Short Novel
□私を嫌いになる方法
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彼はベッドに横たわると、アイマスクで視界を塞がれた。二人の白衣姿の男女がベッドを挟み込む形で彼を見下ろしている。
ミラーガラス越しから事の成り行きを見つめていた私は、隣で同じく彼を見つめる紀子を一瞥した。
「本当に、これで私を忘れてくれるの?」
「うん。でも、良いの? 邦美の事、もう二度と思い出すことないんだよ」
紀子は一度だけ私に顔を向けると、冷めきった私の表情に、すぐ視線を反らした。
「後悔はしない。私と創一は出会わなかった頃に戻るの」
私は怖いくらいに落ち着いていた。今から彼に施す“処置”を瞬きもなしに見つめながら、薄れ行く彼との記憶を思い返していた。
当の前から私たち二人の熱は冷めていたのかも知れない。一緒のアパートに住んでいるのに会話も単語だけが飛び交い、互いが干渉することも無くなった。時が経つに連れて、まるで赤の他人の様な存在になり、過ごした記憶さえ無意味な程に思い出さなくなった。
「何だったんだろうね、私たち」
その問いかけにも、頷くだけで言葉はなかった。
数ヶ月、干渉さえしなかった創一の、最後の言葉をふいに思い出した。彼が“処置”を受けるきっかけとなった言葉。
− お前との記憶さ。正直、邪魔なんだよ…… −
涙も言葉も出なかった。それはお互い様だったから。
ふと意識を戻すと、私はソファに座り頭を抱え込んでいた。なぜか、体が異様にダルく、重い。暫く呆然としていると、先程の白衣の男性が私に近付いて来た。
「治療の方、終わりましたので」
そう言うと白衣の男性は、それ以上何も言わず去って行った。
「邦美、大丈夫?」
去っていく白衣の背中と反対側から掛けられた声に私は振り返った。そこに立っていたのは紀子と……見たことのない男性。私が眉を釣り上げて視線を行き来させていると、紀子が男性を指しながら言った。
「あっ、紹介するね。私の新しい彼氏の中村“創一”さん」
聞き覚えのある名前、立ち姿。でも、はっきりとしない男性に軽く頭を下げた。
「初めまして。田仲邦美さん」
彼も軽く会釈しながら私の名を呼んだ。
「紀子から話は聞いています。今後とも、二人共々宜しくお願いします」
気のせいだろうか。彼が少し微笑んだ気がした。
帰り道、邦美と別れた二人は、上手くいったね、と笑った。
邦美は知らない。“処置”を受けたのは創一ではなく自分だったと言う事を。“処置”改め、催眠治療にて邦美は、創一との冷めきった生活、創一が“処置”を受けた記憶を一時的に植え付けられ、そして徐々に“創一と言う人物と過ごした”記憶を削られたのだった。
「それにしても良かったのかよ。親友のお前まで邦美を騙す様なことして」
「それはお互い様でしょう。私との浮気がバレて、邦美を怒らせて気まずい関係になって焦ってたくせに」
「まぁ、その事すら邦美の記憶にはないだろうから良いけど」
仲良く寄り添う二人の姿。
暫く歩くと、別れ道に差し掛かった。紀子は創一の少し先を走り振り返った。
「それじゃ、アパート探しは明後日で良いよね?」
「ん? あ、ああ」
「聞いてた?」
甘えるように軽く創一に抱きつくと、じゃあね、と紀子は背を向けて去っていった。
紀子が見えなくなると創一はポケットで震える携帯を取りだし通話ボタンを押した。
『これで良いの?』
電話に出るやいなや相手は口を開いた。
「ああ。変な演技させて悪いな、邦美……」
『別に良いんだけどさ。紀子の記憶の中で私と創一が元恋人同士って思われてるのは腑に落ちないけど』
悪戯っぽく笑うと、創一も軽く笑った。
「嫉妬させる方が記憶を書き換えやすい、って先生が言ってたから仕方なかったんだ。邦美には本当に悪いとおもってるよ」
『はい、はい。分かったから。まっ、バレないように頑張りなよ』
創一の言葉を待たずして電話は切れ、規則的な電子音が流れた。携帯を閉じると、創一はゆっくりとほくそ笑みを浮かべた。