短編集

□一周年記念いただき物
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週に一度、隣町まで出掛ける。
日が西に傾いた頃に帰ってくる。

すると、聞こえるのだ。

『仄暮旋律』

建物はオレンジに染まり、風は少々冷たくなってきている。
それでも以前よりは日が長くなったものだ。
橙から深い青のグラデーションの空を眺め、そんなことを思う。
隣町に行くようになったのは雪が降らなくなってからだったから、もうじき半年になる。
季節は夏へと移り変わっている。
そんな雰囲気は、どこか心を弾ませた。
足取りは軽く、石畳の道を歩けば、浮かれた足音が鳴る。
そのまま角を曲がろうとしたところで、ぴたりと足を止めた。

(嗚呼、あの人ね)

今度はそっと歩いて、角を曲がる。
その先に広がる光景は、自分が予想していた通りのものであった。

静かな町の中でも、特に寂び返った街角で、一人の少年がアコーディオンを弾いている。
人通りが少ない場所故、観客はいない。通りかかった人も、ほんの少し歩く速度を緩めて、そのまま通り過ぎるだけだ。
それでも少年は演奏を続ける。誰かが聴いていることなど、彼にとって重要なことではないのだろう。
初めて見かけた時から、ずっと変わらずに彼は弾き続けている。

自分が隣町に通うようになってから、二月程経った頃のことだった。
いつもの帰り道を歩いていると、アコーディオンの音が聞こえてきた。
その音の鳴る方へ吸い寄せられるように近付くと、シルクハットを目深に被った少年がいたのである。
その時はちらりと彼の方に目をやって、通り過ぎた。
本当は拍手の1つでも贈りたかったけれど、自分の傍に誰もいなかったので、何だか恥ずかしさがあった。
翌日、同じ時刻にその場所へ行ってみたが、アコーディオンの彼はおらず、もう会えないのかと少々残念に思った。
再会したのは初めて会ってから1週間後。また隣町からの帰路のことであった。
物悲しげなメロディーが耳に入り、もしやと思った私は早歩きで彼と出会った場所へ向かった。
すると、思った通り、彼はいた。
夕暮れで橙色に染まる街角。そこでぽつりと一人、長い影を伸ばして演奏していた。
私は彼に歩み寄り、その演奏に聴き入った。
寂のある音色は、暮れ行く時間のようで、なんだか強く心を惹く。
曲が終わると、彼は一礼した。
私は、感動を小さな拍手で伝え、彼が顔を上げる前にその場から立ち去った。

それから、毎週彼の演奏を聴くのがもう1つの習慣となった。
私はまだ、彼の名前も何も知らない。視線を交わし、互いを認識することすら、まだ無い。
彼は、きっと私のことをわざわざ覚えてなどいないだろう。
毎週同じ曜日にやってくるということは、他の曜日には別の街角で演奏をしているのかもしれない。その内の一つの町、そこに住んでいる一人の人間を記憶しているだろうか。
本音を言えば、私は彼と知り合いになりたいと思っている。
名前は何というのか。何処に住んでいるのか。何故アコーディオンを弾いているのか。
訊きたいことがたくさんあるのだ。
きっかけはあるのかもしれないが、未だに踏み出せないでいた。

夕方の空気。橙の世界。陰る時間。哀愁を帯びた旋律。
全てが融け合う街角で、石畳の道には影2つ。
今日も観客は1人だけ。
少年は一心にアコーディオンを弾く。

演奏が終わり、いつものように一礼。そして私が贈る拍手。
夏が近いせいだろうか。いつもより大きく、長い拍手を彼へ。
少年が顔を上げる。
その瞬間、視線が交わった。
深緑の瞳が自分を映し出している。
初めて、私の存在が彼に認識されたのだ。
胸が詰まるような感覚に襲われた。鼓動は早鐘のように打つ。
少年は数秒間私を見つめた後、ふわりと微笑んだ。


『また、貴女ですね』


少しだけ細められた瞳は、そう語っていた。


●あとがき
約半年ぶりにやってきた皐月千里です。
1周年おめでとうございます! な気持ちを込めて、
(名前は一切出ていないけど)セシル夢を海斗へ贈ります。あとサイトに来ている皆さんにも。
では、これからもサイト運営頑張ってください(−▽−)ノシ


+++++++++++
千里からセシル夢もらっちまったぜ!
やばいやばい、文才ありすぎて怖い(笑)
こういう文章を書く人にあこがれます。
千里んとこの一周年記念何もあげてないのに優しい・・
本当にありがとうございました!!!

空風海斗

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