その他夢

□マネージャー
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年度替わりの大阪吉本本社の会議室。
見取り図の二人の目の前に、同年代のマネージャーがニコニコしながら座っていた。薄手のボルドーのセーターにきちんとスーツジャケットを羽織っている。落ち着いていて頼りがいのありそうな雰囲気だ。
「今年度から、俺のチームに入った皇神威マネージャーです。担当は見取り図になります。若手に付くのは初めてなんだよな?」
「はい。精一杯努めますのでよろしくお願いいたします」
深く頭を下げるからつられて二人も頭を下げた。
「田中が受け持ち増えるので、引き続き田中も見取り図に付くけど、引き継ぐ形でそのうち皇がメインになります」
田中と並ぶと大と小の対比が凄い。田中は148cmで神威は172cmだと言う。
「至らないところはおっしゃってくださると有り難いです。きちんと対応させていただきますので」
「あ、ああ。はい…よろしくお願いいたします」
では、本題にと神威が全員に配ったのは案件がズラリと並んだ書類だった。
「何ですか、これ…」
笹岡はこれが藤山が言っていた事かと苦笑した。自分で案件を取ってくるのよと言われてまさかと思っていた。藤山はベテランを多く受け持っているからあまり生かせないと言っていて、だったら売り出し中の若手を抱える笹岡に神威を渡したのだった。
「私が個人的にいただいた案件です」
「は?」
神威はこれと指で示す。
「…人間ドックの案件は一石二鳥だと思いますけど…」
「多岐に渡りすぎやん」
グルメ、レジャー、企業、音楽、医療、エンタメ、地方行政。大から小まで。
「す、皇…これさ」
「あ!これ、笹岡さんに全部あげますから」
「はい?」
神威は身体ごと笹岡に向き合う。
「笹岡さんは私の上司です」
「そうですね」
「なので、全部どうぞ」
「…おお………お?」
戸惑う笹岡なんて初めて見た。田中と見取り図は顔を見合わせ笑った。
「お仕事は沢山あります。でも、舞台を中心にとお聞きしたので、お二人や笹岡さんや田中さんが良いと思ったものだけを受けてください」
「…これ、変な話し全部受けてもええってこと?」
「あ、はい!どうぞ。また仕事は来ますから」
笹岡はじっとそれを見て一つ気になった事を言ってみた。
「これ…漏れたらどうしてたんだ」
「藤山さんに預けてましたよ。部長に持っていくって言っていたので、どなたか受けたと思います。当てはまらない案件は返していただく約束ですけど返ってこなかったので」
「っあー…はい。あったなそんなこと」
何で?と聞いても教えてくれなかった仕事はこれだったのか。
「じゃあ、精査して…やってみますかー」
これは年度始めから忙しいなと苦笑して、よろしくお願いいたしますと微笑む神威を恐ろしい奴だと笹岡は思ったのだった。
次にあった時、神威の黒いバックパックはドラえもんのポケットよろしく何でも出てくる便利バックに変わっていた。
おはようございますと喫煙所にやってきた神威に、盛山はあ!と声を上げた。
「皇ー、俺のたばこある?」
「ありますよ。…こちらですよね。ごみもらいます」
ごみと引き換えに新品のたばこを渡すと、屋敷にも挨拶をして楽屋にいますからと出ていった。
「…マネージャーさん変わったんすか?」
「おお。皇神威さん。若手に付くの初めてなんやと」
「…同年代位っすよね?」
「二個下。初日に仕事の案件バカ程持ってきてな、どれが良いですかって。びびったで、マジで!」
「えーめっちゃええやないですかー」
「まあなー。…やけど、あれ、絶対男おらんで。でかすぎやもん」
田中との対比がえぐいと話すと俺と変わらんかったからなーと苦笑する。
「あんた、嫌われますよ。そう言うこと言ってると」
「えー。ええやん。…田中のがちっさくて可愛いでー若いしな」
「うっわ。最悪やなー。もうそれおっさんですからね」
下世話な話しかしない。そんな話で時間までぐだぐだしていると田中が大荷物で前をふらふらと歩いていた。
「ほらな。小動物みたいやで?」
言わんとしていることは分かる。
にしても足下が見えていないから危ない。手助けしようかと思っていると、田中が躓いて足をもつらせた。
あ、転ぶ!そう思った時、田中の前に神威がやってきてさっとその身体を支えた。
「っ、大丈夫ですか?」
「すみません」
「田中さん言ってください。女の子がこんなに持たなくて良いから」
ひょいひょいと田中の手から大きな荷物を取り上げると、痛いところはないか怪我していないか念入りに聞く。
