サクラ咲く季節に

□第7話「佐倉」
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(あの頃はまだ、こんなことになるなんて思ってもなかったな……)
 病室の窓から空を見る。今俺がいるのは5階の部屋の個室。見えるものは腹が立つほどに真っ青に広がる空。雲一つ無い、何の変化もしない空。
「……はぁ」
 4ヶ月間もこうしていればいい加減慣れてはくるが、それでも病室から一歩も出れないというのは退屈なものだ。
 いや、トイレとかに行くのは外と言えば外だから正確には病院内か。ともかく、外の空気に触れられないのだ。
 医師の話によると、俺の身体は異常なまでに弱ってしまっているらしい。そのため病原菌から少しでも体を守るため、外に出ることはできない。それに体を治すための栄養も足りないため外食なんてもってのほか。病院食と左手に繋がっている鬱陶しい点滴でどうにかまかなっている状況だ。何故こうなってしまったのか、それは医師にもわからないと言う。
 でも、俺にはその発端に心当たりがあった。今から6ヶ月前、8月のあの日に、俺はあの丘で……。
 そんな風に俺が物思いに耽っていると、ドアをノックする音がした。
 「どうぞ」という俺の声に続いて、制服姿の女子が病室に入ってくる。
「こんにちは、啓介君」
 葵だった。
 佐倉葵。背は七瀬より少し低いくらいで、ちょっと長めのツインテール。これだけ聞くとどこにでもいる容姿の少女なんだろうけど、彼女は普通の子とは違う部分があった。
 髪の色である。彼女の髪は透き通るような水色をしている。普通ならありえないのだが、根本からそうなっているのだから染めたわけではないのだろう。
 それに、なぜだかわからないけど葵の髪は偽物じゃないと思う―――というより感じる。
 彼女は6月の最初にうちの学校に転校してきた。その理由は親の仕事の都合上と、何ともありきたりなものだった。
「今日は葵か」
「うん、私」
 そう言って彼女はベッドの横に備え付けのイスを持ってきて座った。
 最初の頃はみんな毎日見舞いに来てくれてたが、結構な人数になってしまうので最近は交代制になっている。といっても順番が決まっているわけではないので誰が来るかはその時になってみないとわからない。
 俺を楽しませるためのあいつらなりの配慮なのかもしれないなと考えていると、葵がきょとんとした顔をしていた。
「えっと……私の顔に何かついてる?」
「え―――?」
 いけない。ぼおっとしていたから気付かなかったが、葵のことを見つめてしまっていたらしい。
「い、いや、別に……何でもない」
 顔が熱くなるのを感じ慌てて顔を逸らすが、収まってくれそうにない。
「……」
「……」
 沈黙。空気が少しずつ重くなる。
 このままでは気まずいとわかってはいるものの、微妙な恥ずかしさのせいで頭が回らずいい話題が出てこない。
 そんな空気を先に緩和してくれたのは彼女の方だった。
「そ、それで勉強の方はどう? はかどってる?」
 顔を少し赤らめながら俺に問いかけてくる葵。
「―――」
 その仕草を見て、俺は素直に可愛いと思った。
 いや、正直葵は可愛い。スタイルはいいし、美少女と言える顔立ちだし……何より仕草がやわらかくてとても女の子っぽい。まぁ女の子なんだけど、その仕草がそれを更に引き立ててるっていうか―――
「ち、ちょっと。私の顔ばっかり見てないで答えてよっ」
「え?…あ、ごめん」
 葵のもう堪えきれないと言わんばかりの声で俺は我に還った。
 まずいなぁ。この考えるとぼおっとする癖どうにかしないと、外の人にも迷惑かけそうだ……。
「もぅ……」
 葵はちょっと機嫌を損ねたらしく、頬を膨らましている。
「そ、それで何だっけ?」
「だから勉強ちゃんとやってるかって」
「ああ、まぁそれなりには……」
「あんまりサボってちゃダメだよ?啓介君は私達より良い点取らなきゃいけないんだからね」
 今の俺は病院生活。にも関わらず勉強しているのは、うちの学校に特別規則があるからだ。
 普通の学校なら今の状態が続けば留年、もしくは退学になるだろう。それがひばり学園の場合、『不慮の事故や病気で長期入院となった場合、定期テストで5位以内、尚且つ85点以上とれば単位を認めてくれる』のである。無論出なかった授業も最低限分は欠席にはならずに出席扱い。
 嗚呼素晴らしきひばり学園…。この学校に入学してよかった。
 ……こんな規則があったなんてこれっぽちも知らなかったけど。
「わかってるよ。だからこうしてみんなに来て教えてもらってるんだろ?」
「ん、まぁね」
 ―――そういえば英語で微妙にわからない部分があったっけ。
「なぁ葵。英語の部分で確認したい部分があるんだけど」
「ん。ちょっと待ってね」
 そう言って、佐倉は自分のバッグの中から教科書を取り出そうとする。その途中―――
「あ、そうそう。これ、花房君から」
 白い包装紙に包まれた箱を渡された。
「あいつから……?」
 一体どんな風の吹き回しだ? 裏がありそうで怖い。
「何か開ける時は一人で開けろって」
 ふーん―――っておい! 露骨に怪しいぞ!
