文【ささやこ2】

□…なんて、嘘。
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別れたいと言った私の言葉をするりと飲み込んで、笹塚さんは、いつもの表情で「わかった」なんて呟いて。
最後の煙を吐き出して、ほんの少しだけ…笑った。


「お疲れ様です、桂木探偵」
「筑紫、そんなのに一々声をかけるな!!」
聞き慣れた声に振り返ると、警視庁の凸凹コンビ。
「あ、笛吹さん筑紫さん…お疲れ様です」
笑って挨拶したら、笛吹さんは物凄く不可解そうな表情で私を睨んだ。
「な…なんですか?」
怯みながらも問掛けたら、彼は舌打ちしながら踵を返す。
筑紫さんがそれをフォローするように、すっと前に出た。
「こういう質問をして良いのか悩むところなのですが…」
失礼ですが、と筑紫さんは続けた。

――あの人と、何かありましたか?

個人名を伏せられて、一瞬誰の事か解らなかった。
笛吹さん…?
違う。
「えと…、別れたんです」
3日前に。
呟いたら、彼は珍しく瞳を見開いて、そうでしたか…と言い難そうに謝罪してくれた。
別に謝られるような事じゃなかったので、愛想笑いを浮かべて手を振ったら、どこか表現に困る表情で。
頭を下げて笛吹さんの後を追いかけて行った。

「良いのか、ヤコ」
「何が?」
ふらりとこちらにやってきたネウロが、私を見下ろしながら目を細めた。
「あの刑事の事だ」
ざくざく、容赦なく、ネウロは私の心臓をえぐる。
「ネウロには関係ないでしょ」
棘のある口調で返したら、爽やかな笑顔でいきなり関節技を極められた。
「ぃいい痛い痛い、ちょっとネウロ!!折れるってば」
「おや、笹塚刑事」
妙に明るい声で届いたその名前に、思わず肩が震える。
涙目でどうにか首だけ動かしたら、笹塚さんが呆れたような顔でこちらを見ていた。
「なにしてんの」
「いえ、先生が関節技を極められたら良い推理が出来そうな気がすると仰る物ですから。こうして渋々おかけしている次第です」
そんな爽やかに言われても普通は信じないと思う。
でも、笹塚さんは、ふーん、と納得したように洩らすから。
「いやいや、そこ納得するところじゃないです笹塚さん!!…っ痛いってば!!」
最後はネウロに向けて叫んだら、ヤツはあっさり技を外した。
途端に足元がふらついて、多分無意識に手が出たんだろう笹塚さんが支えてくれた。

たった、3日。
それなのに、鼻孔を擽る煙草の香りが懐かしくて。
不意に泣き出しそうになって、ぐっと唇を噛んだ。

「大丈夫?弥子ちゃん」
「だ、いじょうぶ、です。ありがとうございます、笹塚さ…」
笑って顔を上げようとして、失敗した。
うっかり見上げた先に大好きな人の顔を見つけて、言葉に詰まってしまう。

泣くな。
泣いちゃ駄目だ。

だって、バカな事をしたのは私なんだから。
「弥子ちゃん?」
どこまでも優しいのはきっと、付き合う前も、付き合っている間も、それから別れた今でさえも。
彼の中の私のポジションが変わらないからだ。


わたしはこんなにすきなのに。


唇が震えるのを、歯を立てて堪えて。
絶対変に思われるって解ってるのに、私は思わず走り出していた。




「…っ、は、はぁっ…」
脈拍数が急上昇して、まるで耳元で鳴ってるみたいに五月蝿い心臓。
通りから中へ入った路地の壁に手をついて、必死で息を整える。
でも、嗚咽は止まらなかった。
後から後から溢れてくる涙を乱暴に袖口で拭って、頑張って深呼吸する。
不意にさっきの筑紫さんの表情を思い出して、そうか、と気付く。
あれは、痛々しいって感じの顔だ。

「弥子ちゃん」

ざり、と靴底が小石を食む音がして、それから私の名前。
反射で振り返ったら、笹塚さんは驚いたような顔をしていた。
「なんで泣いてんの」
言いながら、近寄ってくるから一歩下がる。
でも、笹塚さんは全然気にした様子もなくそのままこちらへ進んでくる。
距離が近付いて、ぶるっと身体が震えた。
「な、なんでも、ないですからっ…放っといてくださ…」
「なんでもないわけないだろ」
首を振って、身体全部で拒否してるのに、笹塚さんはそんなのどうでもいいらしかった。
それが、無性に悲しさを煽って。