「お、重くないですか?」
「ん?大丈夫だよ」
行こうかと微笑む神威。
漫劇のソファーの組み立ての時も重い物ばかり持っていた。怪我をしないか周りに気を配って、ニコニコ若手のすることを見ている。
テレビ局での楽屋挨拶も丁寧で、口煩いと評判の師匠ですら神威には素行を崩す。なかなか強烈な突っ込みも、勘弁してくださいと言えば相手はあははと嬉しそうに笑うから唖然とした。手土産は熟知していて、誰に何を渡しても喜ばれていた。
「皇は魔法使いか」
「ん?…魔法は使えませんが」
「…この前あの師匠のとこ行ったら偉いキレられたで俺ら」
「あー…何時に行かれました?」
「え?」
「あの方はお昼前に行くと機嫌が悪いですから。昼前しか挨拶の時間がなければ本番直前に軽く挨拶すれば大丈夫ですよ」
「そうなん」
「はい」
神威に言われた順番で楽屋挨拶に行くと、何故か褒められて、少しずつだがテレビの露出が増えていた。えみちゃんねるに呼ばれた時はマジか!と思ったが、楽屋で皇ちゃんやん!と上沼に抱擁されている神威を見てまた唖然とした。上沼にゲストを選ぶ権限はないらしいが、この番組のディレクターには顔を覚えられていて、確かに丁重にきちんと挨拶をしに行ったディレクターだったからなるほどと納得した。偉い人間だけかと思ったが、スタッフには物凄く丁寧にニコニコ接していて、抜かりなさにまた驚く。兎に角気を遣いまくっているがあっけらかんとしているところもあるせいか相手にそんなに気を遣わせていないようでもあった。
「この番組は、いつもよりスタッフさんに気を遣ってください。それで…このディレクターさんもですがこちらの方もお忘れなく」
「…分かったわ」
「前に出すぎると切られます。程よく。…あと…」
ちょいちょいと二人を手招く。
「この番組のメイクさんとフロアディレクター出来てますから、あんまり関わらないでくださいね」
「っ!何で知ってんねん」
「藤山さんから言われてるんです。ダブル不倫三年目」
「おー……はい」
良くやりますよねーと笑う神威。
「皇さんさ、会社でええなーって思う男の社員さんおらんの?」
「いないですね。会社の人は仕事をする人ですし。…ああ!この業界の人は等しくそうですよ。誰にもなにも思いません」
わかっているぞと不敵に笑う神威。
「と、言いますと」
神威は苦笑した。でかいだの男はいないだろうだの女としてとかそんなこと言われているのは分かっている。親切なのも下心があるからなのではと言われているのも知っている。
「裏で何を言われても構いませんが、私は仕事をしているだけなので、やりづらいのは勘弁してください。…ね?」
全部知ってますよと盛山を見て言うから目を見開いた。
「おっしゃる通り、でかいし、お付き合いをしている方はおりませんし、同性愛者でもありません。そう言う目で、仕事上の方を見たこともありません。自分を優しいと思ったことはありませんが、そう言う風な行動をするのは仕事を円滑にするためです。…私はただ、いただいている給料分働いているだけです」
「すみませんでした」
「いえ。確かに理由もなく親切にされるのは気味が悪いかもしれませんね。まあ、そう言うことなので、大丈夫ですよ」
やっぱりニコニコ笑う。同期は皆東京や他の社屋にいるらしく大阪には神威だけらしい。それでもその同期より歳が上だから、親密になることはあまりないと言う。
「休みの日何してんの」
「家で寝てます。疲れるので…」
「っ!?おまっ…お年頃の女性が1日家におんのか?一人やろそれ」
「はい。…仕事で沢山人と会うので休日は家にいたいです…」
酒を飲んで録画を観て本読んで寝ると言うと絶望的な眼差しを盛山が向ける。
「皇さんとご飯行きたい時は、仕事の日に誘わないと絶対無理なんですよ」
クスクス笑う田中に、神威は面目ないと苦笑する。後輩と上司からは慕われ、優しい仕事の出来る先輩そのものだがガツガツした所はないし、出世欲もないらしい。
「あ!…皇さん、今度YouTubeの撮影でバーベキューするんですけど、手伝ってくれませんか?」
「良いよ!…大掛かりなの?」
「あのー…野菜切ったり…買い出し…」
自炊は滅多にしない田中と若手の男子達ばかりのYouTube班なのだ。
「あー…うん。分かった!大丈夫だよ」
良かったとあからさまにほっとする田中。
「なんや、田中ちゃんは料理あかんのか」
「だめですー」
「皇さんは得意なん?」
「人並みですけど…」
「そう言う人って上手いんですよ!」
