すらだん夢

□岸本 マネージャー
1ページ/22ページ

皇神威は吉本興業のマネージャー職に付いている。今は大阪で一人暮らし。職場で友人と言うのは周りが若すぎてちょっとないかなと思っていて、プライベートまで付き合うことはしていない。出身は東京だから友人も皆関東だ。
「岸本…実理さん…と仰る」
バーカウンターの真横でにこにこしながらこちらを見てくる男がくれた個人情報を反芻して、満足げに頷く彼を見上げた。
「せや。歳は二十六。お姉さんは幾つなん?」
「…三十四になりました」
カウンターの中のママは全くと苦笑する。
「女性に年齢聞くなんて野暮やなぁきしもっちゃん」
「気になるやん。仕事、何してんの?」
「吉本興業のマネージャーです」
「ほんま!?担当誰?」
「今は見取り図です」
「うっそ!俺、めっっちゃ好き!」
大型犬の様だなと思った。子供の頃から劇場に来るのは大阪特有の文化だと入社以来思っていた。新卒採用以外を募集していたから、受けたら受かってそれからずっと働いていると言うと目を丸くされた。
「お笑い好きとかやないん?」
「逆に好きだと落ちるみたいですよ。タレントさん達が言ってました」
「あー!なるほどなぁ」
神威の手持ちのグラスが空になったのを目敏く目に止め、何飲む?と聞かれる。
「…じゃあ、カミカゼお願いします」
強いのいくなぁと苦笑される。神威は酒豪だ。社内の飲み会でもそれは有名で名だたる酒豪を潰してきた。
「神威ちゃん、平気なん?明日お休み?」
ママは手を動かしながら尋ねる。
「はい。休みなので、もう少しだけ」
それならと水を先に出され、神威は水を飲みつつカミカゼが出来上がるのを待った。
「それ、終わったらジントニック一つお願いなーおばちゃん」
「はいはい」
岸本のじっと見つめてくる視線に戸惑う。嫌な視線ではないから恥ずかしい。そう見つめられる容姿でも無いのだ。人生で初めてのこれはナンパと言っても良いのか。それともからかわれているだけなのか分からない。ママなら分かるかな。でも、この距離で本人を前に聞くことは出来ない。
「岸本さんは、お仕事何されているんですか?」
「俺?俺は…バスケやっとる。実業団。南海電鉄の」
「へぇー!…だから、背が高いんですね」
その言い方に岸本は直ぐにピンときた。
「…あんた、バスケ知らんやろ」
気を悪くした風でもなく、岸本は面白そうに笑っている。
「あははっ…すみません。スポーツはあまり興味がなくて…」
ちぇーっと拗ねるその様は子供っぽくて可愛い子だと思う。
「俺、結構上手いねんで?」
「きしもっちゃんな、こう見えて次のオリンピックの強化選手やねんで」
「えっ…!それは、凄い」
素直に感嘆すれば直ぐに機嫌をなおすから可笑しい。
「なあ、俺がオリンピック出たら観に来てくれる?お姉さんは…」
飛躍してる気がするがそう言われたら行かないとは言えないなと面白くなった。
「ええ、チケット取れたら行きます」
クスクス笑うと、ええなぁと呟かれて。ええなぁは勘違いしてしまいそうになるから、神威は聞こえないふりをした。トイレと席を立った彼の背中を見つめ、神威はママを手招いた。
「い、今のは……どうとれば」
「ロックオンやね。きしもっちゃん、悪い子やないから神威ちゃん警戒せんでもええよ」
ママのお墨付きやと笑う。
「見た目派手やけど、中身は素直な子やし。変な噂は聞かへんわー。今お付き合いしとる人もおらんよ」
「なるほど…」
「神威ちゃん巨人師匠に連れてこられてからずーっと来てくれとるやろ?…彼氏もおらんで仕事ばっかやないの。たまに師匠来ると心配してるわ。年頃なのにって。少しはそう言うことしてみたら良いわ」
