瀬戸内
□いえない言葉
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航海から帰って来た元親は元就に会うため、高松城を訪れていた。
久々の高松城。
元就に会うのも勿論久々。
元就は元親を見て一瞬驚いた表情を見せたかと思うと、「…久しいな…我は執務中ぞ。そこで待っていろ」とだけ言ってすぐに執務に取りかかった。
これによって、元親は見事に抱きしめるタイミングを失ったのだ。
今も元親そっちのけで執務に励んでいる。
元親は特にすることも無く、元就の背中をじっと眺めていた。
相変わらず元就の背中はピンと伸びている。
変わらない背中。
航海をしたのは僅かな期間だった。
それでも元親には長く感じたし、ずっと元就に会いたいと思っていた。
元就は寂しくなかったのだろうか。
俺に会いたくなかったのか。
そんな馬鹿なことを考えてしまう。
ほっとかれているというのも手伝って、一人でいるとどうしても悪い方向へと思考がいく。
せっかく元就に会えたんだからこのような暗い考えはよそうと頭を振った。
そして、もう一度元就の背中を見つめる。
「待っていろ」と言われたもののやっぱり我慢の限界だった。
普段なら執務が終わるまで待っていたかもしれない。
だが、今日くらいはいいだろうという気持ちが元親の中の大半を占めていた。
「…元就」
「………」
試しに小さく名前を呼んでみる。
元就はその呼びかけに何も返してはこなかった。
悲しいと言えば悲しい。
しかし、執務中はいつもこんなもんだと思い直す。
構わずに元親は名前を呼び続けた。
何故だか元親には元就は絶対振り向いてくれるという自信のようなものがあったのだ。
「元就ー」
「………」
「なぁ…元「貴様、少しは黙ってられんのか!?」
鬱陶しくなったのか、元就は顔だけ元親の方に向けると一喝した。
眉間のしわはいつもより深く刻まれている。
それを見て元親は少しだけ苦笑した。
それから直ぐに損ねた口調で言ってみる。
「んなこと言ったってよぉ…せっかく久しぶりに会ったってぇのに元就は相手してくんねぇし…」
「仕方あるまい。我はそなたと違って多忙なのだ」
そう言ってからふいっと顔を戻すと、再び執務を再開した。
部屋には筆の走る音だけが聞こえる。
元親は一度元就に手を伸ばしかけた。
少し躊躇いがある。
元就に触れるのも久しいので柄にもなく緊張しているのだ。
元親は一呼吸置くと、後ろから元就を思いっきり抱き寄せた。
「…そんなの後でもいいだろ?」
「なっ…離せ!!」
元就は顔を赤らめながらも抵抗する。
しかし、元親の力は弱くなるどころかさらに強くなる一方だった。
元から力の差は大きい。
元就がいくら暴れようと元親にはなんてことないのだ。
元就もそれを重々承知していたが、抵抗せずにはいられなかった。
嫌いだからとかではない。
照れているが故である。
「あー、久々の元就だぜ…」
元親は元就の肩口に顔を埋めると、安心したように呟いた。
それは今まで会っていなかった時間を埋めるような動作でもあった。
実際、元親は元就がこの手の中にいるという安心感と嬉しさでいっぱいだったのだ。
元就はそんな元親に抵抗する気にもなれず、そのまま体を預けた。
二人分の体温がやけに心地よい。
「…そなたのせいで今日の分が遅れるではないか!!」
元就の今できる精一杯の抵抗である。
だが、それも元親にとっては無駄…むしろ嬉しい言葉でもあった。
元就の言葉は『今』だけではなく『今日』を元親に与えたことになる。
「ってことは、今日はずっと一緒に居ていいってことだよな?」
「…ふん…勝手にするがよい」
そう言った元就はゆっくりと目を閉じた。
肩口に顔を寄せていた元親は気づかなかったが…
元就の口元には僅かに弧が描かれていた。
(久々に会ったので何を話していいかわからなかったなぞと言えるわけがなかろう)
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