短編

□むげつ/有月
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「わりと広いですから、ちょっと入るくらいにしときましょう」
 小さく頷いて、私達は田安門に足を踏み入れた。
二人して自然と足早になる。
あの日はお互い相手に悟られないように、それでもせかされるように何かを探していた。
今日の私は知らん顔で、慎次君の後をついていく。

二、三人とすれ違って人の気配が消えた頃、私達はようやく大きな平らな岩に腰かけた。
スカートの下の太腿がひやりとする感触に、わかっていても思わず身がすくんでしまう。
慎次君の腕がおそるおそる私の背中に回される。
あの日のように慎次君の胸にしがみつくと、きつく抱きしめられた。
慎次君の緊張した鼓動につられているのは、どちらの私なのだろうか。
慎次君の顔が近付いてきて、何度かキスしているうちに私は岩に完全に背を預けた。
夜空にまぎれてしまいそうなインディゴブルーのコートが、優しく私を包んで岩から守ってくれるのを背中で感じた。

慎次君の唇はじゃれつくように何度も降ってくる。
胸の痛みが止まらなかった。
ずいぶんと久しぶりに味わう痛みだ。
些細なことで慎次君と別れてから五年間、私は何度も恋をして、そのうちの何回かは恋人もできたけれど、こんなにも苦しくて悲しい気持ちになったことはなかった。
慎次君が一番、好きだった。

泣き出しそうになるのを堪えて、私は慎次君の髪に指を差し入れ、そっと背中を撫でた。
慎次君は夢中になって私をいつくしんでいる。
唇は次第に、首筋や胸元にも降りてきていた。
私の髪を撫でている手は相変わらず冷たいのに、その口づけは温かかった。
私はこの日初めて、冷たい手をした慎次君の唇と体の温もりを知ったのだ。

閉じていた目を開けて、彼の肩越しに紺色がかった真っ暗な空を眺めた。
この日は確か真っ白な三日月が出ていて、月に見られている、そう思うと何ともいえない不思議な気分になって……

私の体は再び凍りついた。
月が、丸いのだ。
橙に近いような黄色いまん丸の目で、私を見ている。

慎次君の体はいつしか、ぬくもりを失っていた。
私を撫でる彼の手にそっと指で触れてみた。
背中の下の岩のような冷たさすら、彼の手からは失われていた。
月はぴくりとも動かずそこにいる。
ああ、待って、と思った時にはもう遅く、慎次君の体の重みすら私の上から消えてしまい、気がつくと私は家の玄関の前で馬鹿みたいに月を見上げていた。
丸い玄関灯がオレンジ色の明かりでぼんやりと私を見下ろしている。
その光が憎たらしくて、私は泣いた。
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