バーベキューでも神威は大いに役に立った。したことがないと言うが、準備から何まで教わりながらしっかり働く。年下に聞くのは嫌ではないらしい。ケースごと買った大量の酒を肩にかついで、更に食材の入った袋を持って平然としていた時は、思わず男子が拍手した。黒のフィッシングジャンパーに黒のスウェット姿がやたら似合って、男前やんと見取り図にからかわれると苦笑する。撮影班の西口とも仲良くしてくれて、女性だけできゃっきゃしている時も優しそうだった。
ところが唯一顔を歪めたのは、バーベキューと撮影がノッた中盤だ。神威にとっては奇行でドン引きする。多和田を押し倒し腰を振る盛山にマスクをしているから良かったが唖然とした。それを周りが笑っている事が信じられないが。やることなすこと学生の域を越えていない。だが面白いのは彼らがプロの漫才師だからなのだろう。理解できない気もする。幼いなー。
余り笑えないから、流し場で追加の野菜を切っていると盛山がやって来た。
「皇、上手いなぁ」
「そうですか?…あ、これどうぞ」
野菜を手渡すと俺嫌いやねんと言われる。
「普段なに食べてるんです?」
「野菜以外。とうもろこしは好き」
「とうもろこしって野菜ですかね?」
「野菜やろー」
へらへら笑いながらおおきにと言って輪の中に戻っていくその背中を見ながら、だから不健康そうなのかと納得した。
自炊はそれなりにする。身体には気を遣って野菜多めに接種している神威にすれば、同年代の激務の男の乱れた食生活を考えてぞっとした。おまけに盛山は早食いだ。神威も人の事は言えないが、ほぼ丸飲みする盛山には驚いたものだ。
「皇……胃が痛い…」
「っ!胃薬飲みますか?」
盛山用のポーチから胃薬を取り出し水と共に手渡した。
「おおきに…」
食生活の改善を申し立てたいがそれは余計なことだろうか。
「消化の良いものを召し上がってください。ヨーグルトとか、お豆腐とか…」
「おお…」
舞台に出ていく背中を見送りながら本当に大丈夫なのだろうかと心配した。
「…どうした、皇…顔が険しい」
デスクで仕事を片付けていると隣の席の笹岡が苦笑して声を掛けた。盛山の事を話すと、あーと苦笑する。
「田中から言われた?盛山繊細だって」
「聞きました」
「多分、あいつ吐いてる。癖になってる」
「っ!?…び、病院行かせないんですか?」
「行かせた。ストレスだって…」
そうだったのか。神威はこれまでの盛山の行動を思い返し頷く。トイレが長いと思ったり、飲みすぎて二日酔いで舞台に来ては伸びている姿。やたらエゴサーチしたり、収録やロケの反省が長いのは気にしているからか。
胃だって何だって悪くなる。
「盛山さん」
「ん?」
「あの…愚痴や不安があるなら、お話聞きますけど…」
「ありがとう」
「…信用なりませんか?」
「は?…そう言う訳やないけど…」
「これでも若い子よりは修羅場は抜けてきてますからね。まあまあ、そのエゴサーチ中の画面見せてくださいよ」
「っ!なんで分かるん」
「盛山さん、エゴサする時背中丸まってるんで」
ほれほれと手をくいくい動かすから、ため息と共に盛山は大人しく携帯を神威に手渡す。
神威はそれを指で画面を動かしながら次々と読み進めた。一、視聴者の意見だ。過激なものだが的外れも良いところだ。
「…ご感想は?」
「そうですね。くそ程の役にも立たない、極めて凡人の意見ですね」
「…へ?」
「バラエティ、テレビ、エンタメの類いを享受するだけの人間の意見です」
神威は自分の社用の携帯に来た、番組関係者や案件の依頼主からのメールを盛山に見せた。
「こちらは、あなたにお金を払った方々の意見です。盛山さんはこちらだけを見ていれば良いと私は思います」
好意的なものしかない。
「…皇、これギャラ載ってんで?」
「あ!だめ!そこ見ない!」
慌てて手で隠すから盛山は笑ってしまった。
「ありがとな」
「大衆は愚かであると肝に銘じてください。多くの人間は刺激的な他者の意見に惑わされますから。それでも、辛くなった時はお話聞きますよ」
「マネージャーやから?」
「そうなんですけど。見取り図の漫才見た時、凄く面白いなーと思ったので。盛山さんのワードセンスは独特で面白いです。良く考えられますね」
「おおきに」
「噛まないで言えると尚良いですね。そうしたら面白い言葉が分かるので」
「それなー!」
あははと笑うから少しは落ち着いたのかそう見せているだけなのか。神威は若手とは大変な人種だと思ったのだった。
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