“コントロールしたい気持ちと
  反抗心"について

私達は日頃、つい相手や状況を変えようと頑張ってしまいます。小さな事から大きな事まで、無意識に多大なエネルギーを注いでいます。

ここではその心理について『領域』という考え方に基づき話をしていきます。
領域は大きく分けて3つあります。
@天(自然)の領域
A私(自分)の領域
Bあなた(相手)の領域

天の領域は文字通り、天災等のどうにもならない部分です。
あなたは自分の子供やパートナー等、自分以外の全ての人を指します。

人間関係が人生の大半である中、ストレスを感じる事は多いと思います。
しかし、ストレスや不安感の多くは自分が私の領域にいない時に感じます。
言い換えれば、相手の領域に入り込み、何とかして状況を変えようと努力している場合です。

自然現象はもちろん、本来人の心(領域)は無理やり変える事はできません。
私達は、その変えられない事にエネルギーを注げば注ぐほど、もしくは変えられない現実を許容できない時、どんどん疲れ果ててしまいます。
自分にとって大切な人であればある程、その気持ちは強くなり大きな疲労となります。

例えば家庭の中を見てみましょう。
服を脱ぎ散らかす子供や旦那さんに「いつになったら直すの?」「何回言わせるの?」というお母さんの声が聞こえてきそうですが、何回言っても直してもらえないのは何故なのでしょうか?
それは、お母さんが私の領域を出て、あなたの領域にズカズカ侵入しているからなのです。
相手は耳で聞いていても、頭ごなしな言い方を察知すると心のシャッターを下ろしてしまいます。
お互いに心中は穏やかではありません。
たとえ正当な理由からの注意であっても、私の領域から出た途端、それはコントロール=支配に変わります。
コントロールは相手の為を装いながら、本当は…自分を守りたい!これ以上イライラしたり傷つきたくない!という隠された本音の表れでもあるのです。思い通りにならない事への恐怖感があり、まず相手を変えようとしてしまいます。

その上、言われた側もすぐに改善するのは難しいものですが、相手の変化のプロセスを待てずに「昨日言ったばかりでしょ!」等と更に言ってしまうのです。

これは完全に私の領域から出てしまい、直してくれないと私がイライラしてしまう!私が辛い!という(実際は認めたくないですが)自分の苦しみは相手が原因なんだ!という感情に乗っ取られている状態です。
どんな人間関係でも、このような感情に巻き込まれてしまうと、もう何を言っても相手の心には届かないでしょう。
「あなたの為よ」と言われる程、聞く側は逃げたくなり、ますます受け入れてもらえません。
そして、思うように状況や相手が変わらない事に落胆してしまいます。

誰かに何かを伝える際、願望と感情を同時に発信してしまうと、その勢い余った感情がエゴになり相手の領域を荒らしてしまいます。
怒りだけでなく、過干渉な心配や嫉妬が強すぎるのも同じです。
開口一番「なんで夜遅くまで連絡もしないの!」ではなく「連絡が無いと心配だから遅くなる時は必ず教えてね」と言うだけで、相手への届き方は随分変わります。
とは言っても、溢れる感情を簡単に消す事はできないものです。そういう時は素直に「私は今すごく怒っている」と始めに伝えてもいいでしょう。
それは自分の素直な本心であり、私の領域から出た事にはなりません。
したがって、相手もその事実だけを受け取る事ができます。
そして、相手は相手のペースで学びます。
その日は「そんな事で怒るなよ」と思っても、徐々に噛み砕いて気持ちを理解してくれる場合があります。
子供でも、一言しっかり注意をして観察していると、何日か後に突然できるようになったりします。
大切なのは自分の感情に相手への非難を乗せない事、相手の気付きのプロセスや自立の芽を摘まないという事です。

決して自分の気持ちを殺す訳ではなく、自分の気持ちを大切な人に有効に伝える取り組みです。
始めから感情を切り離すのは大変な事ですが、我慢をすると必ず他の部分に出てきてしまうので、クッションや布団に「もういい加減にして!」と相手にぶつけてしまいそうなトゲを発散してから、本音を伝えるのも良いと思います。

どんな感情も感じてダメなものはありませんが、そのまま相手にぶつけてしまうと余計自分が苦しくなります。
本当はそんな事を言いたい訳ではないのに、自分から犠牲にはまってしまうからです。
どうしても怒りや心配する心に歯止めが効かない場合は、周囲を変える事に労力を使う前に、自分の心の中を見つめてみるといいかもしれません。
耐えきれずに何度も注意してしまうとしたら、それは自分の心の問題であり、相手だけの問題ではない事もあるからです。
なぜこんなに怒ってしまうのか?なぜこんなにも不安なのか?なぜ相手を変える必要があるのか?…突き詰めていくと、だらしない事を許されなかった自分の子供時代や、ありのままの自分を認めてもらえない寂しさに行き着くかもしれません。

私達は知らず知らずの内に「男の子なんだから」「お姉ちゃんなんだから」「もう○○なんだから」等と、本来の自分ではなく“ねばならない"“〜はず"“〜べき"という多くの決め付けの中で生きています。

まずは自分自身の内面を見つめ、それらは全て外部から与えられた思い込みであり、本当はどんな自分でも価値があるという事に気が付いて下さい。
完璧でなければいけない…という誤った思い込みを手放し自分自身を許す事ができた時、相手も許容し、その人に合わせた自然な成長を信じて待つ事ができるでしょう。
相手を許せないのは、それ以前に自分で自分の事を許せないからなのです。

コントロールで得られるのは傷の連鎖と可能性の制限だけです。
コントロールをすればするほど、また次のコントロールが必要になり終わりがありません。

まずは自分自身の内面と向き合い、根底にある恐れを手放せた時、相手の変化を焦らずに見守る事ができるでしょう。
それを感じた相手もまた、自らの意思で変わろうと思えるのです。
真の信頼感が生まれます。

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