「やっ…」

抱き込まれた腕の中、何故か笹塚さんは安心したような深い溜息を吐き出して。
片手で頭を撫でてくれる。
しがみつきたいのに、どうする事も出来なくて。
両腕を下ろしたまま、不意打ちのように与えられた温もりに鼓動が速まる。
「そんなに痛かった?」
「ち、が…」
なんで関節技極められたくらいでこんなに大泣きしなきゃいけないんですか!と、叫びそうなのを堪えた。
「…笹塚さん、なんで…そんなに、優しいんですか…っ」
代わりに、ずっと言いたかった事を口にする。
「なんでって…好きな子が泣いてたら、普通こうすると思うけど」
「うそ!」
斬り捨てるみたいに叫んだら、笹塚さんは心外そうな顔で私を見下ろしていた。
「なんでわざわざ嘘つく必要があんの。迷惑ならもう言わねーけど」
「違いますッ!!じゃあ、じゃあ、どうして…っ」

なんで、も、どうして、も。
何回だって口にする。
どうしたって知りたいから。

「うん、じゃあ、弥子ちゃんはなんで別れたいって言ったの」
「だって、笹塚さんずっと優しいから…っ、付き合う前も付き合ってる時も、ずっと、優しいから…っ」
「冷たい方が良かった?」
「……っ」
ふるふると首を振って、違うと意思表示する。
そういうのじゃなくて。
ただ。
「だって、彼女でも彼女じゃなくても、同じ優しさって…そんなの、付き合ってないのと同じなんじゃないですか…?」
みっともなく震えた声は、まるで自分の物ではないみたいで、なんだか可笑しかった。
ようやく持ち上がった手が、笹塚さんの胸元を掴んで、見上げた先では笹塚さんが驚いたような顔をしていた。
「あー…うん、何を言いたいかは解った…けど、弥子ちゃん。俺の言った事聞いてた?」
意味が解らなくて瞬きしてたら、笹塚さんは困ったように口許を歪めて、ひとつ息を吐き出した。
「だから、俺は弥子ちゃんが好きだからこんななんだけどな…。付き合う前も、付き合ってる時も、今も、俺はずっと弥子ちゃんが好きだから変わらないだけなんだけど」
「今も?」
鸚鵡返しで尋ねたら、「今も」と、同じ言葉で返事をくれる。
今でも好き?
今も、好き?
「どうでもよかったかからじゃなくて?」
「どうでもいい相手に優しくはしないだろ」
ふと苦笑して、彼はそっとこめかみにキスをくれる。
「だって、別れたいって言った時もなんにも言わなかった…」
「弥子ちゃんが別れたいって言うんなら、俺に引き止める権利は無いだろ?別れた方が幸せだと思ってるんなら尚更」
そんなの詭弁だって思うけれど。
でも、そんな風に彼に選択をさせたのは紛れもなく私で。

「っ…ごめんなさい…」
涙と一緒に素直に零れた言葉に、彼はまた安心したように吐息した。
「なら、別れ話はナシの方向で?」
「……笹塚さんが許してくれるなら」
酷い事をしたのは私の方なのに、まるで捨てられる子犬みたいな気分で見上げたら、笹塚さんは穏やかに笑っていた。

「だから…怒ってないよ」

最後の言葉に安心しきって、ぎゅうっと抱きついたら、笹塚さんも同じように抱き締めてくれた。
ごめんなさい、別れたいなんて、嘘です。
ほんとはずっとずっと傍に居たいんです。
ずっとずっと、好きな人と一緒に居たいんです。




ふたりして現場に戻ったら、清々しい笑顔を浮かべたネウロに散々嫌味を言われた。
笛吹さんの態度は気持ち悪いほど軟化していて、こっそり近付いてきた筑紫さんに、
「良かったですね」
と言われて、思わず笑ってしまった。
笹塚さんは相変わらず無表情だったけれど、遠くの方で石垣さんの絶叫が聞こえたから多分いつも通りなんだと思う。
そのいつも通りの幸せに免じて…二度目の関節技は許してあげる事にした。(心の中で)


***イイワケ
なんだろ。
雨だったのでこんなハナシになりました(え)
天気に左右される内容ってどうなんですか私。
取り敢えず、笹塚さんは一途だなぁということで(はい?)

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