「あははっ…そうですか。師匠が…それはっ」
女同士でクスクス笑っていると何話してんー?と岸本が戻ってくる。神威は座った岸本にすっと自分の社用の名刺を渡した。
「大阪吉本興業マネジメント部の皇神威です」
「おっ!ほんまや…このアドレスにメールしてもええの?」
「へ?あ、それはっ、社用ですので…」
せやろなあと欧陽に笑う岸本。
「ほんなら、皇神威さんの個人的な連絡先教えてくれへん?」
ちらとカウンターを見るがママは奥に行っていていない。まあ、良いか。こう言うことも経験しなくては。ママのお墨付きなら信じても大丈夫だろう。神威は私用の携帯を出すと、岸本がそれを預かりLINEと自分の番号をさっさと登録した。
「これ、俺の。拒否せんといてな」
「し、しません…」
「次逢えるのいつ?」
「は?」
「予約せな。逃げられそう」
悪戯っぽく笑う岸本の大きな瞳に神威は頬を赤らめた。綺麗な目だ。二重の大きい目に凛々しい眉、通った鼻筋。濃い顔は神威の好みでもある。と言うかイケメンの部類の彼が何故自分に声をかけるのか、ここでようやく正気になった。
「…どっか行く?」
「へ?」
「他、飲みに行こうかって。休みなんやろ?明日」
「…初めて逢ったのに?」
「俺初めてやないもん」
「ん?」
「あんたの事見て知ってるわ。おばちゃんにもお願いしてん。次、あんたが来たら電話してなーって」
「…あら、凄い根回し…」
悪びれもせず笑う。
「で、どないするん?…嫌がることはせえへんよ」
ほんまやでと言う彼をじっと見つめる。
「…行ってきよし神威ちゃん。きしもっちゃんなぁ、ずーっとあんたの事待ってたんやから」
「ずっと…」
そんなに人に待っていて貰ったことなんてないから、神威は驚いて岸本を見つめていた。
「タイミング悪いねんこの子。せやから、嫌やなかったら行ったげて。変なことされたらな、おばちゃんに言うてや!大阪の街歩けんようにしたるからな、きしもっちゃん!」
「そんなことせえへんってー。堪忍してーな」
二人のやり取りにクスクス笑ってしまう。リズムの良いやり取りだ。
「じゃあ、はい。…良いですよ。私で良ければ」
「ほんま?…よっしゃ!…おばちゃん、これ飲んだら行くな」
「はいはい。あんたら帰ったら今日は終いや」
もうそんな時間かと神威は時計を見上げた。てっぺんを過ぎている。こんな時間まで一人で外にいたことはない。
「ごめんなさい、遅くまで…」
「ええのええの。今日の分はきしもっちゃんにつけとくからなぁー」
「い、良いです!自分の分は払います!」
「ええって、そうしておばちゃん。先に払うな」
岸本がちゃっちゃと支払い、神威が飲み終わるのを待って席を立った。
「御馳走様でした」
「きぃつけてなー。仲良くやでー」
店の外に出ると今度は岸本に御馳走様でしたと頭を下げる。立つと本当に大きい。自分も百七十二あるが頭一つは上にある。
「律儀やな、お姉さん」
「そんな。普通ですよ」
「あと、女の人にしたら背高いな」
「百七十二です。縮んでなければ」
「そうなん。俺、百九十やからええ身長差やん。なあ、うどん食わん?俺小腹空いとんねん」
「うどんですか。はい!食べます」
ええ返事と笑ってこっちやからと岸本は神威の手を掴んだ。すっとなんでもやるんだなと神威は感心する。昔ながらのうどん屋はこの界隈にあっても来たことがなかった。二人席のテーブルについて岸本のおすすめを貰う。
「美味しい…」
「知らん?ここのうどん美味いねん」
「知らなかった」
柔い麺で出汁が美味い。お揚げがしゅんでて美味しい。葱をたっぷり乗せるのがまた良い。
