Long Novel

□貴女の背中を護る者
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第壱話 【初夏と絃歌】


 暑い。
 蝉時雨が余計に暑さを際立たせる。とは言えど窓など閉めたものなら倒れてしまうこと間違いなし。
 私は机の上に顔を伏せ先生の声を遠くに聞いていた。

− ……え −

 怠さは増すばかり。ステンレスの筆箱が唯一の救い。額に感じるひんやりとした冷たさが心地よい。

− ……なえ −

 誰かが私を呼んでいる。取り合えず今は話掛けてくれるなと無視。

− ……さな…え −

 しつこい。しかし誰の声だろう。クラスメートの声なら分かるはずなのに、この声は分からない。次第に名前を呼ぶ声が近くなる。

「あー! 何!?」

 欝陶(うっとう)しく顔を上げると他の生徒が目を丸くしてこちらに視線を向けていた。どっと笑いが起こる。

「高宮ぁ、何だぁ、寝言か」
「早苗、大丈夫ぅー?」
「お前が授業中に居眠りか? 珍しい事もあるもんだな!」

 チョークをプルプルと震わせながら教師の金田が振り返る。高ー宮ー、と強張る金田の顔に、はい! と思わず立ち上がった。

「暑いから怒る気にはならんが。静かにだけしててくれ」
「……すみません」

 恥ずかしさに紅潮した顔を伏せながら、ゆっくりと腰を下ろした。あちこちからドンマイとの声が飛んだが笑いながらの慰めは厭味(いやみ)にしか聞こえなかった。


 落ち着きを取り戻したのは授業が終わってからだった。恥ずかしさには慣れたが、その反面憤りを覚えていた。元はと言えば誰かが私の名前をしつこく呼んだからあんな事になったのだ。

「さーなちん。さっきは何があったのですかな?」

 声を掛けてきたのは間島冬子(ましまとうこ)。眼鏡をかけていないのに教授気取りで、ずり上げる仕草を見せる。

「何もないでございます!」

 作り笑いと分かる笑顔を見せ厭味ったらしく言い張り席を立つと、怒った? と間島はすぐキャラを捨て素に戻り、続けて背中越しに甘え口調で追ってきた。

「あーん、待ってよ。早苗様ぁ」
「はぁ……何?」

 呆れ顔で振り返る。

「どこ行くの?」
「トイレ!」
「じゃあ、あたしも」
「どうして付いてくるのよ」
「え? どうしてって、あたしもトイレ行きたかったし」
「じゃあ、行っておいでよ。私行かないから」
「えー、なんでぇ!」

 これだからいい所のお嬢様は我が儘で疲れる。何をしたわけでもないのに最近やたら懐いてしまった。何が面白くて私なんかに。最近ストレスが溜まるのはこいつの仕業か、と深い溜息を零した。

「間島さん」

 いじけていた間島が、何? と顔を上げた、その額に向かってデコピンを放った。

「いっ……たーい!」

 喚(なげ)く声を背中に私は教室を出て行った。



 最近やたら肩が重い。
 トイレを済ませ、手洗い場の鏡に写る自分の顔をじっと眺める。随分とやつれた様な気がするのは気のせいだろうか。ふと間島の顔が浮かび上がる。

「なんだって私があんな奴に懐かれないといけないのよ」
− 確かに、厄介者ですね −
「そうなのよ。厄介で、」
− 我が儘(わがまま)で? −
「自己中で、って……」

 感じた違和感に振り返る。誰もいない。さっき私は誰と話してたのだ。不意に鳥肌が立つ。
 さっきの声どこかで。

− 早苗…… −

 再び聞こえた声に顔を上げると、鏡に写る私の背中越しに薄い水色の浴衣を着た青年が立っていた。目は白い布で覆っていて分からない。

「!!!!!!!!!?」

 叫び声をあげようとした私の口を青年は手で塞ぎ、自分の口元に人差し指を突き立てて見せる。

− 危害は加えません。だから声を出さないでいただけますか? −

 柔らかな口調が耳元から通り抜けた。そうは言われてもすぐに冷静になどなれず、ただ目の前で起きている事実に困惑していた。
 誰? 妖怪? 妖怪にしては姿、形が人に似ている。それなら幽霊か……。危害は加えないらしいが信じて良いのだろうか。いや、危害を加えるつもりならば既に実行しているはずだ。
 ゆっくりと顎を引くと、青年は軽く頷きながら塞いだ口を解放した。