「……まぁいっか。とりあえずここなんだけど……」
 涼から渡された危なそうな代物はとりあえず置いといて、俺は葵先生に教えを請うことにした。



「んー、今日で大分わかった気がする」
「そう? そう言ってもらえると教えてる甲斐があるってもんだよ」
 やっぱり一人で参考書と睨めっこするよりは二人で会話しながらやる方が楽しいし、はかどるもんだな。今日一日でかなり進んだ。
「私もわからないところ解決して助かっちゃった」
「あんな教え方で大丈夫だった?」
「うん。もうバッチリと」
「そっか。ん〜〜〜……」
 思いっきり伸びをする。さっきまで真っ青だった窓の外は、いつの間にか黒一色に塗りつぶされたかのように暗くなっていた。
 だいたい4時間くらいは勉強したかな……。
「そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」 
「うーん……もうちょっとここにいる」
「こんな何もない部屋にいてどうするんだ?」
「啓介君とお話する」
 お話って……。俺そんなに面白い話持ってないんだけどなぁ。
「俺と話なんかして楽しいか?」
「うん」
 葵は俺の質問に即答する。そう言ってもらえるのは嬉しいけど、同時に楽しい話が出来る自信がないため不安になってしまう。
「話をするより、どこかに一緒に出掛けたほうが葵を楽しませられそうだけど……この体じゃな」
 俺が残念そうにする姿に続くように、葵も残念そうな顔を―――
 ―――いや、違う。表情にはほとんど出てないけど、葵は、何かを後悔しているような、涙が頬をつたっていてもおかしくないような目をしていた。
「―――何か、あったのか?」
「……え? な、何?」
 心配になって声をかける。その言葉を聴いた瞬間、慌て始める。
 そんな反応をされたら、本当に心配になってくる。もしかしたら、学校で何かあったのかも知れない。そんな不安が頭をよぎる。
 俺はその真相を確かめるべく、葵に―――
「……いや、何でもない」
 よそう。もしさっきの表情が本当だとしても、突っ込んでほしくないことってのもある。さっきのは多分、その類だ。
「……」
「……」
 勉強を始める前にあった沈黙よりも重い静けさが部屋を包む。その重さに耐えかねたのか、葵が口を開き―――
「そ、そうだ。勉強する前に渡した花房君からの贈り物開けてみようよ」
「―――は?」
 何か、一番やってはいけないことをやろうと言い出した。
 葵……お前はあいつの恐ろしさを知らないだけだ。やつは普通の人間にはわからない恐ろしい思考回路を持ち合わせているんだ……。
「だからさっきのあの箱、開けてみようって」
 そんな俺の心中などいざ知らず、葵は楽しそうにしている。
「一人の時に開けろとか言ってたんじゃなかったっけ?」
「言ってたけど……いいじゃん! 開けちゃお?」
「どうなってもしらないぞ?」
「そ、そんなこと言われても引かないよ?」
 俺の決死(?)の忠告にも耳を貸そうとしない葵。
「……はぁ」
 ……涼、お前の作戦は相変わらずすごい力だな。
 俺はどこかにいる幼馴染みに少しの敬意と大量の呆れを評しつつ、涼から贈られた箱を手にし―――
「開けるぞ。いいか?」
「う、うん…」
 包みを、解いた。
「…………」
「――――――」
 沈黙。俺のは呆れからくるものだが、葵はぽかーんとしている。そして次の瞬間―――
「〜〜〜〜〜っ!!」
 顔が真っ赤になった。
 朱に染まるなんてレベルじゃないなこれ。頭から湯気でそうだ。
「だからどうなっても知らないぞって言ったのに……」
「うぅぅぅ〜〜〜〜〜……」
 葵は唸りながら俯いている。
 まぁ……あれだ。ヤバいものだとは思っていたけど予想してなかったっていうかしたくなかった。
