短編

□むげつ/有月
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駅から徒歩十五分の家まで、目指さなくても慣れた足が勝手に運んでくれる。
駅で降りるのだって電車に乗るのだって、毎日似たり寄ったりの時間帯に同じルートの往復じゃ帰巣本能なんてなくても自然に身についてしまう。

冷たい風に煽られたコートの裾が足にぶつかってばさばさいう。
目を落として舌打ちし、追い越していった自転車に振り返ってじろじろ見られる。
一番下のボタンがひとつ、取れていた。
大学時代、就活を見越してちょっと奮発した元お気に入りコート。
最近は袖の内側もほつれ始めてそろそろ限界のご様子、ボーナス出たらブーツと一緒に新調しなきゃ。
使う暇ないくらい忙しいはずなのに、どうして通帳の中身は一向に貯まらないんだろう。

だだっ広い駅前のターミナルが真っ暗な夜空に向かって開けているけれど、見上げた空に月は見えない。
駅前にひとつだけぽつんと立っているマンションのバックに、ぼんやりと明るく広がる光だけが見えている。
丸か、あるいは丸に近いくらいに膨らんでいるみたいだ。
曇っているのではなくて、靄がかかっていた。
よく見るとタイル張りの地面が濡れていて、私が着くまでに雨が降って止んだらしい。
街灯の明かりも家並みの窓も丸くぼやけていた。
振り返った駅の反対側、市民公園の森も絵の中のように輪郭がぼかされていて、目の前の帰路もどこか知らない場所への一本道のように思えた。

そうして少しうきうきしてきた私は、一瞬にして凍りついた。
右手にぞっとするほど冷たいものが触れたのだ。
何だろう、怖い、だけどなんだか知っているような気がする、思い切って隣を見るとそこにはとても懐かしい人が立っていた。
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