それは褒め言葉だな」
「そうだよ。お前は、本当に、良い男だ!」
カムイはフランチェスコが掴んだ手を思いっきり引いた。
「わっ!!馬鹿っ!」
バランスを崩したフランチェスコの半身は、身体を起こしたカムイの腕の中にすっぽりおさまった。
「フランチェスコ、お早う」
唖然とするフランチェスコに口づけて微笑むカムイ。満面の笑みなのがカンに障る。
「わざわざ、私をこうした意味はあるのか」
「ないよ。強いて言うなら、いつも冷静なお前が慌てた所を見たかったって所かな」
「…ったく。小癪な!」
今度は逆転だ。
組み敷かれて目を真ん丸くしているカムイを見下ろすのは気分がいい。
「…私の、勝ちだな」
満面の笑みのフランチェスコ。
口づけようとしてためらった彼。
だから、カムイは彼の衣服に手をかけて、自分から口づけた。
冷たい彼の衣服に、肌があたるのが気持ち良い。ほうっとため息をついてから、カムイは下から彼を見上げた。
「負けた。…やっぱり良い男だ…」
「馬鹿だな。気が付くのが遅いぞ」
フランチェスコが仕えるのはチェーザレでカムイが仕えるのはフランチェスコだ。だから、フランチェスコの為ならば何でもするという方が正しい。
ただそれも、いつまでかは分からないが。この混乱の時代だ。どうなるかは分からない。
「オフィリアが朝食を作って待っているぞ」
「っ!早く言ってよ!」
カムイはガバッと立ち上がり、机に放り投げていた服を掴んだ。
「…あ。ミゲルと坊っちゃん以外に人はいるのか?」
「ああー。…いる、かもな。最近、気に入りの新入りが出来てな、良く面倒を見ている」
「そうか」
カムイはその服を寝台に投げ捨てるとさらしを箪笥から取り出した。
「こっちもって」
胸を隠す為だ。こうやっていたのかと感心する。言われるがまま持つと、カムイは器用にそれを胸に巻き付けた。服は箪笥に仕舞ってあるスペイン団の服を着た。
「つくづく思うが、お前、変な体格してるよな」
男物が着られる体躯だ。背だってミゲルくらいはあるだろう。カムイはクスっと笑って、くるりと回って見せた。
「そう?似合うだろ」
「ああ。綺麗な青年に見えるぞ」
カムイは真っ黒な短髪だった。
だからだろうか。余計にそう見えるのは。
「良かった。じゃあ行こう。馬はお前のに乗せておくれよ」
「ああ、そのつもりだ。裏に繋いである」
オフィリアの朝食を食べ、行ってくると伝えるとカムイとフランチェスコは家を出た。


「カムイ!」
大司教邸に行くとミゲルがすぐに出てきた。珍しい。チェーザレの部屋で寛いでいるものだと思っていた。
「お早うミゲル。早いな」
馬上から降りると、カムイは笑みを浮かべた。
「カムイ、今日は話すな」
知られてはいけない人間が来ているのだろう。カムイは承知したと頭を下げた。ミゲルと三人でチェーザレの下へ向かう。
「チェーザレ、カムイだ」
入れと声がかかりミゲルと共に入る。と、綺麗な亜麻色の髪をした青年がチェーザレと話していた。スペイン団の人間ではないようだ。
「カムイご苦労。…ああ、こっちは、フィオレンティーナのアンジェロだ」
カムイはアンジェロと呼ばれた青年に向かい、笑みを浮かべ恭しく頭を下げた。これご気に入りの新入り君か。
怖ず怖ずとつられて頭を下げるアンジェロ。声を出さないカムイを不思議そうに見つめている。それに気がつき、チェーザレはああと声を漏らした。
「すまんな、アンジェロ。カムイは突発的に声を失っているんだ」
申し訳ありませんと口だけ動かし、小さく頭を下げた。
「あっ、い、いいえそんな!すみません私の方こそ、失礼な態度で…。あ、それではチェーザレ様、また…」
もう帰る頃だったのだろう。アンジェロはカムイを一瞥してから頭を下げるとミゲルと共に部屋を出て行った。
フランチェスコは彼らがいなくなるのを見届けると、扉を閉めた。