「あ、貴方は……誰なの?」

 人ではないだろう。先程触れられたにも関わらず体温や感触が全く感じられなかった。

− 僕は、 −

 青年は一歩後ろに後ずさったのもつかの間、トンッと軽く床を蹴ると宙に浮遊して見せた。

− あなたの守護霊です −
「……守護霊? それが何で私には見えるの?」

 今まで見えなかったものが急に見える現実。青年は顎に手を当てがいそっと呟く。

− 血ですかね −

 血? と問い返す。

− ええ。高宮家は代々、霊が見えやすい体質があった。除霊師として一時は名を馳せたのですが時代が移り変わるに連れ、その体質も薄れていきました。しかし偶然にも先祖返りにより再び霊媒(れいばい)体質の子がこの世に生を受けた。それが貴女と言う訳です −

 じっと目を見つめられた瞬間、思わず目を反らしてしまった。

「そんなの初めて聞いたんだけど」
− 知らなくて当然です。貴女の祖父も父も霊媒体質ではなく、見ることはおろか、感じることすら出来なかった。多分、祖先が除霊師として働いていたことも知らされていなかったのでしょうね −

 絃歌が続けて口を開こうとしたのを、ちょっと待ってと割って入った。少し整理させて欲しい。
 私は今まで祖父や父親の様に霊を見ることはもちろん感じる事さえ出来なかった。それがなぜ今になって見えるようになってしまったのか、疑問を抱いた。青年は腕を組みながら、そうですね、と呟いた。

− 見える見えないには個人差がありますからね。子供の頃から見える人もいれば、急に霊が見えはじめる人もいますし……。まぁ、早苗の場合は僕が無理矢理覚醒させたのですけどね −

 はは、と悪戯っぽく笑って見せた。笑いごとではない。こちらからすれば有難迷惑なのだ。そう思いつつも青年の笑顔を見ていると気を許してしまう自分がいた。
 ふわりと感じた空気に顔を上げると、青年は私の頭をそっと撫でていた。

「貴方、名前はあるの?」

 しばらくして私は聞いた。

− 一応ありますが、それは教えられません。しかし皆からは絃歌(げんか)と呼ばれてます −

 皆? と首を傾げる。

− 同業者……みたいなものです −

 不思議な感じだ。会話に集中していた私は、まるで生きている人間と話しているかのように違和感もなく絃歌と会話をしていた。絃歌か……、と呟き顔を見上げると、入口を見つめながら再び人差し指を口元に突き立てていた。

− 静かに。誰か来ます。他の生徒には僕の姿は見えませんから、そのつもりで。迂闊(うかつ)に話しかけようなら早苗が変な目で見られるだけですからね。まぁ、早苗さえ良ければ別に構いませんが −
「そうよね……って、さらっと酷いこと言ったわね」

 悪びれる素振りも見せず絃歌は微笑みながら私の頭に一度だけ手を乗せた。

「高宮さん、授業始まるよ」

 クラスメートの声に、うん、と返事をし絃歌の顔を一瞥(いちべつ)し教室に戻った。再び顔を見せた私を間島は、長いトイレだったね、と茶化してきたので取り敢えずデコピンを喰らわせておいた。



 授業の間、絃歌は窓の冊子に腰と片足を掛け外の僅かに吹く風を浴びながら遠くの方を眺めていた。その一方で私は頬杖を突いて引き攣った顔を見せる。それは霊が見えたことによる後遺症? と言うかよくよく考えれば察しは出来るものだったのだが。

「……うちのクラスってこんなに人居たっけ?」

 まさかクラス人数かける守護霊二倍の人数になってるとは思ってもみなかった。邪魔さえならないが倍に見えるだけでこうも窮屈に感じるとは。私は溜息を吐き絃歌に視線を送った。気配に絃歌が振り向く。

− 何か? −

 なにが、何か? だ。

「……(見え過ぎてやりづらい)」

 霞む声で訴えると、絃歌は納得したように頷いた。私の頭に手を置き息を深く吸った。

− 汝に目覚めし力よ、しばし鎮まり賜う −

 優しい声がゆっくりと耳を流れ、その感触と共に視界からすっと守護霊達は薄れていった。
 良いか? と顔を覗かせる絃歌に、大丈夫、と口の中で呟きながら顎を引いた。

− 気付いてやれなくてすまなかった −

 そう言い残し再び絃歌は元の位置にふわりと戻った。
 その後も、しばらくはこちらを意識しながら遠くを眺めていた。
 私が見えなかった間も絃歌は今の様に、いつも見守ってくれていたに違いない。

「おーい高宮。外ばっか見てないで授業に集中しろよ」

 数学教師に指摘され、本日二度目の注意。私は絃歌を見ていたのだが周りからはそう捉えられているのだと再認識した。
 絃歌が私を一瞥しクスリと微笑む。小馬鹿にされたようで膨れっ面を見せると、

− いや、悪い −

 と顔を背けた。その向こうで蝉時雨が蘇る。
 夏の初め。
 独特の暑さと僅かに吹く風を浴びながら絃歌と名乗る守護霊との奇妙な生活が始まろうとしていた。
 まだ不安だらけだが、絃歌とは上手く付き合えそうな気がしていた。
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