おはなし
□衝動と少年
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またキンモクセイの香りが漂ってきたね。甘い甘いどこか落ち着くような香り懐かしい香り。
「はい、これで最後だよー」
「わーい」
真っ赤な風船が渡された。
手を離せば瞬く間に青空へと浮かんでいくだろうそれを背後で並んでいた十にも満たないであろう少年が恨めしそうに見つめていた。
僕は表では喜んでいたけれどそれは建前でもあった。身長は小学生の高学年くらいに当たるのだろう。だからか無意識的に僕は子供ぶっていた。その方が楽だからだ。
実際の僕の実年齢は見た目よりもずっと上なのだから。
とはいってもふわふわと浮かぶ風船はどこか見てて飽きないな。
「これで本当に最後なんですか?」
「あ、ごめんねー。あっちらへん行けばまだ配っている人がいるかもしれないからさ」
あっちらへんと指差した方角にはジェットコースターが見えた。今丁度轟音とともに流れる黄色い悲鳴が響いてきた。整備に命を委ねる不思議な行為だよ。こんなのに乗るなんて。
「リーデーレ、これあげるよ」
「要らないです。僕はピンクのが良いんです」
真顔で言われても。
「ほら、赤でも火に焼ければピンクになるよ」
と、裾をつかまれ引っ張られる。
「ふざけないでください。閉園してしまいますから、早く行きましょう!」
「わかったから。もっと早いうちにもらっておけば良かったのに…」
「そんなことしたら帰る頃にはしぼんでいるかも知れないでしょう?」
「君って頭良いね」
「当たり前のことですから」
と、得意気に見つめるその瞳はどこか禍々しささえ感じさせるほどの邪悪さがあった。それはまるで死の天使と言われるサリエルが持っている邪眼に等しい何かさえ感じられる。
まともに面と向かって目を合わせられるのはこの少年がハトという狂人だからかもしれない。
いや、人ですら怪しいのだが。
だからこそハトはこの自分とほぼ身長の変わらない年下の少年リーデーレに対して人と目を合わせることをできるだけ避けるようにとやんわりと何度も言い聞かせていた。
リーデーレも一言で言うなら普通ではない。どこが普通ではないというと、見た目がどう見ても人間にしか見えないところだろうか。目以外は。
彼はイメージだけで無差別に対象を現実に描くことができた。
「すみません。ください」
「どうぞ」
「…あの、他の色はありませんか?」
「何色が良いのかな?」
「ピンクでお願いします」
夕空に照らされて色とりどりの風船がオレンジに色付く。その中から風船配りの女の人は器用に目的の色の風船を手繰り寄せリーデーレに渡した。
「はい。女の子にプレゼントかな?」
「いえ、僕用です」
「あ、そうだったの。ごめんねー」
と女の人の顔があからさまにひきつる。僕には何故そんな顔をするのかわからず首をかしげた。
「良いんです。べつに。ありがとうございます」
感情が欠落した台詞。それだけ言って終始うつ向いたままその場を離れた。この子ってほんとに律儀に約束を護る良い子なんだ。
「よかったね」
「はい!よかったです」
「あのさ、どうしてピンクなんだい?」
「それはきれいだからです。新鮮な内臓の色と同じですし」
「そっかあ」
そして僕は危うく聞き逃すところだった。今、何て言った?
「こんな色、ピンク以外あり得ませんし」
彼はにこやかに話し続ける。彼、今内臓って言わなかったか?ピンクから内臓、どうしてそう繋がるんだ?
そもそも彼と遊園地に言ったのは純粋に遊ぶためであって僕は彼に誘われたんだ。僕は遊園地になんて一度も行ったことが無かったから、興味なんてなかったし今日も恒例の教会通いで神様なんかに祈っている人間を高みの見物がてら上から目線で傍観するつもりだったんだ。
ジェットコースターに観覧車にコーヒーカップにおばけ屋敷、色々体験して見て回ってリーデーレはとても楽しそうにしていたから僕はとても嬉しかった。僕は彼のお母さんに頼まれて稀という回数で彼の相手をしてやっているんだ。
だから、やましいこと無しに純粋に遊園地を楽しませてあげて(僕は全然楽しくなかった)とっぷりと日が沈んだ夜道帰路に着くため電飾でライトアップされている道を歩いているんだ。
「…とさん?ーハトさん!」
意識の奥底から声がした。その声はとても遠くに感じられて、それが急速に現実に引き戻されたんだ。
「え?」
「ストップ!ストップ!」
リーデーレくんが必死になって両腕を使ってジェスチャーしている。
どうしたんだろう?
でも僕にはわかっていた。
意識とは無関係に僕は、目の前の人の首を片手で絞め上げていた。
そして何となくこれもわかった。
僕の行動があまりにも突飛すぎてリーデーレくんは動けなかったのだろう。
何をしているんだ?