「カムイ、随分稼いでいるそうだな」
「…おや、優秀な影をお抱えのようですね」
フランチェスコを睨むと許してやってくれとチェーザレは苦笑した。
「資金はないよりあった方がいい」
そう言って朗らかに笑うチェーザレに椅子をすすめられカムイはそこに座った。
「で、仕事って何ですか坊っちゃん」
「アルノ河の向こうに行って探って欲しいことがある」
「…何を?」
チェーザレはニヤリと笑った。あ、面倒な話だと直感でわかった。
「報酬は上乗せで!」
「おい、カムイ。あまり調子に乗るな」
「良い、フランチェスコ。…もちろん、結果によるがな」
「問題ない」
チェーザレは満足げに笑みを浮かべた。
カムイはアサシンだ。暗殺や情報収集を生業としている。
真っ当なアサシンならば、市民の為と動くが、カムイはそうではない。どの貴族、との権力者にも付かずに、ただその時その時、己の為だけにこの仕事をしていた。
チェーザレ、フランチェスコ双方から話を聞き、カムイは思案する。人指し指をくるくるさせる時は何か考えがあって段取りを頭で思い浮かべている時の仕草だった。
こうしてカムイを眺めていると、本当に男にしか見えないのだから面白い。娼館に行く時は顔の半分を麻布で巻いて仮面を上から着けているそうだ。不気味な方が面白いだろうと笑っていたが笑えない。
「…分かった。心当たりがある。明日には持って来られるはずだ」
また軽口を。カムイのチェーザレに対する態度に頭を抱えるフランチェスコ。だが、チェーザレは何も気にしていないらしく、二人は既に別の話で盛り上がっていた。
「どうしたんだ、フランチェスコ…」
ミゲルが戻って来て、扉の前で仏頂面のフランチェスコを見遣った。
「…何でもない…」
「ふーん…」
この冷静沈着なフランチェスコを混乱、困惑させられるのはチェーザレとカムイだけだ。カムイに何かやられたか、さもなければ目の前でチェーザレ相手に軽口を叩いているのが原因だろう。彼がこんな顔をするのはそんな時くらいだ。
「飼い犬に食われないように」
「残念だが、もう食われた。いや、食ったか」
フランチェスコは深くため息をついた。気の迷いだったのかなぁと真剣な顔をするから、その横で、ミゲルは必死に笑いをこらえた。
「アサシンに手を出すのはあなたくらいだ。俺にはそんな勇気ないね」
「チェーザレ様には言うなよ。面倒になる」
大いにからかい嬉しそうにするのだろう。アサシンに惚れるなんてやるなぁと含んだ笑みを浮かべて。それを互いに想像して、ミゲルは落ち着くと分かったと頷いた。それは流石に、フランチェスコが仕事がしづらくて可哀想だ。
「…ミゲル!戻っていたのか」
「ああ。一体二人で何を話しているんだ?」
「ミゲルの悪口だよ」
カムイとチェーザレは笑っている。
ああと頭を抱えるミゲルの体は二人を喜ばせるだけだ。冗談だよと言いながらカムイは立ち上がった。
「さて、明日また来るよ」
「ああ、すまんなカムイ」
「どういたしまして」
送るといったフランチェスコを遮り、カムイは大司教邸を出た。
帰りにオフィリアに美味い葡萄酒でも買ってやろうか。チェーザレからの報酬を考えれば安い支出だ。
「この世界の人間は大変だな。…一神を信じるなんて…まあそれも、政治的に利用するのだから賢いと言えば賢い導き方だが」
大司教邸でこの発言。カムイはふふっと笑った。神を信じない。唯一絶対とされるたった一人きりの神など絶対に。
「宗教はただの思想だ」
縋りたくば縋れば良い。ただそれを押し付け利用しなければ良いのだ。だが、人間はそう賢く出来ていないのもまた事実。
誰もいない回廊。カムイは馬鹿馬鹿しいとため息をついて大司教邸を後にした。
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