 箱の表面だけ見る限り、何かの化粧品あたりに見えなくもない。だがこの中身はあまりに危険で安全なものだ。
 極薄。ピンク。1ダース。もうこれ以上は語るまい。
 女子にはきついだろうな……こういうブツは。
「全く……」
 涼のヤローは相変わらずだ。人の興味の引かせ方をよく知ってる。
 一人で=他人に見られるな=何か恥ずかしいもの。そうなると気になってしょうがないものだ。
「ん……?」
 裏に何か貼ってある。
『襲うならこれくらいはしろよ by涼』
「―――襲うかっ!」
 思いっきり投げた。
 あの野郎、俺がそこまで飢えてるように見えるか……。
 第一そんなことできるほど体力回復してねぇっつの。いや、そういう問題じゃないか……。
 ともかく。
「あー、誤解がないように言っとくけど、俺から頼んでたわけじゃないぞ?」
 どこか言い訳っぽい感じもするが、念のため説明しておく。その俺の声さえ届いてないのか、ずっと俯いたままだ。
「葵―、大丈夫かー」
 反応がない。相当効いてるみたいだ。退院したら涼のやつ殴っとかないと。
「別に……いいよ……?」
 突然葵の小さい声が聞こえた。
「私は……別に…れても…気にしないし…………」
 話の筋が全く見えないんですが。しかも声が小さくて聞き取れない部分もあるし……。
「葵……?」
 色んな意味で大丈夫か心配になって、俺は声をかけた。
「啓介君がしたいって言うなら……その…………してもいい……よ?」
「……は?」
 な、何を言ってるんだこの少女は。
 ―――まさか……誤解が解けてない?
「あのー、葵さーん……?」
「あ……で、でもするんだったら……優しく……」
 だめだ。完全に一人の世界に入っちゃってる。
 とりあえず、誤解を解かないと。
「いいか葵。よく聞け」
 葵の肩に両手を思いっきり乗せる。それにビックリした葵がようやくこちらを向いた。
「は、はいっ! なんでしょう?」
「これは、涼の嫌がらせなんだ。あいつと付き合ってればそのうちイヤでもわかってくる」
「―――え? じゃ、じゃあ……」
 俺の話で冷静になったのか、葵の顔色が元に戻っておく。しかし―――
「お前の頭の中にある物は勘違いだ」
「はうっ」
 今度は葵本人の恥ずかしい妄想のせいで再び赤に染まる。
 いや、これはちょっとマジで湯気出るんじゃないかと思うほどだ。やかんの沸騰してる音とかも聞こえてきそうだ。
「あうぅ……」
 俺の一言で俯きながら縮こまる葵。
 何か、見てるこっちまで恥ずかしくなってきた。
「で、でもこんなもの見たらそう思う気持ちもわかるっていうか……あ、あんま気にすんなよ? な?」
 別にどっちが悪いってわけじゃないけど、フォロー代わりに頭を撫でる。すると―――
「わ、私帰るっ!」
 葵は勢いよく部屋を飛び出していってしまった。
「お、おい葵! カバンカバン!」
 俺がその言葉を言い終わるのと同時部屋のドアが完全に閉まり、葵の姿は見えなくなった。
 ……と思いきやドアがビミョーに開き、顔半分くらい出してこっちを見てきた。
 思いっきし困っちゃってるな。入ろうにも恥ずかしくて入れないし、かと言ってカバンを置いて帰るわけにも行かないしといった感じだ。
「全く……」
 俺は右手に佐倉のカバンを持ち、左手で点滴機を引いて葵の元へ行く。
「ほれ」
 俺がカバンを差し出すと、葵は俯いたまま恥ずかしそうにそれを受け取った。
「しっかりしてるようで抜けてるよな、葵は」
 そう言うと彼女はいっそう縮こまってしまった。その仕草が妙にかわいらしく、自然と笑みがこぼれてしまう。
「じゃ、また今度な」
「う、うん……」
 俺が扉を閉める終わるまで彼女は顔を赤くし、ずっと縮こまっていた。

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