「お腹温まる」
お汁も全部飲んでしまった。
「ええ食いっぷりで」
「あっ…ごめんなさい。食い意地が…悪くて」
「ちゃうわ。ええことやん。…俺の実家洋食屋やっててな、残さず飯食う奴に悪い奴はおらんっちゅーのがうちの家訓なん」
「そうなんだ。洋食屋さん…」
「今度ご招待するわ。まあ、街の洋食屋やから洒落てはないけどな」
「そう言うお店の方が好き」
「ははっ…それもええわ」
うっとりとする様な声音で、色っぽい人だと思う。年下だけど。八個も下だけど…。
「岸本君は、どこに住んでるの?」
「俺?…寮なんよ。若手のバスケ部は強制的にな。学生みたいやろ?せやから、今日はもう…あかんなぁ」
「へ?」
「このまま朝までぷらぷらするわ」
「え、朝までぷらぷらするの?それは、危ないよ。あ!だったらうちに来る?狭いけど、お風呂もあるしお布団もある…っ!」
ここまで言って大分ヤバい事を彼に言っている自分に気がついた。岸本もまさか言われないだろうと思っていたのか、大きな目を真ん丸にして驚いている。
「…大胆やなぁ…自分」
恥ずかしすぎる。
「ちがっ…ちゃんと寝なきゃ…身体が参っちゃうだろうと思って。あのっ、嫌なら忘れてください」
何て事を言ったのか。盛山じゃあるまいし。芸人のそう言う話を馬鹿だなぁと笑って聞いている場合じゃない。自分も相当可笑しい。
「神威さんが嫌やないんなら」
「へ?」
「行ってもええんやろ?」
「…はい」
「近いん?」
「あー…タクシーで帰ります。電車終わってるし」
「タクシー代持つわ」
行こ!と言われうどん屋を二人で出る。ここは払うからと神威が押し通した。表で車を拾い神威のマンションへ向かう。住所を告げるとええとこ住んでんなと笑った顔が可愛いと思った。

部屋で少し飲んで、神威は岸本に断って風呂に入った。俺シャワーだけ借りると言って岸本が浴室に行くと着替えをどうしてやろうかと悩んだ。そう言えば、見取り図のライブTシャツで盛山サイズが余って、部屋着にでもしてくれ!と引き取ったものがあった。それを用意すると今度は布団を敷いた。畳の部屋だからベッドは置かずに敷布団とマットレスにしている。
シャワーありがとうと言う岸本に、そのTシャツを差し出した。
「岸本君、これ着る?」
「でかっ…これ何?」
あははと半笑いだ。
「見取り図のライブTシャツの売れ残り。盛山さんサイズ作りたいって本人が自腹で作ったの」
岸本が着ても余裕があるから、盛山は本当にでかいのだ。それでも小さいよりはマシだろう。
「おおきに。これ着て寝るわ」
下は練習着の替えにするとこの季節に短パンを履いている。寒くはないかと聞けばいつも短パンらしい。気を遣わせないために嘘を吐いているのかな。もしそうだった場合居間で寝させるのはいけない気がする。風邪を引かせてしまったら申し訳ない。マットレスはセミダブルだから多分一緒に寝られる。抵抗さえなければ問題ない。
「…どうかしたん?」
「あ、あのう…布団が一つしかないので、い、一緒に寝ますか?」
「そら、有難いけど…」
ほぼ初対面なのにこれは駄目か。誘ってるみたいだもんなー。あー、ガツガツしてるとか思われてるのかな。ただ、どうしよう。もう、自分も結構眠い。
「風邪引かせてしまったら申し訳ないので」
短パンだしと指差して彼を見上げると、ははっと笑ってせやなぁと頭を掻いた。
「なら、お言葉に甘えて。…寝相悪かったらすまん」
「あははっ。ベッドじゃないから大丈夫。落ちても畳だし」
こっちと神威がリビングに続くスライド式の扉を開けて岸本を招く。きちんと敷かれた布団。神威はちゃんとした枕の方を岸本に勧めた。
