文【ささやこ】

□倖
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駄目だよ、と彼が呟く。


なにがだめなのかわからなくて、わたしはくびをかしげて。




振り解かれた指先に、確かにジン、と熱を感じた。
アスファルトの上に落ちた髪留め。
鳴り続ける携帯。
長くて器用そうな指先が、髪を掠めて。
そのまま頭を引き寄せられた。

ネウロだったらこのまま頭突きに突入だ、なんて馬鹿げた事を考えてる余裕が、まだこの時の私にはあった。

「笹塚さ…」
呼びかけた声が、唇に吸い込まれて、次に感じるのは眩暈にも似た陶酔感。
私って変なのかも。
ひとから見ればたかが、キスひとつくらいで。
目の奥が痛くて、喉の奥が痺れて、指先に力が入らない。

ジンジンした熱が、指から手首へ、肘から肩、首、頭に上って。
全身に回って。

「ん…んん、…っあ」
瞼を持ち上げれば、気の抜けた声が洩れて。
ぼやけた視界に映ったのは、濡れた唇をぺろりと舐めた、赤い舌。
一瞬だけ、彼は何か言いたそうにして、でも何も言わずに抱き締められた。
ちょっと上がってしまった息の下、彼の肩先に額を預けたまんまで、吐息混じりの告白をする。

「好き、です」

びくりと、彼の身体が揺れた。
どうしてそういう反応になるのかがよく解らない。
まるで驚いたみたいな反応だった、なんて、溶けかけてる思考の片隅で考えて、うまく力の入らない腕を持ち上げる。
ぎゅう、としがみついた背中は広くて。
折れそうなくらい強く抱き締められてるのに、なんだか心地良くて。

「弥子ちゃん」

耳朶を噛むようにして吹き込まれた声には、確かに熱が篭っているのに。
不意に身体を離した彼は、困ったような表情で一度、私を見た。
そして、視線を逸らしながら呟いた。

「駄目だよ」

何が駄目なのか解らなくて、私は首を傾げて。
思わず指先を伸ばして、彼の頬に触れた。
「何が、駄目なんですか笹塚さん」
問い掛ける声は呆れるほど震えていた。

だって、好きだって言われて、キスされて、嫌じゃなくて、思い返せば私も好きで。

駄目だって言われる理由なんて思い当たらないのに。
なのにそれなのに、どうして駄目なんて言うんだろう。
一体何が駄目なんだろう。


その時、鳴り響いてた携帯の着信音がふつりと切れた。
辺りに落ちたのは、静寂。
そして私は唐突に気付いた。

だらしない結び目のネクタイをぐいっと引っ張って、顰めっ面する笹塚さんなんて完璧シカトで。
噛み付くみたいにその唇にキスを贈る。
がち、と歯が鳴って、妙に笑い出したい心境だったけど、どうにか思い止まった。
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