戦国短編

□キスしそうになった
1ページ/1ページ



「……まだ起きておられたのか?」


深夜12時を回った夜半過ぎ、トイレに行きたくなり目を覚ました幸村は、リビングでパソコンを構っている人影を見付け目を丸くした

仕事を持ち帰らない主義の彼女が家で仕事をしているのは珍しい。しかもこんな夜遅くまで起きている事に驚いたのだ


「ちょっとね、明日の朝までに先方に送らなきゃいけない書類をやり忘れてた部下が居たみたいで。さっき上司から連絡があったのよ」

「そうでござったか…何か、某に手伝える事は…」


言い掛けてから、ふと幸村は気付く。何でも器用にこなす佐助や政宗と違い、幸村は特に現代の機械に弱かった。それに彼女がやっている仕事はなかなか難しく、手伝える事など何も無いのだ

思わず口を噤んだ幸村を見上げ、彼女は優しく微笑む。何か手伝いたいという幸村の気持ちを、彼女は分かってくれるのだ


「じゃあ、珈琲淹れてくれる?カフェオレ、牛乳いれたやつね」

「はいっ!!かしこまりました!!」


戦国時代からトリップして来てしまったらしい幸村達を居候させてくれている女性は幸村よりも年上で、しかも早くから働いている所為か実年齢よりもずっと大人びている。姉弟と言っても差し支えない年齢差があるが、実際に姉のようだった

若くして部下を持ったからか人の気持ちを汲み取るのが上手く、相手は誉めて伸ばすタイプだ。それも飴と鞭を使い分けているので、幸村は上手く転がされてしまう。勿論彼女にはそんなつもりは無いのだが


空になっていたマグカップを受け取った幸村は喜々としてキッチンへと向かった。コンロや包丁など色々と危険な物が多いからと佐助は幸村が台所に立ち入る事に良い顔をしないが、好奇心旺盛な彼はこうして様々な事をしたいと思う

それに何よりも、彼女の手伝いができる事が嬉しいのだ。身の回りの事は大抵佐助が先回りしてこなしてしまうので、幸村自身が何か仕事をするのが誇らしかった


「幸村、珈琲はスプーン1杯よ。お湯が半分と、牛乳を半分ね」

「はいっ」

「幸村も飲むなら、ホットミルク淹れてね。特別に砂糖入れても良いわ」

「まことにござりますか!?かたじけのうございます!!」


以前同様に珈琲を淹れようとして、濃過ぎてとても飲めない物を作ってしまった事はお互い記憶に新しい。まだ現代に慣れていない幸村は有り得ないミスを時々やらかすが、学習してちゃんと次に生かす事ができるので彼女も注意はしても怒ったりしなかった

お湯は電気ポットで沸かし、ホットミルクはレンジに掛ける。あっと言う間に用意できた2つを持って、幸村はリビングへと戻った


「ありがとう、幸村。それ飲んだら寝なさいね」

「しかし、…」

「あたしも幸村が飲み終わる頃には終わるかな」


にっこりと笑った彼女の横に座り、幸村はそっとパソコンの画面を覗き込む。何度見ても目がチカチカして読みにくいのだが、確かに書類のほとんどが出来上がっているようだった


「ホットミルク、佐助には内緒ね。またオカンが五月蝿いから」

「はい、内緒でござるな」


大の甘党である幸村の砂糖の摂取量を気にしている佐助は、隠れて甘いホットミルクを飲んだと聞いたら当然のように怒るだろう。しかしホットミルク程度では砂糖の量は大した事無いし、身体に害が出るようなものではない。それにこうして秘密を共有できる事が、なんとなく楽しくて仕方が無いのだ


左手でマグカップを持ち、仕上げた書類の最終チェックをする横顔を、そっと盗み見る。仕事に行く時の格好良い彼女も好きなのだが、こういうラフな普段の彼女も幸村は好きだ

そしてそんな姿を見せてくれる事を幸村は嬉しく思う。少し油断したというか、飾らない素の彼女を見られるという事はそれだけ気を許してくれているという事なのだろうか


「…あたしの顔に何かついてる?」

「えっ、あっ、いや…!!」

「ゆきっ…!!」


不意に視線に気付いたのか彼女と目が合った事に赤くなった幸村が慌てて立ち上がろうとして、手にしていたマグカップからホットミルクが零れる。いち早く気付いて止めようとしたが間に合わず、ホットミルクは彼女の右手を濡らした


「も、申し訳ござらん…!!」

「大丈夫よ、もう熱くないし」


幸い冷め始めていたお陰で熱さも感じず、彼女は掛かってしまったホットミルクをペロリと舐め取った

近くに布巾が無かった故の無意識的な行動だったのだが、幸村の心臓を跳ねさせるには十分すぎるものだった

赤く柔らかそうな舌先が、白い肌を舐める様は、実に扇情的だった。その唇に吸い付いたらきっと、砂糖よりも甘いのだろう。濡れた唇が動くだけで鼓動が高鳴り、その艶やかな口元から目が離せなくなってしまった





「……幸村、どうしたの?もしかして掛かっちゃった?」


顔を真っ赤にして硬直していた幸村を不審に思ったのか、気遣うように下から覗き込む。図らずして上目使いになった彼女に、初な幸村は耐え切れなかった


「はっ、破廉恥でござるううぅぅぅ!!!!」


確実に近所迷惑になりそうな雄叫びを上げて、幸村は飛び出した。それは部屋だけではとどまらず、どうやら家も飛び出してしまったようだ

その勢いがあまりにも凄まじかったのでしばらく茫然と呆気に取られていたが、こんな真夜中に幸村が出て行った事に気付き慌てて佐助を起こしに向かうのだった



(キスしそうになった)

「こんな時間に外出するなんて何考えてるのさ!!あの子に迷惑かけて、まったくもう!!」

「す、すまぬ…」

「大体何が破廉恥なの?まさかいかがわしい事してないよね?」

「なっ、何故それを…!!」

「あはー、俺様、優秀な忍よ?旦那の絶叫を聞き逃すわけないでしょ」


この後幸村が笑顔の佐助の尋問に耐えられず、砂糖入りのホットミルクを飲んだ事や、彼女の唇に誘われてあらぬ妄想をしてしまった事まで洗いざらい吐かされたのは言うまでもない


馴れ初め様提出

20120706

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