文【ささやこ】

□君のため
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君のためなら死ねる、なんて言葉は戯言だ。
動物はあらゆる場面において、本能的に自分の命を最優先する。
理性と感情ある人間だからこそ生まれる、自己犠牲愛なんて、まやかしだ。

いつかは、己の醜さに気付いて、泥水を舐める羽目になる。


「どうかしたんですか、笹塚さん?」
もう何箱めか解らない土下座饅頭を頬張りながら、巷で噂の女子高生探偵――桂木弥子は、こちらを見上げた。
俺はソファに座って、煙草をふかして。
彼女はフローリングの床に座り込んで、店を広げて。
彼女がリクエストした、寒気がするような恋愛物のDVDを観ているところだ。
「いや、なんでもないよ」
答えた声は、いつものように抑揚がない。
感情があまり表に出ない性質の俺は、この性格とも相まってかなり付き合いにくい人種だと思うが、彼女はそんな事は気にならないらしい。
「もしかして、DVDつまらないですか?」
はっきり答えるなら、YESだ。
しかし、それを遠回しに言う術は知らないから、思わず無言になってしまう。

彼女はそれだけで察するというのに。

「ん〜、ですよねぇ。私も叶絵に薦められたから観てみたんですけど、ちょっと趣味に合わないかなあ」
そりゃ、君は花より団子だからな。
言葉にせずに見下ろせば、弥子ちゃんは困ったように頬を掻いた。

それにしても。
毎日毎日――決して誇張などではなく――山のように食物を摂取している彼女は、何故太らないのだろう。
俺が考えたところで仕方がない事は解っているが、ふとした瞬間、猛烈に気になる時がある。
「どうする?最後まで観る?あと20分ぐらいだろ」
「ですね。折角借りてきたし、最後まで観ます。それに、叶絵に感想訊かれたら困るし」
「そう、んじゃ最後まで観ようか。クライマックスだけ観ないなんて、今までの時間完全に無駄にするからな」
これは本心だ。
いくら彼女のリクエストだからとはいえ、よく80分も大人しく観ていたと思う。
何しろ、それぐらい鳥肌物の映画だったのだ。


最後まで観終えた彼女は、何故か眉間に皺を寄せている。
「弥子ちゃん?」
どうしたのかと問おうとしたところで、彼女は唐突に立ち上がった。
トイレか?
思う間もなく素早く振り返ると、やけに真剣な表情で口を開いた。

なんだ?

「笹塚さん。納得いきません」
「唐突だな、弥子ちゃん」
「だって、すぐに感想吐き出さないと忘れちゃうじゃないですか」
「ああ、それで?何が納得いかないんだ?」
短くなった煙草を灰皿に押し付けて、俺は膝の上で指を組む。
いつもとは逆、彼女を見上げながら続きを待った。
「笹塚さんは誰かのために死ねるって思った事あります?」
「…ないよ」

自分のために死にたいと思った事は、両手両足の指ぐらいじゃ足りないが。

「ですよね。私もないです」
妙に清々しく言い切った彼女は、良いですか?と問い掛けながら、俺の隣を指差す。
ちょっと脇に寄ってスペースを空けてやると、嬉しそうに笑った。
キシ、とソファが沈む。
すると、彼女は珍しく甘えるように俺の肩に頭を預けた。
「相手が大切だと思ったら、尚の事、死ねるとか言わないですよね」
「ああ…」
親しい人間の死を知っているからこそ、口には出せない言葉だ。

特に、身内をワケの解らない殺人鬼に殺された人間には。

そこまで考えた瞬間、全身の毛が逆立つような、どす黒い感情が胎の底から湧き上がって来た。
反射的に握り締めた拳を見れば、ブルブルと震えている。
馬鹿か、俺は。
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