12/02の日記

01:47
平穏
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外は荒れているけれど、心は大分穏やかになった。
自分を慰める自分が出てくる。
それが空想や幻想の類いだとしても、私の狂いを止めてくれる。
私は女であり、男でもある、寧ろそのどちらでも無いと言える。
心がそう感じているから。
突発的に、死ななきゃと思うときがある。
死ねば楽になれる、死ねば苦しみから解放される、とても魅力的に感じてしまうんだ。
日本は自殺者が多くて、最近私の地元から少し離れたところでも学生が自殺してしまった。
苦しみは一度現れると死神のようにしつこく付きまとう。
命を大切にとか、死んだらおしまいとか、もっと楽に考えよう、難しく考えすぎだ、仲良くしなよ、という言葉があるけれど、思考が正常に働かないときに言われても無駄なことなんだ。
苦しみは、最終的には自分自身で対処しなければ、それがまた地獄なんだな。

理解者が居たとしても、心の傷は残ったままで、直ぐに癒える筈もない。
どうすれば自殺者を防ぐことができるのだろう?
心の電話と言うものがあったとしても、本当に死のうとしている人は電話をする気力も無いだろうに。
仮に今私が死のうとしたとして、誰が止められると言うんだ?
誰かに監視されない限り、自殺は容易にできてしまう。
まさかうちの子が…。と言うけれど、良い子なほどに苦しみは隠してしまうのだ。
心配かけさせたく無いから、表向きは元気に振る舞って。
嫌なら嫌だとハッキリ言えば良いのにな。
そういう自分もどうしても我慢してしまうタチで、結果良くないことが起きてしまう。
我慢していればあとで爆発してしまう。
どうでも良いけれど、今無性に肉が食べたい。心配すんな、人肉じゃない、牛や豚の肉だ。
(旧支配者様には人肉がお好みかな?)
お腹が空いた。
生きるって、難しいな。
事故で突然死んじまう奴も居るわけだから、まあ、今生きているって言うのは少なくとも良いことなんだろうよ。
自分の手で自分を殺すなんてできればしたくないものだ。
それは当然、殺人者になるってことだからな。
死後の世界に裁判と言うものがあるなら、そいつは死んでもなお死刑になりかねないだろうし、そうなったら爆笑ものだな(笑)
ま、死後の世界が無かったら無になるだけだろうからそれはそれでバッドエンドにしかなり得ないがな。

仏の顔(死んだ人の顔だ)を見てみろ。
死ぬ気が失せるからさ!

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