Novel

□クリティマ
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 綺麗だ、涙が出るくらいに。



「あれ、ティマ寝ちまったのかー」
「あぁ。…何か手伝うことはあるか?」
 静かに、と人差し指を唇に当てるジェスチャーをしながらクリティウスは小声でそう問いかける。薪を抱えたヘルモスは慌てて口を押さえた後、囁くような音量で返した。
「特に無い。材料少ねぇし、簡単なもんだから。あ、テントは?」
「……」
 クリティウスが無言で示した方向に大きめのそれを認めると、火にかけていた鍋の元に鼻歌混じりで戻っていく。その姿に彼のマスターが重なって見えて、何だか可笑しかった。
(…平和だな…)
 嘘のように。ほんの数日前まで剣を振るい、その数週間前まで長い眠りについていたこの身だ。深く冷たい時間は「虚無」と言うに相応しく、1万年の月日さえたった数秒のことに思わせる程で、今尚あの大戦の感覚が生々しい事実に驚愕する。
 きっとそれは、すぐそこで不揃いに野菜を刻んでいるヘルモスも、自分に寄りかかって小さな寝息を立てているティマイオスも同じで。
 だからこそ、誰かに勧められた三人揃っての旅行が今こうして実現しているのだと思う。旅とは言っても、はっきりとした目的地や期間があるわけではないし、荷造りも適当で(几帳面な自分でさえそうなのだから残りの二人は言わずもがな)、挙句の果てには移動手段が自力飛行である。だが、何もかもが行き当たりばったりの日々は新鮮かつ刺激的で、凍てついた精神を少しずつだが融解させているのは確かだった。
「……ん…」
 身じろいだ痩躯をそっと抱き寄せても、寝息は変わらず一定。海を渡ったのが疲れたのだろう、今日は今までで一番長く飛んだから。



 元々童顔のティマイオスは、強い光を宿した青眼を閉じてしまうとより幼く頼りない印象になる(本人に言うと拗ねそうだが)。皮肉にも、右目を塞ぐ大きな傷痕だけが、伝説と謳われる騎士としての彼の勇姿を思い起こさせる要因であり、クリティウスにとって今現在の実感の伴わない日常の中唯一「現実」を感じるものでもあった。
 目に見えない傷を厄介だと言うが、目に見えてしかも治ることのない傷ほど残酷なものは無いとも思う。それを視認する度に苦い記憶が蘇り、自責の念に駆られるのだから。自分は何一つ守れなかった、彼も、彼の笑顔も。薄れゆく意識の最中、呪ったのはあの男ではなくむしろ自身だったかもしれない。いっそこの心臓を貫けば良かったのだ、あの剣は。何度もそう考えた。
「あと30分くらいでできる」
 すっと差し出された毛布を受け取りティマイオスごと包まった。ヘルモスが「ずりぃ」と苦笑しながら反対側に寝転がる。
「お、日が沈むぜ」
「そのようだな」
「起こすか?ティマ見たがってただろ、この丘から」
 太陽が染めた赤い空の端を、夜の闇が侵食し始めていた。退場、しかしながら追い立てられ逃げる風でなく、悠然と舞台を下りる様子がどこか荘厳で、息すら止めて地平線上の交代劇に見入る。
「……ここで二泊しても構わんだろう」
 思い出したように返したのはそんな本音。ヘルモスが眼下で噴き出した。
「甘やかし過ぎじゃね?」
「お前には言われたくない」
「はは、良い勝負ってとこか」
 つられて、クリティウスもふっと微笑む。
 戦火の中募るティマイオスへの想いに、クリティウス本人よりも先に気付いたのはこの親友だった。何よりも重んじる三人の「友情」を確実に変形させる事態、それを承知の上でヘルモスは邪魔するでもなく(かといって応援したわけでもなかったが)、たった一言呟いたのだ。
「…守るだけが『愛』じゃねぇよ、実際」
 それを理解するには当時の自分は若くて盲目的で、種類も違えば比べられるものでも無いけれど、今考えると想いの深さでは負けていたような気がする。最近になってやっとその心情が分かったものの、それでもふとした瞬間に唇を噛み締めている己が少々情けない。
「この傷は、守った証なんだ」
 1万年前からの戦いに終止符を打ったあの日、鎧を脱いだティマイオスはバルコニーから夕日を見つめながら笑った。世界は未来に繋がっていた、それを心底喜んで。
「オレが守りたかった空はこうやってちゃんとある。……仲間もほら、ここに」
 最終的にはマスターたちのおかげだけどな、そう付け足して頬を掻く彼が可愛らしく、そして眩しく感じた。
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