否応なしに伝わってくる感触。
骨がボキリと折れたのは今だった。
何事もなく終わらせるつもりだったのに高く首を掴まれ掲げられたそれはぐったりと動かなかった。
その後の変化は速かった。
僕の手から重さは無くなった時にはその亡骸は跡形もなく消えていた。
それはもう、瞬きしたら消えていたという早業で。
そして勿論その光景を複数人目撃していた人たちもいた筈だ。
だけれど良く見てみれば誰もいなかった。
そして彼を見た。
尋常じゃないその眼光は大きく見開き何かを捉えようと躍起になっていた。額には汗が滲み出ていて怯えているようにも見える。その目が僕を捉えた。
様々な色をごちゃ混ぜにしたどんよりとした色に僕は一瞬怯む。
彼もあわてて目を反らし、「行きましょう。もう大丈夫ですから」
といって僕の腕を掴んだ。
その翌日、奇妙なニュースが新聞の一面の記事に乗った。『遊園地、大量失踪事件』と。
しかし目撃者は現れなかった。
何故ならリーデーレが目視だけで半径一キロ圏内の人物をイメージだけで瞬時に描きだし異空間へ閉じ込めたからだ。
その事件は迷宮入りし後に神隠しとも言われるようになった。
「なんつう御大層な力だよ。てめえが捕まらないのはその為か」
「いや、僕は捕まっても人じゃないから裁かれる道理はないよ」
相手は僕の弟のメフィストだ。ゲーテのファウストに出てくる条件付きで魂をもらってファウストを堕落させるあのメフィストとは全くもって別人の名ばかりのメフィストだよ。大悪魔なんて大嘘言っているただの悪魔に比べたら大分ましなんじゃないかな?
人を貶めることなんてしないだろうし。
「相手は警察だ。そんなこと信じるか。有罪にしたがる検察官によってあっという間に死刑確定牢屋行きよ」
「文字どおりハトになってごまかせば良いじゃない」
と、反論しかけるメフィストを手で制す。
「でも、まあ考えるだけでも面白いかもね。もし僕が殺人罪で捕まったらって」
「はあ?」
「だってさ、逮捕されて留置所に入れられなければ罪人に会えないじゃん」
「おまえ、罪人に会いたいのか?」
「うん」
「きっと普通の人と変わらないと思うぞ」
「考え方は違うと思うよ。壮絶な修羅場を潜り抜けた人もいるだろうし、それに。罪人なら食べたって咎められることもないでしょ。特に死刑囚は」
「おまえ、それが狙いか」
なんて発想だよ。まあ確かに殺される運命にあるのなら一思いに食われた方が…言い分けないだろう!?明らかに痛いし。こいつ本気か!?
その考えを見越したように奴が言う。
「考えるだけだってば。ははは。でも、罪の無い人を殺すよりはずっと良いかなって思うんだよね」
「おまえは何事も衝動で動くからな」
目がマジすぎるぞ!?
「だってさ、ゾンビだってどんなに不死身でもずっと強烈な飢えに襲われているんだよ。だから人間の脳みそを主として肉や臓器を食べるんだ」
「まあ、わからないでも無いが抑えることはできるだろうが。おまえがゾンビ並みの知能でもあるまいし」
「それは僕に言う言葉じゃないよ。彼に言ってよ」
彼と言うのはハトが大きくなった姿だ。ハトの深層意識にある成長したハトの姿。奴と奴は同じだが考え方が決定的に違う。それはまあ、確かに大人と子供とじゃあ考え方が違ってもおかしくないが明らかに大人のハトの方が殺戮を楽しんでいる節がある。
少年のハトはその衝動を抑制するためにあるといっても良いだろう。
だが、根本を正せば確かに大人の方にいった方が手っ取り早くもあるだろう。
今回の事件は結局のところリーデーレとか言う奴の内臓の一言で狂わされたのだから。
「奴に言っても無駄だろ。それに、人食わなきゃおまえ死ぬだろ?俺は平気だがな」
俺は夢の住人だ。そもそも死という概念が無い。奴は人間の生命力を糧に生きている。食わないのは死に等しいのだ。
「僕はいつでも死ぬ気だったよ」
「ああ」
それで確信した。そりゃ、食うわけだあいつが。
「良心の塊だもんなおまえ」
「そんなことは無いよ。人間の血肉を不味いと思ったことは何度もあるけれど殺しは僕でさえ楽しんでいたんだから。もう逮捕物だ」
「あー、逮捕されたきゃすれば良い。あいつが思う存分罪人を裁くだろうさ」
裁くという意味、わかるよな?あえて言うが殺るってことだ。
「それは嫌だ」
「だろお?」
当然だ。もっとも逮捕してはいけない奴なんだろうよ。リーデーレも良くやったもんだ。証拠隠滅のプロフェッショナルって奴か?
「ごめん、長話が過ぎた」
「ああ、いい加減におねんねからお目覚めなさいなと」
急速に意識が戻る中、僕はまた誰かを食べていたと気づく。それはどうしようもないこの満腹感が何よりの証拠だった。
「あなたには世話が焼けます」
唇をペロリと舐めたら鉄の味。
THE END.