「悪いわ。俺、枕いらんよ?」
「良いの。そうして?」
譲らなさそうだと思って素直に従う。岸本がもぞもぞ動いて場所を決めると、ふわっと肌触りの良い毛布が掛けられた。
「布団ええよ」
「駄目。風邪引いたら大変よ。そんな短パンで」
岸本の横に自分用の毛布を敷いて、神威は上から羽布団を被せた。布団の頭の上の読書灯を付けて電気を消すと、よいしょっと言って布団に潜り込む。
「これだけは一つだから半分こしようね」
羽布団を岸本の方にもと思って片手で引っ張って、これで大丈夫とぽんぽんして笑う。
「ほんなら、もっと、こっち…」
ぐっと神威の身体を引き寄せて、ずるずるしながら毛布毎自分の腕の中に収めてしまう。見事なすっぽりだ。ああ、これだけ体温が高ければ布団いらないのかもしれないとぼんやり思って、神威は毛布越しに感じる岸本の腕とか筋肉の重さにドキドキした。
ぽんぽんとあやすように背中を優しく叩く岸本。神威は意を決して岸本を見上げた。それで、あっと小さく声を上げる。じっと自分を見つめている優しくて熱い視線を目の当たりにしたからだ。
「…俺、小さかったり華奢な女の人あかんねん。神威さんは俺のドンピシャの好み」
「っ!」
神威は可笑しくてあははっと笑ってしまった。何で笑うん?と苦笑する岸本。
「そんなこと、言われたことないよ」
「ほんま?」
「でかいって、盛山さんとかに良く言われるし。大体それで芸人さん達にいじられる」
「あほやなぁ芸人は…」
岸本は神威の頬を親指でくいくいと撫でる。それなら敵は居ないわけだ。
「神威さん。…俺、あかんか?」
「へ?」
「付きおうて欲しいん、俺」
「っ!…わ、私?…もう、おばさんだし綺麗じゃないよ?」
「お姉さんやん。…話して直ぐやからあれやけど。俺、女の人に自分からこう言うことしたことないねん…ほんま。神威さんが初めて」
ママは良い子だと岸本を評していた。だから、本当かもしれない。嘘でも別に良いのだけれど。
「…私も……男の人うちに上げたの初めてだよ」
「ほんまに?」
うんと頷く。男どころか人を入れたのは岸本が初めてだった。
「私で良いの?」
「神威さんがええわ」
頬が少し赤い。ぎゅっとした眉の下の目がキラキラしている。神威は微笑んで頭をちょこっと下げた。
「ありがとう…。そんなこと言ってくれる男の人、岸本君が初めてだよ」
嬉しいと気恥ずかしがる神威の伸ばされた手をそっと取って、岸本はその掌にちゅっと唇を落とした。されるとは思わなくてびっくりした。でも、伏せられた長い睫や、読書灯で影になる彫りの深い顔にぼうっと魅せられる。ああ、王子様みたいだなとぼんやり思った。アラブかスペインか。岸本君ハーフなのかな。今度聞いてみよう。どっちにしても彼は王子様だ。
温かくて眠くなる。それでもそんなことを考えながら岸本を見つめていると、ぽやぽやとした視線に彼の眼差しが絡んでいって自然と柔く微笑んだ。
「…ん?どうしたん?」
「…岸本君…王子様みたいね…」
「へ?」
何で?どう言うこと?聞こうとしたが、神威はふふっと微笑むとおやすみと言って布団に潜り込む。やがてすうすう穏やかに呼吸を繰り返して眠ってしまった。
「王子様て…俺が?」
可笑しくて一人クスクスと声を抑えて笑ってしまう。変な人。読書灯を消して、岸本は布団の中の神威を見下ろす。潜り込む様にして寝ている神威はちょっと変な人なのかもしれない。それでもそれは、やっぱり可愛い人だと言う意味のそういう変な人で、好きには変わりがなかったのだった。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